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「曖昧さ」とは何か:曖昧さ耐性を「多義性」から捉え直す

論文の紹介

タイトル

曖昧さ及び、曖昧さに対する耐性―非耐性の再考
(Re-examination of Ambiguity and Tolerance/Intolerance to Ambiguity)

著者・雑誌・発行年

神田 信彦
生活科学研究 第43号(pp.125–129), 2021年


論文の概要

本論文は、「曖昧さ(ambiguity)」および「曖昧さに対する耐性―非耐性」という心理学的概念について、これまでの研究を整理し直し、理論的な再考と再定義を試みた総説論文です。

曖昧さ耐性の研究は、Frenkel-Brunswik による偏見研究を起点として発展してきましたが、研究者ごとに曖昧さの定義が異なり、必ずしも一貫した枠組みで理解されてきたとは言えません。

本論文では、Ellsberg や Budner などによる代表的な定義を比較したうえで、
曖昧さの本質は「情報不足」や「複雑さ」ではなく、「多義性(複数の意味や解釈が同時に成立すること)」にある
と整理しています。

さらに、従来の研究では、曖昧さに対する非耐性の背景として「脅威」が強調されてきました。しかし著者は、これをより日常的で一般的な心理反応である
「居心地の悪さ・不快感」
として捉え直す必要性を指摘します。

曖昧さに直面したとき、人は必ずしも強い恐怖や脅威を感じるわけではありません。むしろ、判断がつかないことによる落ち着かなさや、軽度の不快感を覚える場面の方が多く、そうした感覚こそが耐性―非耐性を考える上で重要だと論じられています。

また本論文では、
「曖昧さは誰にとっても同じように曖昧である」
という暗黙の前提そのものに疑問が投げかけられています。

同じ対象や状況であっても、それを曖昧だと認知するかどうか、またどの程度曖昧だと感じるかには、明確な個人差が存在します。この点を考慮しない限り、曖昧さ耐性の議論は不十分であると指摘されています。

さらに著者は、曖昧さに対する耐性には少なくとも二つのタイプがある可能性を示します。

  • そもそも曖昧さに対して、不快感や居心地の悪さをあまり感じないタイプ

  • 不快感は感じるものの、それに振り回されず、行動や判断を継続できるタイプ

後者もまた、重要な意味で「曖昧さに対する耐性がある状態」と捉えるべきだ、という点が本論文の重要な主張です。

論文のポイント整理

本論文の主張は、以下の点に集約されます。

  • 曖昧さの本質は「多義性」である

  • 曖昧さ非耐性の背景は「脅威」ではなく「居心地の悪さ・不快感」と捉える方が一般的である

  • 曖昧さを曖昧と認知するかどうか、その程度には個人差がある

  • 曖昧さ耐性には複数のタイプが存在する

  • 曖昧さへの反応は、情報処理の仕方(単純化・再構造化・やり過ごしなど)と深く関係している


面白かった点

特に印象的だったのは、
「曖昧さは客観的に存在するものではなく、認知によって成立する」
という視点です。

多くの研究では、ある状況を「曖昧なもの」として固定的に扱いがちですが、本論文は、
「そもそも曖昧だと感じるかどうか自体が人によって違う」
という、ごく自然でありながら見落とされがちな点を丁寧に掘り下げています。

また、曖昧さ耐性を
「好きか嫌いか」「脅威かどうか」
といった単純な軸で捉えるのではなく、

  • 不快感を感じるか

  • その不快感にどう対処できるか

を分けて考える視点も非常に示唆的でした。

曖昧な状況で不安や不快感を覚えること自体は自然な反応であり、それだけで「耐性が低い」と評価するのは適切ではない、というメッセージは多くの場面に当てはまると感じました。


実務・日常への示唆

この論文を読んで強く感じたのは、
曖昧さへの耐性は「強い人・弱い人」というラベルで語るべきものではない
という点です。

仕事や人間関係において、曖昧さを完全になくすことはできません。重要なのは、曖昧さを排除することではなく、

  • 何を曖昧だと感じているのか

  • どの段階で不快感が生じているのか

  • その不快感にどう対処できているのか

を丁寧に捉えることだと感じました。

また、他者を評価したり支援したりする際にも、「曖昧さに強い/弱い」という単純な理解ではなく、
その人がどのレベルでつまずいているのかを見る視点
が重要であることを、本論文は示しているように思います。

曖昧さを避けるか、受け入れるか、という二項対立ではなく、
曖昧さとどう付き合い、どう処理するか

そのための思考整理に役立つ、理論的でありながら実感にも即した総説論文でした。

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