私、どろんします|掌編小説 #アマノ文筆クラブ
しのぶは、かくれんぼが大好きな子だった。
俺が住んでいるワンルームマンションは非常に狭くて隠れる場所なんて皆無だと思っていたが、しのぶは俺が帰宅するまで決まって部屋のどこかで隠れるのだ。
始めは室内のベッドの下や布団の中、ベランダの室外機と壁との間などだったが、室内が飽きてくると、次第に隠れる範囲を広げてきて、マンション内、町内、市内と、どんどんどんどん範囲を広げていった。
こうなると探す俺が大変だろうと、しのぶからLINEでヒントらしき文章を送ってくるようになった。そしてメッセージの最後には決まり文句のように、「私、どろんします」という文字とその後ろに付いた忍者の絵文字。
「どろん」って今どき使わないしそんな世代じゃないだろうと思いつつ、ククッと笑った。しのぶがまだ少女だったからだ。
四十になりたてのオジサンと血のつながりのない少女が同棲していると知られたら、社会的制裁を受けることは免れられない。そんなことは分かっている。しかし、しのぶは、ワケありの子なのだ、きっと。
九月でも熱帯夜が多い現代、この日は珍しく涼しい夜だった。
終電で最寄り駅まで帰ってきた俺は上機嫌に酔っ払っていた。勤め先の会社で十月より課長への昇進が決まり、同僚から祝福を込めてお祝いしてくれたのだ。
フラフラしながら辛うじて改札口を通過して家まで歩こうとしたとき、券売機の下で体育座りをしながら顔を両膝に埋めている少女が目の端に映り込んだ。
どの学校か分からない青色のブラウスに赤と白のチェック柄のスカートの制服。その傍らには大きなリュックサック。
酔っていたから幻覚でも見ているのかと思いつつも、フラフラと近づいて行くなり一気に酔いが覚めた。
半袖の制服から露出している左腕には毒沼のような青白い大きなアザ、足の太ももにも同様の大きなアザが。
「ちょ、ちょっと君、どうしたの?大丈夫?」
さらに歩み寄って声をかけた。オジサンが少女に声をかけるのは、何だか憚られたが、大きなアザを見てしまっては放っておくこともできない。
すると、その少女が顔を上げた。顔の頬にも誰かに殴られたようなアザがあった。虚空を見つめているかのような光のない瞳だった。
これはもしかして虐待か何かされ続けて、きっとどこかから逃げ出してきたんだろう。すっかり酔いが覚めた俺が交番に行こうと諭したのだが、少女は首を横に振って立ち上がろうとしない。
弱り果てた俺は、「今夜だけ俺の部屋で休んでくれ。こんなところに置いていけないから」と言うと、ほんの一瞬だが、瞳の奥が輝いたように見えた。
ワンルームマンションという狭い空間の中で、少女はベッドに寝かせ、俺は玄関の小さなスペースで寝た。誰かと同じ部屋で寝ることなんていつ振りだろうか。フローリングが妙に冷たくて気持ちよかった。
ここまでが経緯だったが、一ヶ月経った今もしのぶは部屋に住み着いている。俺が出社中はほとんど部屋に籠っているようで、帰るよとLINEを送るといつも決まってかくれんぼをし始める。
自宅はどこにあるのか、何故家出したのか、そのアザは一体どうしたのか。聞きたいことが山ほどある。しかし、情が移るのは良くないと思い、特に聞かないでおいた。
名前すら聞いていなかった。
かくれんぼが好きだったことから、俺の中で「しのぶ」という名前が定着していた。
一方、このままずっとというわけにもいかず、何度か交番に連れて行こうとしても、しのぶは首を横に振るだけだった。
さらに時が過ぎ、今年も終わりを迎えようしていたある日の帰り道。
いつものようにLINEを送り、いつものように「私、どろんします」と返信が来るかと思っていたが、一向に返信が来ないし、既読にもならない。
おかしいと思いつつ、部屋に到着して電気を付けた瞬間、すぐに状況を察した。
ベッド脇に置いてあった大きなリュックサックがなくなっており、小さな丸テーブルには一枚の紙きれが置かれていた。俺はその紙切れを手に取り確認する。
「私、どろんします」
その後に続く言葉に、「そっか」と独り言をぼそりを零した。
「かくれんぼは、終わりにします」
それから新年になり、小春日和が続き春の訪れを感じさせる頃。
出勤前につけていた朝のニュース番組に目が釘付けになり、口にくわえていた食パンをフローリングに落とした。
「今朝、路上に人が倒れているという通報があり、警察官が駆けつけると、十代を思われる女性が頭から血を流して倒れていたとのことです。女性は救急搬送されましたが意識不明の重体です。県警は事件の可能性があるとみて捜査を続けています」
このニュース内容だけでは判断つかないはずだが、胸騒ぎがした。
もしかして、「しのぶ」ではないかと。
居ても立っても居られず、今すぐにその県警を訪れようとしたが、今だと犯人と疑わられるだろうからとはやる気持ちを静めようとした。それでも俺の心臓を鳴らす音は速くなる一方だった。
それから数日後。犯人が捕まったというニュースを帰りに電車内で知った。
その男は、家出したであろう少女たちを言葉巧みに部屋に誘い、監禁などを繰り返していたとのことだった。幸い、その誰もが隙を見て逃げ出したようだが、被害を受けた少女たちの誰もが通報していなかったことに軽い驚きを感じた。きっとワケありで言えなかったのだろう。
そのニュースの最後に、先日倒れていた少女について、一命をとりとめたという内容が、犯人逮捕という事実に軽く添えただけのように伝えられた。
しのぶかどうか分からないが、俺はその場にへたりこみたいほどに力が抜けた。ここ数日間は気が気でなかったからだ。
近くのコンビニでチャーハンと餃子を買って帰宅した時、ふとそういえばドアの郵便受けを見ていなかったと思い、蓋を開けると沢山の広告やら通知書やらどさどさ落ちてきた。
その中に、かなり分厚い茶封筒が落ちてきたときに、俺の瞳孔が勢いよく開いた。
その茶封筒に入っているもの、それは、現金百万円だった。
薄々感づいていたが、そろそろしのぶは出て行くだろう。
きっとお金に困るだろうからと、貯めていた現金を引き出し、茶封筒に入れてこっそりしのぶのリュックサックに忍ばせていたのだ。
生涯独身を決め込んでいたし、最低限生きていけるお金さえあればそれでいい。このお金で少しでもしのぶが幸せになってくれればと、託したお金。
それが丸々茶封筒に入ったままだった。
その札束を出したとき、ひらりと一枚の紙が落ちた。短い文だったが、それを読んで俺はその場で膝から崩れ落ち、そして目から大量の雫が滴れた。
「短い間でしたが生きてきた中で一番幸せでした。あなたからの恩は一生忘れません。」
俺はあの少女が倒れていたという現場を訪れていた。親族を装い、道行く人に尋ねたところ、ここだと教えてくれた。
一命をとりとめたので、当然花束などは置かれていない。痛みに耐えながら何を思っていたのだろうか。
どこの病院に入院しているのか、見当もつかない。
以前のようにLINEでヒントが送られてくることも、ない。電源が切れているのか、電話は繋がらないままだ。
そもそもこの被害者は、しのぶじゃないかもしれない。
でももう一度逢いたい。
今回はノーヒントだけど、きっと見つけてみせる。
「私、どろんしています」
ぽかぽかした陽気の中を春風が通り過ぎた時、俺の耳元でしのぶの声がそっと囁いたように感じた。
■今回の掌編小説は以下のマガジンに収めています😌
■小説専門マガジンに参加中です✨️
■創作系メンバーシップ「虹色創作部」に入部しています🍀
この作品は、甘野充さん企画参加作品です。
今回のタイトルは、【私、どろんします】でした🥷
今年になり初参加です😌
最近は別の小説投稿サイトで連載小説に挑戦中なので、短編が上手く書けなくなってきているように思いますが、お題企画等を通じて少しずつ感覚を取り戻そうと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました🍀
