感性が乾ききる前に|夜の独り言
今日、移動時間にnoteを開いて、たまたま見つけたとらねこさんのこの記事。
その中で、とらねこさんがこんなことを書いていた。
長く続けていれば魅力的になれる?
いや、違うよ。
ただ繰り返すだけの時間は、
時に心を麻痺させる。
慣れは恐怖を奪ってくれるけれど、
同時に瑞々しい感性も奪っていく。
4月28日に、noteを始めて丸2年が経過する。
最近は、とらねこさんが言うとおり、「瑞々しい感性」が徐々に失われてきているように感じている。
これまでずっとnoteで好きなように書いてきたけど、好きなように書いてきたことを、ただ繰り返してきただけではないだろうか。
いつも読んでくれるクリエイターさん。
いつもスキを押してくれるクリエイターさん。
いつも肯定的なコメントを添えてくれるクリエイターさん。
この世界で、ただ繰り返し書いてきた物語を、noteの住人たちが優しく迎え入れ、そしてそっと包み込んでくれる。それが嬉しくていつも感謝している。
2年が経とうとしている現在は、たまに書いてもそれなりに読まれるようになり、そして今でもフォロワーさんが増え続けている。
でも、それはあくまでnoteの世界でのこと。
その世界から一歩踏み出すと、また違った世界が広がっていた。
noteでの2年間。
フォロワーが2000人近くいたとしても、沢山のスキがつくようになっても、異なる世界に踏み入れた瞬間、全くの無名で、大海原でどれが誰なのか見分けがつかない、溺れてもがく「アリ」のような存在に感じた。
noteで2年も経験を積めば、どこでもやっていける、クリエイターとして魅力的になっている、作家として大成する、と思ったら大間違いだ。
これまで自分がnoteでせっせと築いてきたものは、強い風が、フッと吹いたら、瞬時に崩れ去る「砂の城」なのではないか。
その漠然とした不安が、昨年からずっと続いていた。
そして、違った世界へ足を運ぶと決心したのは昨年末。
もっと早く行動すればよかったと少々後悔した。
けれども、これ以上先延ばしをしたところで何も良いことがない。ただ単に繰り返す時間では何も変わらない。
失敗してもいい。失敗を恐れていては、何も学べない。
たとえ自分の作品が認められないとしても、見向きもされないとしても、この世界から一歩踏み出す。それすらしないなら、何も変わらない。
完成を目指して歩いているようでいて、
実は「完成しないこと」を学んでいるのかもしれない。
だから、noteとは違った世界に飛び込んで、永遠に「完成しないこと」を学び続けたい。
そして、大海原に出て、この2年の間で乾きつつある自分の感性に潤いを取り戻したい。
