ノイズキャンセリング|ショートショート
昔から「音」に敏感だった。
幼いころからとにかく騒がしいもの全てが嫌だった。
この世界は「ノイズ」だらけ。
ノイズなんて煩わしいだけで、そこに「愛」なんて微塵も感じられない。
そんな煩わしい世界の中で、唯一癒やされたものといえば「ピアノ」。
ずっとピアノから奏でる音色を聴いていたいがために、毎日落ち着かない自宅から逃げるように近所のピアノ教室へ通っていた。
一心不乱にピアノを弾く。
このノイズだらけの世界をピアノの音でかき消したいために。
思春期を迎えたワタシの心が、親からの干渉によってズタズタに切り裂かれていた中学生の頃。
長年使っていたイヤホンが壊れたため、早急に新しいイヤホンが買いたかったが、近くの店だと同級生の間でお化け屋敷と呼ばれているあの古びた雑貨屋しか思い浮かばない。
仕方ないのでその雑貨屋へ自転車を漕ぐこと約五分。
見るからに奇妙なモノが出そうな佇まいの店。
外側は全てツタで覆われており、窓がないため中が確認できない。
店のドアノブに手をかけ、恐る恐る回した。
いかにも出そうな音を立てながら開く。
「ごめんください」
店内には雑貨がところ狭しと置かれており、オシャレな西欧風の時計や武士の形をしたからくり人形など、アンティーク好きなら目を輝かせるに違いない。
ーーイヤホンなんてあるかな
辺りを見渡したところ、ある陳列棚の木箱に目が止まった。
何だろうと思い、その木箱の蓋を開けてみたところ、偶然にもイヤホンが収められていた。
「あのー」とワタシは店の奥に声をかけたが人の気配がしない。
どれだけ待っただろうか。
その間、店内は何ら音がない世界に包まれていた。
ノイズ世界に溺れていたワタシにとって、この静謐な空間に心が洗われた。
そんな世界を味わっていると、ふと後ろに気配を感じた。
ゆっくり振り向くと、そこには小柄な白髪の老婆がニコニコしながら佇んでいた。
それから十年の月日が経ち、
ワタシは世界で権威のある国際ピアノコンクールで優勝を果たした。
その快挙に複数のメディアが実家へ押し寄せてきたが、そこにワタシはいなかった。
ワタシはというと、地中海沿岸にある小さな街でひっそりと暮らしていた。地中海が一望できる部屋の椅子に腰掛けて、手にしたイヤホンに目を向けた。
あの日、お店の中で振り向いたときに佇んでいた老婆は店主だった。
「これ、いくらですか?」
しかしワタシの問いかけに頷くだけの老婆。
そして、訝しげな顔のワタシが手に持っていたイヤホンを受け取るとそれを自身の耳に入れた。
「わたしゃこのイヤホンがないと聞こえないもんでね」
「耳が聞こえないんですね。でも何故そのイヤホンをすると聞こえるんですか?」
「これは不思議なイヤホンでな。自分が外の音を聞きたいときだけつけると耳が聞こえるようになるんじゃ」
「お婆さんのように耳が聞こえない人にとっては便利なイヤホンですね」
「じゃがな、耳の神様に「あるモノ」を捧げなければならんのじゃ」
不思議そうな顔をしたワタシに、老婆はゆっくりとした口調で語り出した。
このイヤホンを手に入れてから間もなく、ワタシは聴きたい音以外の音を「遮断」した。
ピアノの演奏のときやクラシック音楽を聴くときだけイヤホンをつけた。
母は、ワタシが突然聞こえなくなったことにショックを受けていたが、ワタシにとっては煩わしいノイズさえなくなればそれで良かった。
イヤホンを装着し、窓を開けて日差しが反射してまばゆい光を発している海を眺めた。
小鳥のさえずりや街中を行き交う人々の会話や生活音。
悠久の時を経ても変わらず生き続けている心地よい音。
ーーこの街は、「愛の音」で溢れている
ワタシは部屋にあるピアノで、エルガーの『愛の挨拶』を弾き始めた。
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