虜にする瞳|掌編小説 #アカリウム創作大賞
ーー君の瞳は、僕のものだ。誰にも渡しは、しない
一枚の写真を見ながら、キャンバスの上を一心不乱に油を塗りたぐる男の顔には、異常なほどに大きな隈が出ていた。ここのところ全く寝ずにいたからだ。
これまで社交的で誰からも好かれ、将来を嘱望されていた画家の卵が、この一枚の写真に出会ってしまってから、人生が大きく狂っていた。
しまいには学校にも顔を出さずカーテンを閉め切った暗い部屋で、この写真とキャンバスだけを簡易ライトで照らし、血走った眼で油を塗りこんでいく。
ーーあとちょっとだ、あとちょっとで完成だ。この瞳は、僕だけのものだ
男はその写真を手に持つ。
その手は小刻みに震えていた。
「そっか、そうだよね。君も僕に描いてもらって嬉しいんだね」
その写真の人物が表情に笑みを浮かべたように見え、青ざめた顔をした男はかすかに口角を上げた。
***
妻の香奈子が、新聞屋から地元の県立美術館のチケットを入手したからどうしても行きたいというので、長年勤めた会社を定年退職して暇を持て余していた俺は暇つぶしに付き合うことにした。
何か有名な画家の展示でもやっているかと思ったが、こんな片田舎の美術館に有名な画家の展覧会なんてやるわけもなく、香奈子が言うには画家の卵たちが出品している展覧会とのことで、ますますテンションが下がる。
ーーとりあえずテキトーに眺めてさっさと退館して外でタバコでも吸っていればいいや
受付で手続きを済ませ、香奈子とともに入館してすぐに一人でスタスタと歩き始めた。
「ちょっと、もっとよく作品観なさいよ」
香奈子の批判めいた言葉が耳に入ってきたが、お構いなしに作品をチラ見する程度で歩きを止めない。
田舎の美術館で平日。他には誰も客はいないようだ。
この地に似つかわしくないほどの立派な美術館を建てたのに、こんな客が少ないなら当然大赤字だろう。俺たちが払ってきた血税をなんだと思っているのか。
いくつの作品を流しながら観てきたが、ある作品の前に差し掛かったときに足を止めた。
そこには、林檎を丸かじりしている、あどけない顔をしたセーラー服の少女の油絵が飾ってあった。
あったのだが、どういうわけかこの絵画だけロープが張られており、『中に入らないでください』という注意書きがロープに括りつけられていた。
絵画とロープとの間の距離は、ざっと三メートルはあるだろう。そこまで大きな絵画ではないため、近くで観ないと詳細が分からない。
この絵の前で、俺はあれこれ考え出した。
ーーなぜこの子は皮もむかずに林檎にかじりついているのか、その林檎は甘いのか、酸っぱいのか、旨いのか、不味いのか、なぜカメラ目線なのか、そもそも何でこんな離れたところから観るようにロープが張られているのか
そのロープの手前に書いてある題名と作者を確認する。
『林檎を丸かじりする少女 作者不詳』
俺は視線を改めて少女の絵に向けた。
一見、どこにでもいそうな少女だが、その瞳は何やら本物のように輝いており、俺はその瞳に釘付けになった。
ーーなんという、なんという瞳をしているのだろうか。こんな瞳、見たことが、ない
一歩、また一歩。その少女に向かって歩き出していた。
その少女に触れようとしたその時。
「お客さま、お客さま」
その声にハッと我に返り振り向くと、そこには美術館の者と思しき若い女性が立っていた。
「そこは立ち入り禁止でございます」
「あ、あれ?いつの間に」
俺は無意識にロープをまたぎ、目の前にある絵画に触れようとしていたらしい。らしいとしか言いようのないほど俺自身に自覚がなかった。
「申し訳ございませんが、今すぐにロープの外に出てください」
その女性の後ろから香奈子がやってきた。
香奈子は呆れた表情で「もう恥ずかしいことはやめてください」と顔を赤らめながら非難し、女性に対して何度もお辞儀をしながら謝った。
俺はこの女性に、一つの疑問を投げかけた。
「この絵だけ何でこんなロープを張っているんだ?これだと絵がよく見えないんだが」
俺からの問いに、女性はこの人気のない殺風景な美術館にマッチするかのような冷めた表情をしながら、そっと呟くように言った。
「それは、お答えできかねます」
***
休日でもそこまで来館者が多いわけではないので、平日なんてほとんどいないに等しい。閉館間際には誰一人来館者がいなかった。
時計の針がそろそろ閉館時間を指そうとしていたので、『本日は閉館いたしました』と書かれた小さな看板を入り口前に持って行こうとしていたところ、
「氷川さん、今日もご苦労さま」
後ろから聞き慣れた声がしたので、ワタシは振り向くなりフッと表情が緩んだ。
「館長、今日もお疲れ様でした」
「君が毎日来てくれるからホントに助かるよ。タキさんが入院したと聞いた時は、当面閉館しないといけないかなと思っていたんだよ。こんな田舎だと人手が足りないし、年寄りが多いからね。そんな私ももう八十近いわけだしいつ倒れてもおかしくないわ」
「いえ、館長にはずっと元気でいてもらわないと、この美術館は誰が面倒見るんですか」
「フォッフォッフォッ」と館長と呼ばれた老人が口ごもった笑い声を出す。
ワタシはその笑い方に思わずクスリとしたが、すぐに真顔に戻した。
「ところで館長。あの絵のことですが」
「え?ああ、あれね」
「今後は、展示するのを控えた方がよろしいかと思うのですが」
「やはりそうかの……」
これで何人目だろうか。
こんな田舎の美術館だからいいものの、仮に来館者が多い東京などの美術館で展示したものなら、大惨事になりかねない。
あの『林檎を丸かじりする少女』を展示してから、今日の来館者のように「少女」に心を奪われ、我を忘れてしまいそうになる者が後を絶たない。
「あの絵って、たしかお孫さんの……」
「そうそう、あれは孫の形見なんだ。だから、アイツを弔おうという意味も込めて展示したんだがな」
「お孫さんのこと、ご愁傷さまです」
「フォッフォッフォッ、氷川さん、その言葉、この前聞いたよ」
「いいえ。お孫さんの最期を聞いてから、ちょっとあの絵が気になってしまいまして」
「まあ、他人から見たら「いわくつき」にしか思えんからの」
館長の孫は、二十歳の美大生だった。
人当たりがよく授業も真面目に出席し、成績も優秀。将来が楽しみな若者だった。
そんな彼が、ある日突然学校に来なくなった。
仲の良い友人たちは、当初、課題で出されている油絵の制作に没頭しているんだろうと、彼に連絡をしなかったようだ。
しかし、一週間経っても全く顔を出さないことに不審に思った友人の一人が連絡するも応答がなく、何かあったのかと察した友人は彼の部屋があるアパートに行くと、部屋の中でうつ伏せになって倒れていた彼を発見したのだ。
その死に顔は、同じ人間とは思えないほどに青白く、目の下の大きな隈がくっきりと浮かび上がっており、死後数日が経っていたことで身体の一部が腐敗し始めていたそうだ。
そして、その彼の傍に立てかけてあったキャンバスには、あの『林檎を丸かじりする少女』が描かれていたという。
「お孫さんが描いたあの少女。あの瞳を見つめているとどんどん気持ちが吸い込まれていくような感覚になります。今では怖いのであの瞳とは目を合わさないようにしています」
「何か不思議な力が宿っているのかの〜」
「とても悪い気を持っているように思います。ワタシはこの絵は展示を避けた方がいいと思いますが、館長のお孫さんの最期の作品でお蔵入りさせるのが忍びないのであれば、一度『水洗神社』でお祓いしていただきませんか?」
「フム……」
館長は右手を顎に当て、思案している素振りをしながら、館内の奥にあるあの絵の方角へ視線を向けていた。
***
「えーっと……これ、ですか?」
「はい、何か憑りついているようでして。でも館長の大切なお孫さんが亡くなる前に描いた作品なのでこれからも美術館に展示しておきたいんです。どうかお祓いしていただけませんでしょうか?」
「はあ……」
相談相手の女性に向かって気のない返事をしたため、相手の表情には明らかに不快感が混じっている。しまった、いつもの悪癖が出てしまった。
ーーコレねえ……
目の前に置かれている『林檎を丸かじりする少女』と題名が付けられたその油絵を見て、ワタシはあることを言い出そうとするも、力づくで押し止めた。そんなこと言ったらどんなハレーションが起こるか分からない。口は災いの元と言うではないか。
「あの〜、何かお祓いできない理由がおありでしょうか?」
ボーっと絵を眺めていたワタシを、相談相手が怪訝そうな顔で問いかけてきたときに我に返るなり、
「い、いいえ、そういったお祓いもできると言えばできます、はい」
「ではお願いしてよろしいでしょうか?」
「は、はい」
ココロの中とは裏腹に、はいと答えてしまった。
もう一度絵の少女に視線を送る。
言いたい。
言いたい言いたい言いたい言いたい言いた~い。
この絵の少女……、実は、ワタシなんですよ、と。
当時と多少は顔の形が変わっているかもしれないけど、パーツはそれほど変わっていない。この女性はそのことに気づいていないんだろうか。
まあ気づいていないならいないでそのままにしておこう。
それにしてもまさかワタシのところにこんな形で返ってくるとは思ってもみなかった。
あれはもう二年ほど前のこと。
当時、中学三年生だったワタシが、毎年、ここ水洗神社の境内で開かれる夏祭りに、ここの神主の娘として、いつもの巫女姿であれこれと手伝いをしていた時に久しぶりに逢った、三つ年齢が離れた憧れの男の先輩。
ワタシは、その頃から盛り出した思春期と夏祭りの雰囲気が掛け合わさったことで、人気のない場所でその先輩とこっそりキスをした。
ファーストキスだった。
その後、何度かデートを重ねてきたある日。見てはいけないものを見てしまった。その先輩が他のオンナと肩を寄せ合いながら、あろうことか、ワタシの家である水洗神社の境内で歩いているところをがっつり目撃したのだ。
人は深く悲しんだ後、その何倍もの怒りがこみ上げてくるものだ。
ワタシは先輩が「この写真可愛いね」と言われた林檎を丸ごとかぶりついた写真に、この神社の秘術を仕込み、先輩とのデートの際にカレがその場を外した隙をついてそっとカバンの底に忍ばせたのだ。
水洗神社の秘術。
それは、狂おしくなるほどに虜になる秘術。
その後、先輩は東京の美大へ進学するため、この地を離れて行ったが、それから二年後にこんな最期を遂げていたなんて。
ーー秘術が効きすぎたか
ため息を吐き出しそうになるが、相談相手にまた不快感を与えるわけにはいかない。咄嗟に欠伸をした。
「え?欠伸?」
「あ、ああ。最近何かに取り憑かれていて夜中に悩まされていまして〜あはは……」
苦し紛れに放った言葉に、眉間に皺を寄せる女性。
確か『氷川』と名乗ったこの女性は、名前のとおり冷ややかなオーラを纏っている。こういったタイプの女性、一番苦手なんだよなあ。
それにしても。
ーー先輩、死んじゃったのか……
憎しみで命まで奪うつもりは毛頭なかった。
ただ、ワタシの深い悲しみに気づいてほしかっただけなのに。
ワタシが原因でワタシの生霊が宿ってしまったこの絵を、ワタシ自ら浄化しなければならないなんて、冗談にもほどがある。
しかし、先輩以外にも秘術で迷惑をかけるわけにもいかないし。
先輩に対する罪滅ぼしとしてやるとするか。
絵に描かれていた本物に見間違えそうなほど洗練された林檎を見る。
口の中で自然と甘酸っぱさがどんどんと溢れてきた。
「このときに食べた林檎、美味しかったな~……」
「はい?」
「あ……いや、この子ったら皮ごと丸かじりしちゃって、よほど林檎が好きだったんでしょうね~」
■今回の掌編小説は以下のマガジンに収めています😌
■小説専門マガジンに参加中です✨️
■創作が泳ぐ水族館に入館しています🐬
■創作系メンバーシップ「書き手応援メンバーシップ」に加入しています✨️
この作品は、赤髪のあかりさん企画【アカリウム創作大賞】応募作品です。
🐟 【スケジュール】
・本日より開催スタート🔥
・7月11日(土) 投稿締め切り
・7月18日(土)まで に個人賞&大賞を発表!
・大賞の独占紹介記事は、各クリエイターのペースでOK(発表から2週間以内をお願いするね)
先日、創作大賞2026の応募期間が終了し、自分が応募した作品が期間内に無事に完結できてホッとしていたところ、あかりさんのこの企画が目に入り、下書きのままお蔵入りしていた作品をリニューアルしていたら、当初と全く異なる話に変わりました。
とりあえず下書き中の作品が一つ減ってスッキリしました(笑)。
あ、リニューアルしたこの作品は、自分ながらに上手くまとめられましたので、手を抜いていません🙄
あかりさんを始めとした企画運営の皆さま、この度はステキな企画をありがとうございました✨️
応募期間ギリギリの参加ですが、読んでいただけたら嬉しいです😌
ここまで読んでいただきありがとうございました🎵
