「大人が決めた方が早い」と嘆く効率主義の三流保育者へ。プロは「面倒くさいクラス」をあえて創り出す。
「子どもたちで話し合わせると、全然決まらなくて時間がかかるんです」 「結局、私がパパッと役割を決めてあげた方が、スムーズに活動が進むんですよね」
もしあなたが、こんな風に「効率」や「スムーズさ」を優先して保育を回しているなら、今すぐそのタイパ(タイムパフォーマンス)至上主義を捨ててください。 はっきり言います。 大人が全部早く決めてしまうその「スムーズな保育」は、子どもから自ら考え、調整する機会を根こそぎ奪い取る、ただの「ベルトコンベア式の作業」に過ぎません。
スムーズなクラスは、子どもの「主体」が死んでいる
もちろん、現場のリアルな事情は痛いほど分かります。 誰が何をするか、どう進めるか。大人がルールを決め、大人が指示を出した方が、圧倒的に早いです。トラブルも起きないし、クラスは静かに、綺麗にまとまります。
けれども、その「綺麗に整った場面」の中で、子どもは育っているでしょうか? 彼らはただ、大人が敷いたレールの上を、脱線しないように歩いているだけです。そこに「共主体(共に創り上げる主体性)」は1ミリも存在しません。 大人の都合(スケジュール)を守るために、子どもの主体性を生贄にしているだけなのです。
共主体のクラスは、猛烈に「面倒くさい」
本気で共主体を育てようと舵を切った時、覚悟しなければならないことがあります。 それは、クラスが少し(いや、かなり)「面倒くさい状態」になるということです。
共主体のクラスでは、何か一つを決めるのにも膨大な時間がかかります。 「僕はこれがやりたい!」「私は絶対こっちがいい!」と意見が真っ向からぶつかり合います。一度決まったルールも、「やっぱりうまくいかない!」と何度もやり直しが発生します。 活動の途中で急に手が止まり、みんなで集まって侃々諤々の話し合いが始まり、また散っていく。
外から、あるいは古い価値観を持った大人から見れば、「なんて落ち着きがないクラスだ」「先生のまとめ方が下手なんじゃないか」と非難されるかもしれません。
大人が「整えない」から、子どもが「整える」
しかし、プロの保育者はその「面倒くささ」を愛し、誇りに思わなければなりません。 なぜなら、その一見カオスに見える泥臭い時間の中にこそ、子どもたちの「本気の思考」と「他者との共同調整」がギュッと詰まっているからです。
保育者がすべてを綺麗に「整えすぎない」からこそ、子どもが自分たちの手で世界を「整える」経験を持てるのです。
大人が「こうしなさい」と交通整理をしてしまったら、子どもは一生、他者と意見をすり合わせる痛みを伴うプロセス(民主主義)を学ぶことができません。 面倒くさい話し合い。面倒くさいやり直し。面倒くさい仲直り。 この「面倒くさい」を徹底的に保障することこそが、私たちが提供できる最高品質の教育環境なのです。
「効率」を捨て、「育ち」に時間を返せ
今の社会は、すぐに答えが出る「コスパ」や「タイパ」を求めすぎです。 しかし、人間の育ちに「ショートカットキー」は存在しません。
共主体の保育は、効率の保育ではありません。 大人の都合で奪い取ってしまった時間を、「育ちに時間を返す保育」です。
予定通りに活動が終わらなくてもいい。見栄えの良い作品が完成しなくてもいい。 今日、意見がぶつかり合って、涙を流して、それでも「じゃあ明日、もう一回みんなで考えよう」と顔を上げたのなら、それは大成功の保育です。
「面倒くさい」から逃げないでください。 大人がスケジュール帳を閉じ、子どもたちの泥臭いドラマに腹を括って付き合った時、クラスはこれ以上ないほど強靭で、愛おしいチームへと進化するのです。
【追伸】
あなたは今日、子どもの「面倒くさいやりとり」を途中で打ち切らずに、最後まで付き合うことができましたか?
「30分も話し合って結局結論が出なかったけれど、子どもたちの顔は『考え抜いた!』というスッキリした表情だった」 そんな、効率を度外視して「時間に余白を持たせた」最高のエピソードがあれば、ぜひコメントで教えてください。
私は、保育現場の「働き方改革」「組織づくり」に関するコンサルティングや研修も行っています。 「『効率』から『プロセス重視』へ、園全体の保育観を転換させたい」 「見栄えの良い行事をやめ、日常の『面倒くさい育ち』を保護者に発信したい」 そんな覚悟のある経営者・園長先生は、プロフィール欄のリンクから、お気軽にご相談ください。 一番の学びは、「スムーズにいかない時間」の中に隠れています。
