「見本通りに作らせる」三流保育者へ。子どもの制作を「工場作業」から「熱狂する探究」に変えるプロの鉄則。
「今日はみんなで、可愛いカエルの時計を作りましょうね!」
「ほら、先生が作った完成見本を見て。この通りに目と口を貼るんですよ」
保育室で、全員が同じ顔をした作品をズラリと壁に並べ、保護者に向けて「上手にできました」とドヤ顔をしているあなた。 もしあなたが、制作活動を「見栄えの良い作品(完成品)を作ること」だと勘違いしているなら、今すぐその薄っぺらい工作キットをゴミ箱に捨ててください。
はっきり言います。 あらかじめ大人が正解(見本)を用意し、その通りに作らせるだけの活動は、教育ではありません。子どもから思考を奪い、大人の指示通りに動かすだけの「劣悪な下請け工場(ベルトコンベア作業)」です。
「見栄え至上主義」が主体性を殺す
制作活動が「仕上がり(見栄え)」中心になった瞬間、子どもの内面では恐ろしいことが起きます。 彼らは「どうすれば大人が喜ぶ、きれいな作品になるか」だけを気にするようになります。はみ出さないように、失敗しないようにと縮こまり、「先生、これで合ってる?」と常に大人の顔色をうかがう指示待ち人間に成り下がるのです。
「共主体(共に創り上げる主体性)」を育むプロの保育において、制作の目的は「作品づくり」ではありません。 試すことより「上手に作ること」が優先された空間では、子どもの主体性も協同性も、みるみるうちに痩せ細って死んでしまいます。
制作は「表現」であると同時に「探究」である
では、本物の制作活動とは何でしょうか。 それは、絵の具や廃材を使った「自己表現」であると同時に、極めて高度なエンジニアリング(探究)です。
「この空き箱の上に、どうやって丸い筒を立たせよう?」 「この紐をどうつなげば、遠くまで届くかな?」 「どうすれば、ここの関節が動くようになるんだろう?」
プロの保育者のクラスでは、制作の場において「きれい・かわいい」ではなく、「どうすればそれが実現できるか(How)」という強烈な問いが常に前に出ます。 彼らは芸術家である前に、世界の物理法則に挑む小さな発明家なのです。
「見えない協同性」がクラスを包み込む
そして、この探究のプロセスにおいて、子どもたちは決して一人ぼっちではありません。
一見、それぞれが自分の作品作りに没頭しているように見えても、実は水面下で強烈な「共有思考(協同性)」が働いています。 隣のAくんがガムテープの貼り方を工夫して立たせたのを見て、「あっ、その手があったか!」と自分の作品に取り入れる。Bちゃんがハサミで切りすぎて失敗したのを見て、「あそこは切っちゃダメなんだな」と無言で学ぶ。
直接言葉を交わしていなくても、友達のアイデアや材料の選び方、そして「失敗の仕方」から膨大なデータを吸収し合っているのです。これが、共主体の制作における「見えない協同性」の正体です。
「完成見本」を捨て、「試作できる余地」を与えよ
だからこそ、制作の場に絶対に置いてはいけないものがあります。 それが「大人が作った完璧な完成見本」です。見本を置いた瞬間、子どもたちの多様な探究のゴールは一つに縛られてしまいます。
必要なのは、見本ではなく「試作できる余地(圧倒的な自由)」です。
一度くっつけたものを、壊して作り直していい。
用意された素材以外のものを、部屋中から探してきて試していい。
途中で手が止まったら、友達のところに相談(視察)に行っていい。
この自由が完全に保障されている時、制作はただの孤独な作業ではなく、クラス全体で知恵を絞り合う「共同で考える営み」へと劇的に進化します。
大人の皆さん、保護者に見せるための「展覧会用の作品」を作らせるのはもうやめましょう。 私たちが用意すべきは、綺麗な画用紙ではありません。子どもたちが泥まみれ、ボンドまみれになって未知の構造に挑む、熱狂的な「実験室」なのです。
私は、保育現場の「働き方改革」「組織づくり」に関するコンサルティングや研修も行っています。 「『作品展』のための見栄え重視の保育から、プロセス重視の保育へ転換したい」 「子どもが自ら課題を発見し、試行錯誤できる環境構成を学びたい」 そんな覚悟のある経営者・園長先生は、プロフィール欄のリンクから、お気軽にご相談ください。 一番美しい作品は、何度も失敗して破れたガムテープの跡にこそ宿ります。
