吉岡有隆の駄文 七 もし父が令和に生きていたら編
AIにより、人間の娯楽はここ最近かなり増えたと思う。昔は娯楽は、金と時間に余裕のある人間のもので、主に消費型だったと思う。小説を買い読む、映画をレンタルしたり映画館に行き映画を見る、ゲームをやる。
今はAIに仕事を手伝わせて楽をする。まぁ、人件費削減のためにより密度の高い仕事を振られるわけでもあるのだが、昔コーディングを全て自力でやっていた人間からすると今の世の中は楽に感じる。
そして空いた時間と得た賃金でAIサブスクに加入すれば、短時間で作品を生み出す娯楽に触れ、ドーパミンがドバドバと出る短絡人間が出来る、というわけである。
(まぁ、賃金減少と仕事の基礎知識を持つ人間の減少などの個人的な疑問には触れないでおく。)
僕の父親は、僕が二十歳の時に自殺をしている。
父親はイラストを描く事が得意だった。売れないイラストレーターだった。金もなくついに仕事をなくして、僕の母親は父親をヒステリックに怒鳴り、僕を連れて離婚をした。
父親は僕が二十歳になるまで生きていてくれたけど、後半は周囲の台詞や僕に残された借金を考えると、とても満足のある人生ではなかったのかもしれないと思う。
僕は今思うのだが、父親が自殺をしないであと少し長生きをしてくれていたら、ピクシブにイラストをアップして同人交流をしたり、手が震える病に陥っていたとしても下絵を雑にでも描けばAIに読み込ませて遊ぶ事は出来ただろうと思う。
娯楽がありすぎると人間の脳は劣化すると個人的に危惧しているのだが、娯楽を否定され収入にもならずに仲間も見つけられなかった人間には、今の世の中はとても恵まれていると思う。
つまり僕は父親に楽しい人生を送って欲しかった。僕は古き良き時代に惹かれるタイプだが、父親が生きていたら、令和も悪くないぞと言うと思う。
僕は父親を亡くしてから、父親のような人間を増やしたくなく、地元で小さな自助グループを運営した時期もあった。ただ、僕のメンタルもそんなに強くないので共依存が起こる前にその自助グループは解体した。
普段から、どうしたら自殺をなくすことが出来るのかと考える。ちなみに僕自身もうつ病で何年も希死念慮と戦ってきたが、最近は歳を取り落ち着いている。昔のような激しい衝動が起きる事は少なく、穏やかな凪の中を酸素が少ない中生きている感覚だ。酸素が少ないというのは、昔のような情熱が沸き上がっても気力も体力もないという意味でもある。
医者には落ち着いてきた良い兆候だと言われる。個人的には、落ち着いたら時だけが経ち自分の失った時間を悔やむようになった。青春というものも暗い記憶しかない。十代は家庭環境の影響で自身が病んでいても働いていた。二十代は燃え上がるような初めての恋愛も激しく虚しく散った。圧迫面接やパワハラなんて慣れたものだ。残業代の出ない強制的な業務研修? 業務外の対応? 容姿だけで判断をする人間関係? 慣れた。三十代になり変な人間関係は減った。安心感と共に消費された感覚も残る。僕は消費された娯楽か?
大人は若い人間を世代ごとの通称で馬鹿にし、使い捨てをする。人手が足りなくなったら呼び戻す。そして今は三十代が現場に少ないと喚く。せっかくAIが世に浸透してきたのに、AIに仕事を振り人間が楽に生きられる長期的な生き方を捨て、短期的に企業の得になるように人件費を減らす。そんなことをしたらせっかくAIが出ても、人間は労働で苦労するだけだ。
何故こんな世の中なのか問いたい。
話は戻るが、僕は将来福祉関連の職に就くか老後ボランティアにでも参加し、命のでんわのようなサービス提供者になりたいと思っている。
勿論簡単なことではないし、AIが復旧した今、その業務は減るのではないかと思う。だが最終的に人間を救うのはAIではなく人間であると信じていたい。これは個人的な期待なのだが、人間が人間に優しい社会にもっとなればいいのになという願いがある。
今の日本人はAIに悩み相談をする人が増えているらしい。だけど、人間に言えない事や偏見の目で切り捨てる人間がいるからだと思う。それを人間がどう対処していくのか、そこに視点を向ける事が出来るか、人間が人間にどの程度優しくなれるのかと考える。
ところで、僕は父親に似てイラストを描く事が得意だったのだが、父親に似た僕を気持ち悪がった母親に、子供の頃に絵描きをやめてくれと言われた。
大人になり自由を得て、僕は母親の呪縛をいつ解く事が出来るのだろうかと思う。今も絵描きが怖い。心の底から楽しいと思えなくなり、絵を描こうとすると自己否定と嫌悪感を感じる。昔と比較し劣った絵の才能も劣等感と絶望を感じる。
そして思う。僕は既に死んでしまった父親の事ばかりに目を向けて、自分の事をないがしろにしていたのではないかと。
今、僕が絵描きを楽しめるようになるのなら、ネットで同じ趣味を持った人と繋がり、昔の楽しさを思い出させてもらえばいいのではないかと。
父親を救う事は出来なかったし、父親が生きていたら「こうしたら?」「こうしたらきっと楽しいよ」と言いたかった事を、僕は今自分にしてもいいのではないかと思う。
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【エッセイ】吉岡有隆の駄文ラボ
ドM気質とこじれた家庭環境、メンタルの凸凹、在宅フリーランスの日常、そして嫁という最終寄生先。そんな素材を「駄文」と称して実験的に書き続け…
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