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「普通に考えればわかるでしょ?」は僕の嫌いな言葉。

「普通に考えれば、わかるでしょ?」

人生で幾度となく、言われてきた言葉だ。
本当に何回言われたかわからない。
僕は、この言葉が嫌いだ。

過去の大帝国のように、日常を送っていた僕の心を我が物顔で侵略する。
言った当人にその自覚はなくとも、僕にとってはそういう言葉だ。
あなたにとっての普通は、僕にとっての普通じゃない。
そんな言葉が、喉の奥からこみ上げてきそうになる。
僕にはそれに思い至る能力がない。それを指摘されるだけならこちらも申し訳ないという気持ちにしかならないが、「こんなこともわからないなんて、頭がおかしいのか?」という意図を言外に孕んだ、この言葉が嫌いだ。

そして、この言葉を嫌う自分のことが、大嫌いだ。
言外の意図を勝手に勘ぐって傷つくような、繊細な心を持つ自分。
自分の能力がないことを棚に上げて、指摘されたことをナチュラルに責任転嫁してしまう自分。
僕にとっての普通が、あなたにとっての普通じゃないということを考えられずに拒絶する自分。
配慮を求めている自分。
そのすべての自分のことが、嫌いで嫌いで仕方がない。

僕の中に、相対するふたつの心がある。
そして、それを愛してやれたらどれだけいいかとも思う。
愛して、受け入れて、認める。
僕の人生上、圧倒的に足らない経験であり、能力だ。
この欠点のどちらかに偏って、否定することもせず、肯定することもせず。
ただ、自分はこう思っているのだと自覚すること。
それが、自分の欠点を克服するために必要なことなんじゃないだろうか。

好きな漫画のキャラクターが「納得はすべてに優先する」と言っていた。
自分の欠点を自覚し、理解して、納得することでしか、前には進めない。
僕は賢い人間じゃないから、納得せずに前に進むことはできない。
理不尽な扱いを受ければ、そこに納得はなく、僕はその場で停滞することになる。

だから、僕は納得したい。
自分がなぜ、この言葉が嫌いなのか。きっかけは?どういう心の動きが起こっているのか?
そのすべてを解き明かして、その果てで納得したいのだ。

普通に考えたら、こんなことは非効率的なのかもしれない。
割り切って、自分が納得いかなくても現実的な選択をするべきかもしれない。
でも、僕は普通じゃないのだ。それは、悲しいけど事実だ。
ならば、普通じゃなくても生きていける方法をとる。それが、どんなに遠い回り道であったとしても。
それが、普通じゃない僕が考えてわかることだ。

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