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ごはんの不思議について

自分でつくるごはん(料理)は正直美味しい。
食べたいものを作るし、素材も調味料も厳選しているし、
家庭菜園で採れたとか、野のものを使うとか、果てしなく自分好みにできるし、四つ脚は扱わないし、体調に合わせるし、
自らが整っている時はアイデアも良く美味しいものを作る。

それでも、他人様の作ったごはん(料理)はもっと美味しい。
それはCSにとっては、普段から合成香料を使わないとか、ジャンクでないとか、注射NGとか、そういう意識の共有が出来る他人様であるのだが、
兎に角、自分以外のアイデアがそこにあったり、何より自分と少し異なる人生、波動を取り入れるという意味において、味覚が作動するようなのである。

つまり食とは、食材も調味料もそうだが、作り手も含めて、波動を頂くということに他ならない。
私が素材にこだわるのは、
味覚や感性、身体の為以外にも、自分自身の為に作ることで波動をぐるぐる自分の中で廻す状態から一段高いところに抜けさせる意味も大きい。素材、調味料の作り手の波動がそこにあるから。

私が離婚する際に父母が話してくれたことがある。それは
「家族とは、ごはんを一緒に頂き団欒することだよ。」
ということ。
つまりそれが叶ってなかったことが別れに繋がったと。

確かに我が実家では子供の頃、
父は仕事で帰りが遅かったけれど、祖父母と母と弟と必ずしっかり夕食を共にした。
祖父はテレビを消させて、
食べてる間、祖父の人生の大きな経験について話した。
食事が終わると宴会になり、みんなで歌ったり…家庭内ライブが毎日あった。
いくら昭和の50年頃といえども、その頃のどの家庭もそうとは限らないから、うちは幸せだったんだろう。

つまりニンゲンの食とはそれらをひっくるめて、釜の飯を共にすることなのだろう。人生とそれぞれの波動を老若男女みんなで分かち合うこと。

昭和が終わる頃、水も安心して飲めない世界になった。添加物がどんどん増えた。家族の団欒も壊れて、コンビニが流行った。
宣伝によって変な清潔思考が蔓延し、柔軟剤などの毒物が嗜好品のように扱われ、どうかしてる世界になった。しかもじわじわとそうなったから気づく人が少なかった。
五感も壊れていくが、皆総倒れだから気付かなかった。

しかし、もうそれも過去になりつつある。
311の傷みの後、人々の間に目覚めのイナヅマが走った。それでもまだまだだった。まやかしも同時多発だった…幼かったのかもしれない。それから567の人為的脅威期間を経て時が少し流れ、沢山のトラップを越えながら、あきらかに人々は元来の野の感覚、地球の山と海の感覚、宇宙の感覚を取り戻しつつある。
それもそのうち少数派から、大多数になっていくだろう。
ごはんの本来の意味が戻る世界がこれから新しく始まってゆくだろう。
家庭、私のように家庭が難しい人なら友の集まり、村もそう。
大きなところから、上から押しつけられるのではなくて、小さなところから平らに広がってゆく。
ごはんがそうであるように、波動の共有から始まってゆくだろう。

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