シンクロニシティを起こすには。
偶然なのか、奇跡なのか。
それは誰にもわからないし、もしかしたら一生わからないままなのかもしれない。
出来事には必ず理由があると考える人もいるけれど、私は必ずしもそうは思っていない。ただ、意味があるかどうかは別として、重なる瞬間というものが確かに存在していることだけは知っている。
今日は、なぜかドリカムが聴きたくなった。
特別なきっかけがあったわけではない。
街で流れていたわけでもないし、誰かが話題にしていたわけでもない。
それでも、ふと頭の隅から浮かんできた。
思い出そうとしたわけでもないのに、向こうからやってきたような感覚だった。
理由はない。
でも、確かに浮かんできた。
私はこういう感覚を、ずっと大事にしている。
説明はできない。
けれど、「何かが動く前の気配」のようなものを、これまで何度も経験してきた。
静かな違和感。
わずかなざわめき。
言葉にするほどではないけれど、無視できない感覚。
今日は「嵐がくる」だった。
朝、なんとなく再生した。
そして、なんとなく止めなかった。
一度で終わらず、また最初から流した。
気づけば何度も繰り返していた。
十回。
二十回。
たぶん三十回。
懐かしい曲は他にもある。
もっと有名な曲も、もっと好きだった曲もある。
それなのに、今日はなぜかこの曲だけが離れなかった。
どうして今なんだろう、と少しだけ考えた。
歌詞が、妙に奥まで入ってくる。
若い頃に聴いていたときとは、受け取り方が違う。
同じ言葉なのに、違う温度で響く。
外で嵐が来るのか。
それとも、自分の内側で何かが動いているのか。
そんなことを思いながらスマホを開いたら、『嵐とドリカムの公演が重なってホテル不足』、というニュース記事が出てきた。
理屈では何もつながっていない。
統計的に見れば、ただの偶然だ。
でも、こういう重なりがあると、私はつい足を止めてしまう。
不思議だな、と。
そして同時に、どこかで「そろそろ動け」と言われているような気もする。
ビオトトノも、そうだった。
土と腸には相関があるとうっすら感じていたものの
確信を持てるものはなかった。
しかし、たまたま行った沖縄で、
たまたま立ち寄った道の駅に置いてある商品を見た瞬間に
頭の中に雷が落ちた。
でも、
ビジネスにしようなんて、そのときは思っていなかった。
振り返って考えてみると
そこからさらに湧き出てくる「なぜか気になる」を放置しなかった。
何度も調べたし、たくさんの時間をかけた。
簡単には形にならなかった。
その積み重ねが、今になって線になっている。
計算じゃなかった。
戦略でもなかった。
ただ、無視しなかっただけ。
執念にも似た情熱だけが、わたしを突き動かし続けた。
でも今は、その小さな声が本当に聞きづらいと感じることもある。
情報が多い。
正解も多い。
専門家も多い。
何を食べるべきか。
何を避けるべきか。
どのサプリがいいのか。
どの方法が正しいのか。
答えは外にいくらでもあるし、
外を見続けていると、内側は静かに消えていく。
それに、腸活迷子、という言葉を使っているけれど、もしかしたら私たちはもっと広い意味で迷っているのかもしれない。
体の迷子。
思考の迷子。
選択の迷子。
足すことばかり考えて、整える前に詰め込む。
足りないから、もっと足す…
不安だから、もっと探す…
でも整うって、足すことじゃない気がする。
少し引くこと。
少し静かにすること。
少し薄めること。
自分で選んだものだけを、重ねること。
誰かが正しいと言ったからではなく、
自分が「なぜか気になる」と感じたものだけを。
今日、私はただ同じ歌を聴いていた。
何も生産していない時間だった。
何の成果も出ていない。
でも、どこかが緩んだ。
考えすぎていた頭が、少し静かになった。
嵐はものすごいパワーを持っている。
止まっていた空気を動かす。
淀んでいたものを流す。
痛みもあるかもしれない。
でも、停滞よりはましなのかもしれない。
だから、内側に嵐が来るのは悪いことじゃないのかもしれない。
最後に一つだけ。
本当は、腸活が必要なんじゃないとずっと思っている。
腸活が必要になった世の中のほうが、少しおかしいんだろう、と。
本来は、特別なことをしなくても整っていたはずのものが、
わざわざ「活」をつけないといけない状態になっている。
それ自体が、どこか歪んでいる気がしている。
だから私は、腸活を売りたいのではなく、
腸活がいらない世界を、本当は望んでいるのかもしれない。
