ディヴィッド・ライマー事件は「性自認の存在」を証明したのか
ディヴィッド・ライマー事件について、次のように説明する人がいます。
男性として生まれたライマーを女性として育てても、女性にはならなかった。
それは、ライマーの心の中に、生まれつき変更不能な「男性の性自認」が存在したからだ。
しかし、これは事件によって観察された事実ではありません。
観察されたのは、あくまで、
男性を幼児期から女性として育てようとしたが、女性として定着させることには失敗した
という事実です。
そこから「身体とは別の男性の性自認が存在した」と結論するには、さらに別の証明が必要です。
ジョン・マネーの「ジェンダー・アイデンティティの門」
この事件を理解するには、ジョン・マネーが何を研究し、何を仮説としていたのかを確認する必要があります。
マネーは、インターセックスの子どもたちの臨床例を研究し、人間は出生時には心理性的に未分化であり、幼児期の一定の時期まで「ジェンダー・アイデンティティの門」が開いていると考えました。
男女どちらとして一貫して育てるかによって、子どもがどちらの門を通り、どちらの性別に関するアイデンティティを形成するかを制御できる、という仮説です。
マネー自身は、ライマーについて次の趣旨を述べていました。
正常に生まれた子どもについても、ジェンダー・アイデンティティの門は出生時には開いており、少なくとも出生後一年以上は開いたままである。
つまり、ライマー事件は最初から、
幼児期の性別割り当てと養育によって、男性に女性のジェンダー・アイデンティティを形成できるか
を試す事例だったのです。
仮説どおりの条件が与えられた
ディヴィッド・ライマーは、インターセックスではありませんでした。生物学的に明確な男性として生まれました。
しかし、乳児期の包皮切除手術で陰茎に重大な損傷を受け、その後、マネーの助言によって女性として育てられることになりました。
仮説を実現するために、次のような介入が行われました。
* 幼児期に女性として割り当てる
* 女性名を与える
* 本人に出生時の事実を知らせない
* 女児として一貫して養育する
* 精巣を摘出する
* 女性的な服装や行動を求める
* 女性ホルモンを投与する
* 女性としてのアイデンティティと役割を定着させようとする
マネーの仮説に従えば、幼児期に女性として一貫した働きかけをすれば、ライマーは「女性のジェンダー・アイデンティティ」を形成するはずでした。
しかし、そうはなりませんでした。
ライマーは女性としての扱いに強い苦痛を示し、やがて男性として生活するようになりました。1997年、ミルトン・ダイアモンドとH・キース・シグムンドソンによる追跡報告は、マネーがかつて「成功」として公表した説明を覆しました。
Milton Diamond & H. Keith Sigmundson, “Sex Reassignment at Birth: A Long Term Review and Clinical Implications”
観察されたのは「男性の性自認」ではない
ライマー事件で観察・報告されたのは、ライマーの発言、行動、そして生活上の経過です。
具体的には、
* 女児向けの服装や遊びをしばしば拒否した
* 女性として扱われることに苦痛を示した
* 自分は女児たちとは違うと考えるようになった
* 男児たちの方に自分が近いと理解するようになった
* 最終的に男性として生活することを選んだ
ということです。
これらは観察された事実です。
しかし、
ライマーの心の中には、身体とは別の、先天的で変更不能な「男性の性自認」が存在した
というのは、観察された事実ではありません。観察された行動に対して、後から加えられた理論的解釈です。
本人の内部に「男性の性自認」という独立した実体があることを確認した検査が行われたわけでも、その存在場所や作用機序が測定されたわけでもありません。
「性自認があったから」は循環論法になる
女性としての養育が定着しなかった理由を「男性の性自認があったから」と説明すると、次のような循環が生じます。
なぜ女性として定着しなかったのか。
男性の性自認があったからである。
では、なぜ男性の性自認があったと分かるのでしょうか。
女性として育てても女性として定着しなかったからである。
これでは、女性として定着しなかったという結果を使って「男性の性自認」の存在を推測し、今度はその性自認を同じ結果の原因として提示しています。
観察された結果に「性自認」という名前を付け、それを結果の原因として戻しているだけです。
「存在すると考えた方が自然」は証明ではない
「実証されてはいないが、変更不能な男性の性自認が存在したと考える方が自然だ」という主張もあります。
しかし、「自然に思える」は証拠ではありません。
ライマーは、生物学的に男性として発生した人です。男性を女性として扱い、外科手術やホルモン投与をしても、女性として発生し直すわけではありません。
したがって、事件の結果は、
幼児期から女性として扱っても、生物学的に男性として発生した人を女性にすることはできなかった
と説明できます。
ここへ、身体とは別の「男性の性自認」という実体を追加しなければ説明できないわけではありません。
ダイアモンドが述べたこと
ミルトン・ダイアモンドらは、ライマー事件から、人間は出生時に心理性的に完全な中立状態にあるわけではなく、出生前の生物学的発達に由来する傾向をもって環境と相互作用すると考えました。
これは、
身体とは独立した、完成済みの「心の性別」が出生時から存在する
という主張とは異なります。
ダイアモンドらの報告でも、ライマーの自己理解は最初から完成していたとは記述されていません。
幼児期には、周囲から求められている自分との漠然とした違いとして経験され、やがて女児たちとの違い、男児たちとの類似を認識し、成長とともに自分を男性と理解していったとされています。
これは、生物学的発達に由来する傾向と、成長過程における自己認識の形成として説明できます。
ダイアモンドらが用いた sexual identity や psychosexual bias を、現在使われる「身体とは独立した、本人の申告による性自認」とそのまま同一視することはできません。
失敗後に仮説を反転させている
マネーの仮説は、
幼児期の養育によって、男女どちらのジェンダー・アイデンティティを形成するかを制御できる
というものでした。
ところが、女性のジェンダー・アイデンティティを形成する試みは失敗しました。
その結果を見て、
女性の性自認にはできなかったが、それは最初から男性の性自認が存在したからだ
と説明するのは、当初の仮説を反対向きに作り替えたものです。
最初は「養育によって形成できる性自認」を想定していた。実験が失敗すると、今度は「養育によって変更できない先天的な性自認」を想定する。
しかし、どちらの意味においても、性自認という独立した実体が直接観察されたわけではありません。
この事件から確認できること
ライマー事件から確認できるのは、次のことです。
生物学的に男性として生まれた人を、幼児期から女性として育て、外科手術やホルモン投与まで行っても、女性として定着させることには失敗した。
また、この事件によって反証されたのは、
幼児期にはジェンダー・アイデンティティの門が開いており、養育によって男女どちらへ進むかを制御できる
というジョン・マネーの仮説です。
ここから先天的な「男性の性自認」の存在まで自動的に導くことはできません。
男性だったライマーを女性にできなかった
ディヴィッド・ライマーの事件は、
女性の心を作ろうとしたが、内在する男性の心に負けた
という事件ではありません。
より直接的には、
生物学的に男性だった人を、女性として育てようとしたが、女性にすることはできなかった
という事件です。
ライマーが男性だったことと、ライマーの身体とは別に「男性の性自認」という実体が存在したことは、同じではありません。
「男性の性自認があったから女性にならなかった」という因果関係は、観察も実証もされていません。
観察されたのは、男性を女性として育てようとしてもうまくいかなかったという事実です。
そして、その事実こそが、ジョン・マネーの想定した「養育によって通過先を制御できるジェンダー・アイデンティティの門」が支持されなかったことを示しています。
