「自分のジェンダーは女性だ」とは、何を意味しているのか
WHOは、gender(ジェンダー)について、女性・男性・少女・少年に社会的に結びつけられた「規範、行動、役割、関係性」などを指すものとして説明しています。
つまり、ジェンダーとは生物学的性別(sex)そのものではありません。
大まかに整理すれば、
生物学的性別(sex)
=人間の生物学的な性別
gender
=男女に社会的に結びつけられてきた役割・規範・振る舞い
という区別です。
ここで考えたいのが、
「自分のジェンダーは女性だ」
という表現です。
「女性のジェンダー」とは何なのか
genderを「社会的に構築された男女の役割・規範」と定義するなら、「女性のジェンダー」とは当然、
* 女性らしいとされる振る舞い
* 女性に期待されてきた役割
* 女性に結びつけられてきた服装
* 女性に結びつけられてきた社会的規範
といったものになります。
したがって、
「自分のジェンダーは女性だ」
という言葉をgender本来の意味に沿って読むなら、
「私は、社会的に女性と結びつけられているカテゴリーや役割の側に自分を位置づけている」
という意味に近くなります。
これは、
「私は生物学的性別(sex)として女性である」
という主張とはまったく別です。
ここにはフェミニズムとの緊張がある
そもそもフェミニズムが長年批判してきたものの一つが、まさにジェンダーでした。
「女なのだから家庭に入れ」
「女なのだから化粧をしろ」
「女なのだからスカートを履け」
「女なのだから優しく、控えめに振る舞え」
こうした「女性にはこういう役割や振る舞いがふさわしい」という社会的規範から女性を解放しようとしてきたわけです。
だから、
女性であることと、女性的なジェンダー役割を受け入れることは別です。
女性はスカートを履かなくても女性です。
化粧をしなくても女性です。
子どもを欲しがらなくても女性です。
「女性らしい」性格でなくても女性です。
伝統的な女性役割をすべて拒否しても女性です。
女性であることは、「女性らしさ」を演じることによって成立するものではありません。
gender identity が入ると、さらに話が複雑になる
現代では、
「my gender is woman」
という表現が、実際には
「my gender identity is woman」
という意味で使われることがあります。
つまり、「女性というジェンダー・カテゴリーに自分自身を位置づけている」という内面的な自己認識です。
しかし、ここでも問題は残ります。
「女性というジェンダー・カテゴリー」とはいったい何なのか。
もしそれが女性に社会的に結びつけられた役割・規範・振る舞いを意味するのであれば、「女性とは何か」を説明するために、再び「女性らしさ」を持ち出すことになります。
すると、
女だからこういう役割を担うのではない
というジェンダー批判と、
このジェンダーに自分を同一化しているから女性である
という説明のあいだには、かなり大きな緊張が生まれます。
社会的役割を拒否しても、女性は女性である
ここが一番重要だと思います。
女性は、「女性のジェンダー」を持っているから女性なのではありません。
女性に押しつけられてきた社会的役割を全部拒否した女性も、当然女性です。
逆に、社会的に女性と結びつけられた服装や振る舞いや役割を選択したからといって、それだけで生物学的性別(sex)が女性になるわけでもありません。
つまり、
sexとgenderは違う。
そして、
genderとgender identityも同じものではない。
この三つをすべて「性別」という一語で処理してしまうと、
「社会的役割の話をしているのか」
「自己認識の話をしているのか」
「生物学的性別(sex)の話をしているのか」
が分からなくなります。
「自分のジェンダーは女性だ」という言葉を考えるときこそ、この区別を曖昧にしてはいけないのだと思います。
