「ジェンダー」を持ち出すのは、「生物学的性別(sex)は変えられない」と知っているからだ。

「ジェンダー」を持ち出すのは、生物学的性別が変えられないからだ

人間の生物学的性別(sex)は、服装や名前、本人の認識によって変化するものではない。

男性が女性的とされる服を着ても、女性名を名乗っても、ホルモン治療や手術を受けても、その人の生物学的性別が別の性別へ移動するわけではない。

この動かしがたい事実があるからこそ、「ジェンダー」という別の概念が持ち出される。

生物学的性別を変えることはできない。そこで、「性別とは生物学だけで決まるものではない」「社会的な性別なら変えられる」「本人が女性だと認識すれば女性である」と、議論の基準そのものを変更するのである。

しかし、ここには大きな飛躍がある。

生物学的性別を変えられないことと、本人の認識を公的な性別として扱わなければならないことは、まったく別の問題だ。

「生物学的性別は変えられない。だからジェンダーなら変えられる」という説明は、事実の説明ではない。変えられない現実を、別の言葉に置き換えているだけである。

そして、「ジェンダー」を理由に男性を女性として扱う制度を作れば、その影響は言葉の上だけでは終わらない。

女性専用施設、女子スポーツ、統計、医療、雇用政策、犯罪記録など、生物学的性別を基準としてきた制度の意味まで変わってしまう。

問題は、男性が女性的な服装や生き方を選ぶ自由ではない。その自由は尊重されるべきである。

問題は、その自由を根拠として、生物学的性別に基づく制度や「女性」という言葉の意味まで変更してよいのか、ということである。

「ジェンダー」という概念を持ち出しても、生物学的性別が変化するわけではない。

むしろ、ジェンダーを持ち出さなければならないこと自体が、生物学的性別は変えられないという事実を示しているのである。

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