同性婚訴訟は、「性別をジェンダーにしろ」とは求めてはいない。あくまでも、生物学的な同性の結婚を求めている。
同性婚訴訟は「性別をジェンダーに変えろ」と求めているのではない
同性婚訴訟について考えるとき、混同してはならない二つの問題がある。
一つは、同性どうしの結婚を法律上認めるかという問題。
もう一つは、「男性」「女性」という性別の意味を、生物学的性別ではなくジェンダーアイデンティティによって決めるかという問題である。
この二つは、同じ問題ではない。
同性婚が求めているのは、生物学的な同性どうしの婚姻である
同性婚訴訟の中心的な要求は、男性と男性、女性と女性という、生物学的性別が同じ二人にも婚姻制度を利用させることである。
現在の婚姻制度が異性の組み合わせだけを対象としているのに対して、同性の組み合わせも対象に含めるよう求めている。
つまり、
「同性でも結婚できるようにしてほしい」
という要求であって、
「性別を自己申告のジェンダーに置き換えてほしい」
という要求ではない。
むしろ同性婚という言葉自体が、二人の性別(sex)が同じであることを前提としている。
性別をジェンダーに置き換えたら、「同性婚」の意味が不明確になる
仮に、性別が生物学的性別ではなく、本人のジェンダーアイデンティティによって自由に決まるものだとする。
そうなると、男性と男性のカップルであっても、一方が「自分は女性である」と認識すれば、「異性婚」と扱われることになる。
反対に、男性と女性のカップルであっても、両者が同じジェンダーを自認すれば、「同性婚」になるのかという問題も生じる。
これでは、同性婚における「同性」とは何を意味するのか分からなくなる。
同性婚という制度を論じるためには、まず同性と異性を区別する基準が必要である。その基準となっているのが、生物学的性別である。
同性婚は、生物学的性別を否定する制度ではない
同性婚を認めることは、「男性と女性の区別をなくすこと」ではない。
男性と女性の区別を維持したまま、婚姻できる組み合わせを、
* 男性と女性
* 男性と男性
* 女性と女性
へと広げることである。
必要なのは性別の定義を書き換えることではなく、異性の二人に限定されている婚姻制度を同性の二人にも開くことである。
これは、性別をジェンダーアイデンティティに置き換える議論とは、論理的にも法制度上も別の話である。
同性愛は、生物学的性別との関係を表す概念である
同性愛とは、一般に自分と同じ生物学的性別の人を恋愛や性的関係の対象とすることをいう。
女性同性愛者が女性を愛するというとき、その「女性」が本人の申告だけで決まるのであれば、同性愛という概念そのものが成立しにくくなる。
同性婚が必要とされるのも、女性と女性、男性と男性という関係が、異性どうしの婚姻制度から排除されてきたからである。
したがって、同性婚の問題をジェンダーアイデンティティの問題にすり替えてはならない。
結論
同性婚訴訟は、原則として「性別をジェンダーにしろ」と求めているのではない。
求めているのは、生物学的性別が同じ二人にも婚姻を認めることである。
同性婚は、性別の区別を消す制度ではない。
むしろ、同性と異性の区別が存在するからこそ、「同性婚」という概念が成立する。
婚姻できる組み合わせを広げることと、男性・女性という性別の意味を書き換えることは、まったく別の問題である。
同性婚を支持することを、ジェンダーアイデンティティによる性別の再定義への支持と結びつける必要はない。
