なぜ「sex」の代わりに「gender」が使われるようになったのか
現在、英語では、本来なら生物学的性別(sex)を意味する場面でも、genderという言葉が使われることが増えている。
申請書の性別欄、人口統計、医療、スポーツ、法律、報道など、本来は男性か女性かという生物学的区分を確認しているはずの場面でも、「sex」ではなく「gender」と書かれることがある。
しかし、sexとgenderは、もともと同じ意味の言葉ではない。
genderは、いつ、なぜ人間の性別を表す言葉として使われるようになったのだろうか。
もともとgenderは文法用語だった
1950年代以前、genderは主として、名詞を男性・女性・中性などに分類する「文法上の性」を表す言葉だった。
人間の男性・女性という区分を表す場合は、sexを使うのが一般的だった。
genderが人間について使われる例が全くなかったわけではないが、現在のように、性別を表す一般的な言葉として広く使われていたわけではない。
1955年――ジョン・マネーと「gender role」
大きな転換点となったのが、1950年代の性科学である。
1955年、心理学者・性科学者のジョン・マネーらは、インターセックスの子どもに関する研究の中で、「gender role」という概念を使用した。
ここでいうgender roleとは、その人が社会の中で、少年・男性、少女・女性としてどのように振る舞い、どのように扱われているかを示す概念だった。
この段階では、genderは生物学的性別(sex)の代わりではなかった。
むしろ、生物学的性別と、社会的な役割や振る舞いを区別するために導入された言葉だった。
1960年代――「gender identity」の登場
1960年代には、精神科医ロバート・ストラーらが「gender identity」という概念を使用するようになる。
ストラーは1964年頃からgender identityを定義し、1968年の著書『Sex and Gender』で理論を体系化した。
この頃から、
* sexは、生物学的な男性・女性
* genderは、男性性・女性性、社会的役割、自己認識
という区別が、心理学や精神医学の中で広がっていった。
つまり、genderはもともと「内面の性別」という意味で自然に存在していた言葉ではない。
20世紀半ばの性科学や精神医学の中で作られ、理論化された概念である。
1970年代――フェミニズムが社会分析に使う
1972年、社会学者アン・オークリーは『Sex, Gender and Society』を出版した。
オークリーは、性科学や精神医学で使われていたsexとgenderの区別を、社会学とフェミニズムの分析に取り入れた。
生物学的性別が女性だからといって、家事、育児、従順さ、化粧、服装、職業などの役割まで、生まれつき決まっているわけではない。
女性に求められている「女らしさ」の多くは、生物学ではなく、社会によって作られたものである。
そのことを説明するために、genderという概念は有用だった。
この時代のgenderは、現在のような「自分が内面で何者だと感じるか」という意味よりも、男女に結びつけられた社会的役割や規範を意味していた。
女性解放運動にとって、重要だったのは、
女性の生物学的性別を否定することではなく、生物学的性別を理由に女性へ押しつけられる役割を否定すること
だったのである。
1980年代――学術用語として定着
1980年代になると、genderは社会学、歴史学、文学研究などで広く使われる分析概念となった。
gender role、gender relations、gender discriminationなどの表現が定着し、男女間の社会的な権力関係や役割分担を説明する言葉として普及した。
ここまでは、sexとgenderは区別されていた。
生物学的な男女の区分がsexであり、その男女に社会が結びつける役割や規範がgenderだった。
1990年代――区別そのものが問い直される
1990年、哲学者ジュディス・バトラーは『ジェンダー・トラブル』を出版した。
バトラーは、単にsexとgenderを区別するだけでなく、sexという分類そのものも、社会的・言語的な影響から完全に独立していると言えるのか、と問い直した。
これは、それまでのフェミニズムが利用してきた、
sexは生物学、genderは社会
という二分法自体を揺さぶる議論だった。
さらに1995年の北京世界女性会議を契機に、gender perspectiveやgender mainstreamingといった言葉が、国際機関や各国行政の標準的な政策語彙として広がった。
こうしてgenderは、大学の専門用語から、行政、教育、企業、報道で日常的に使われる言葉になった。
「sex」が避けられた実務的な理由
genderが広がった背景には、学術理論とは別の、実務的な理由もあった。
英語のsexには、生物学的性別だけでなく、セックスや性的行為という意味もある。
そのため、申請書や調査票に「SEX」と書くことを露骨、不適切、古風だと感じる人が現れた。
そこで、より穏当で上品に見える言葉として、genderが使われるようになった。
1970年代から1980年代にかけて徐々に進み、1990年代以降、書類や報道で一般化していった。
しかし、ここで大きな混乱が起きた。
genderは本来、sexとは別の社会的概念として導入されたはずだった。
ところが今度は、sexそのものを避けるための婉曲表現として、genderが使われるようになったのである。
一つの言葉に複数の意味が詰め込まれた
現在のgenderは、文脈によって、まったく異なるものを意味している。
* 男女に結びつけられた社会的役割
* 男性性や女性性
* 内面的な自己認識
* 服装や振る舞い
* 法律上の性別
* 単なる生物学的性別の言い換え
これらがすべてgenderという一つの言葉で表されるようになった。
その結果、「gender equality」や「gender discrimination」と言ったとき、それが何を基準にした平等や差別なのかが分かりにくくなっている。
生物学的性別に基づく女性差別を扱っているのか。
女性的とされる社会的役割を扱っているのか。
それとも、個人のgender identityに基づく扱いを意味しているのか。
同じgenderという言葉でも、内容はまったく異なる。
生物学的性別をgenderと言い換える問題
医療、スポーツ、妊娠、出産、犯罪統計、女性専用施設などでは、生物学的性別(sex)が重要になる。
ところが、これらの場面でもsexをgenderと言い換えると、何を記録し、何を比較しているのかが曖昧になる。
たとえば犯罪統計で「gender」を記録した場合、それが生物学的性別なのか、法的性別なのか、本人の自己認識なのかによって、統計の意味は変わってしまう。
医療でも、生物学的性別に関係する病気や薬物反応を調べる際に、gender identityを記録しても代わりにはならない。
女子スポーツでも、問題となっているのは社会的な役割ではなく、生物学的性別に由来する身体的な差である。
女性差別についても同様だ。
女性が歴史的に差別されてきたのは、女性的な服装を選んだからでも、女性という自己認識を持っていたからでもない。
女性という生物学的性別で生まれたために、妊娠・出産を管理され、教育、財産、政治参加、就業などを制限されてきたのである。
生物学的性別に基づく問題を扱うのであれば、genderではなくsexと明確に書く必要がある。
区別するための言葉が、区別を消してしまった
genderという概念は、もともと生物学的性別と社会的役割を区別するために作られた。
性科学・精神医学がsexとgenderを分け、フェミニズムがその区別を使って、女性に押しつけられた社会的役割を批判した。
しかし、その後genderは、sexの婉曲表現としても使われ、さらに内面的な自己認識や法的性別まで含む言葉へと変化した。
結果として、区別するために導入されたはずの言葉が、sexとgenderの区別を曖昧にするようになった。
これは皮肉な歴史である。
女性解放に必要だったのは、女性という生物学的性別を消すことではない。
女性という生物学的性別と、女性に押しつけられる社会的な役割を切り離すことだった。
生物学的性別はsex。
社会的役割や規範はgender。
両者を区別することこそが、女性差別の実態を正確に捉えるために必要なのではないだろうか。
