「精神疾患ではない」から、社会が制度を変えろ、になるのはおかしい

「精神疾患」と呼ばれることが、本人にとってつらいのは分かる。

自分の苦しみを、病名や診断名で呼ばれることに抵抗がある人はいる。
その言葉によって、自分の人格まで否定されたように感じる人もいるだろう。

けれど、それと「現象をどう扱うべきか」は別の話である。

身体の生物学的性別と、自分がそうだと感じる性別との間に強い不一致がある。
自分の身体の性別を、自分のものとして受け入れられない。
その不一致によって苦痛が生じる。

これは、少なくとも医療・心理・精神の領域で扱うべき問題だと思う。

それを、単なる個性やアイデンティティや人権問題としてだけ扱うのは無理がある。

もちろん、現在の国際分類では整理が変わっている。WHOのICD-11では、以前のICD-10にあった「transsexualism」や「gender identity disorder of children」などの分類が「gender incongruence」に置き換えられ、しかも「Mental and behavioural disorders」の章から外され、「Conditions related to sexual health」の章に移された。WHOは、その理由として、これを精神疾患として扱うことがスティグマを生むこと、同時に医療へのアクセスを維持する必要があることを説明している。(世界保健機関)

DSM側でも、「gender identity disorder」はDSM-5で「gender dysphoria」に変わった。APAは、性別違和それ自体は精神疾患ではないと説明している。ただし、苦痛や生活上の支障がある場合には診断の対象になる。(精神医学協会)

つまり、現在の公式分類を正確に見るなら、単純に「精神疾患である」とだけ言うのは、今のICD-11とは合わない。

しかし同時に、だからといって「これは完全に医療・心理・精神の問題ではない」と言えるわけでもない。

ここが重要だと思う。

分類名が変わったことと、現象そのものが消えたことは違う。
精神疾患の章から外れたことと、社会制度が本人の自己認識に従わなければならないことは違う。
スティグマを避けるために言葉を変えることと、生物学的性別に基づく制度を変えることは違う。

この違いが、あまりにも雑に飛び越えられてきた。

「精神疾患ではない」
「だから本人の性自認を尊重しなければならない」
「だから法的性別も変えられるべきだ」
「だから女性専用施設も本人の性自認に合わせるべきだ」

この流れは、おかしい。

最初の一文と最後の結論の間に、本来ならいくつもの議論が必要なはずだ。

本人を侮辱してはいけない。
医療から排除してはいけない。
不必要なスティグマを与えてはいけない。
ここまでは分かる。

しかし、それは「女性専用施設に男性を入れる理由」にはならない。

それは「法的性別を自己認識に合わせて変更する理由」にはならない。

それは「社会の側が、本人の内心の性別認識を、生物学的性別より優先しなければならない理由」にはならない。

本人がどう呼ばれたいか。
本人がどう扱われたいか。
本人が自分をどう認識しているか。

それらは、その人の内面の問題である。

しかし、女性専用施設、女子スポーツ、更衣室、浴場、刑務所、統計、医療、法的性別といった制度は、内面だけで決められるものではない。そこには、他人の権利、他人の安全、他人のプライバシー、そして社会制度としての線引きが関わる。

とりわけ女性専用施設は、「女性らしい人のための空間」ではない。
「自分を女性だと思う人のための空間」でもない。
それは、男性を入れないための空間である。

だから、身体の生物学的性別と異なる性別として自己を認識する状態を、単なるアイデンティティや人権問題としてだけ扱い、社会の側がその認識に合わせて制度を変えなければならない、というところまで飛ぶのはおかしい。

精神疾患と呼ばれることがどれほどつらくても、身体の生物学的性別と異なる性別として自己を認識する状態を、少なくとも医療・心理・精神の領域で扱うべき現象だと考えることは、差別ではない。

むしろ、その現象を「本人の真実」として社会制度に直結させる方が危うい。

「精神疾患ではない」という言葉は、本人を侮辱しないための配慮として使われることがある。
しかし、その言葉が、いつの間にか制度変更の根拠として使われるなら、それは別問題である。

本人への配慮と、制度の変更は同じではない。

苦しんでいる人を支援することと、社会全体にその人の自己認識を承認させることは同じではない。

医療アクセスを守ることと、女性専用施設の基準を変えることは同じではない。

ここを分けなければならない。

「精神疾患ではない」と言えば、すべてが人権問題になるわけではない。
「精神疾患ではない」と言えば、社会の側が本人の性自認に従う義務を負うわけではない。
「精神疾患ではない」と言えば、生物学的性別に基づく制度が差別になるわけではない。

分類の変更は、制度変更の白紙委任状ではない。

本人の苦痛は、本人の苦痛として扱うべきだ。
必要な医療や支援は、必要なものとして考えるべきだ。
しかし、それを理由に、女性専用施設や法的性別の制度を、自己認識に従わせる必要はない。

自分の身体の生物学的性別と異なる性別として自己を認識する。
そのことをどう呼ぶかは、時代や分類によって変わるかもしれない。

しかし、少なくともそれは、社会制度の側が無条件に従うべき「本人の真実」ではない。

そこを見失ってはいけない。

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