なぜ「男性は女性になれる」という思想が広まったのか
現在、「トランス女性は女性である」という言葉を目にすることは珍しくありません。
しかし、ここで一度立ち止まって考えてみたい。
なぜ「男性は女性になれる」という考え方が、これほど広く社会に受け入れられるようになったのでしょうか。
これは昔から当然のように存在していた考え方ではありません。
現在の状況に至るまでには、いくつもの異なる概念や思想が、長い時間をかけて接続されてきた歴史があります。
1.最初から「男性は女性になれる」だったわけではない
まず重要なのは、生物学的性別(sex)とgenderを区別する議論が登場したことです。
20世紀半ば、John MoneyやRobert Stollerらの研究を通じて、gender roleやgender identityといった概念が医学・心理学の領域で発達していきました。
しかし、
「gender identityが存在する」
ということと、
「gender identityによって生物学的性別(sex)が変わる」
ということは同じではありません。
「自分を女性だと認識している男性が存在する」という心理的な記述から、「その男性は女性である」という結論が自動的に導かれるわけではないからです。
2.フェミニズムがsexとgenderを分けた意味
1960~70年代のフェミニズムでも、sexとgenderを区別する考え方が重要になります。
しかし、その目的は現在のgender identity論とはかなり違いました。
「女性だから家庭に入るべきだ」
「女性だから従順であるべきだ」
「女性だからこの服装をするべきだ」
こうした社会的役割を、生物学的性別から切り離して考えるためです。
つまり、
女性だから「女性らしく」する必要はない。
という議論だった。
これは「男性でも女性になれる」という話とは別です。
むしろ、女性という性別と「女性らしさ」を切り離す思想だったと言えます。
3.クィア理論によってカテゴリーそのものが問われる
1990年代になると、Judith Butlerなどに代表されるクィア理論が大きな影響力を持つようになります。
ここではgenderだけではなく、男性/女性というカテゴリーや、sexそのものが社会の中でどのように意味づけられているのかまで分析対象になります。
ただし、ここにも注意が必要です。
Butlerの議論から単純に、
「だからgender identityによって男性は女性になれる」
と結論できるわけではありません。
現在のgender identityをめぐる思想は、一人の思想家が作った単一の理論ではなく、さまざまな思想が後から接続されて形成されたものだからです。
4.大きな転換点は「人権」との接続だった
その後、大きな変化が起こります。
gender identityの問題が、医学上の問題だけではなく、
「本人のgender identityを社会が尊重することは人権の問題である」
と理解されるようになっていきました。
さらに脱病理化の流れも進みます。
すると議論の中心は、
「この人にはどのような医学的状態があるのか」
から、
「本人が自分をどう認識しているか」
へ移っていきます。
そして法制度でも、診断や手術などではなく本人の申告を重視するself-identification(self-ID)という考え方が登場しました。
5.「尊重する」から「その性別である」へ
ここに非常に重要な論理の変化があると思います。
当初は、
「私は女性というgender identityを持っている」
という本人の内面的な認識についての話だった。
それが、
「そのgender identityを社会は尊重すべきだ」
という社会規範になり、
さらに、
「法律上も女性として扱うべきだ」
という制度論になり、
最終的には、
「その人は女性である」
というカテゴリーそのものについての主張へ変化していった。
ここには、
自己認識 → 社会的承認 → 法的承認 → 性別そのもの
という、いくつもの段階があります。
ところが現在の議論では、この段階がしばしば一続きのものとして扱われています。
6.本来は別々に検討できる
しかし、
「ある人が自分を女性だと認識している」
「その自己認識を尊重する」
「法律上女性として扱う」
「その人の生物学的性別(sex)が女性である」
は、すべて別の命題です。
一つを認めたからといって、残りが論理的に導かれるわけではありません。
特に、
gender identityを尊重すること
と、
gender identityによって生物学的性別(sex)が変わること
は明確に区別する必要があります。
前者は人をどう扱うべきかという倫理・社会規範の問題です。
後者は人間を男性/女性にどう分類するかという問題です。
「男性は女性になれる」は、一つの思想として検討できる
こうして歴史を振り返ると、「男性は女性になれる」という現在の言説は、ある日突然登場したわけではありません。
医学におけるgender identity概念、フェミニズムによるsexとgenderの区別、クィア理論、脱病理化、人権論、差別禁止政策、self-ID――。
これらはもともと同じ目的で作られた思想ではありません。
それらが徐々に接続されることで、
「本人のgender identityが、その人が男性か女性かを決定する」
という現在の考え方が成立してきたと見ることができます。
だからこそ、この考え方を「人権だから」「多様性だから」という言葉だけで受け入れる必要はありません。
トランスジェンダーの人の尊厳を尊重することと、gender identityを男性/女性というカテゴリーの決定基準にすることは別問題です。
そして後者は、女性の権利、女性専用施設、スポーツ、統計、医療、法制度などにも影響します。
だからこそ、
「gender identityを尊重すること」と「gender identityによって性別そのものが変わると考えること」の間には、どのような論理があるのか。
そこを改めて検証する必要があるのだと思います。
