「性別は変えられない」を第一原理として考える
議論が複雑になったときほど、いったん第一原理に戻った方がいい。
この問題における第一原理は、
「人の生物学的性別(sex)は、本人の意思や行政手続によって別の性別に変わるものではない」
ということだ。
名前は変えられる。
服装も変えられる。
外見も変えられる。
ホルモン治療や手術によって身体の一部を変えることもできる。
戸籍上の性別を変更する制度も存在する。
しかし、それらは、
「男性が女性になった」
「女性が男性になった」
ことそのものを意味するわけではない。
ここを曖昧にすると、議論の順序が逆転する。
「戸籍が女性なのだから女性だ」
「女性として生活しているのだから女性だ」
「本人が女性だと認識しているのだから女性だ」
というところから出発すると、行政上の取扱いや本人の認識が、生物学的事実そのものを書き換えることになる。
しかし本来は逆だ。
まず、
生物学的性別(sex)は何か
という事実がある。
そのうえで、
* 法律上どう扱うのか
* 戸籍にどう記載するのか
* 社会生活上どこまで配慮するのか
* 女性専用施設をどの基準で運用するのか
* 女子スポーツをどの基準で区分するのか
を考えるべきだ。
つまり、
事実を制度に合わせるのではなく、制度を事実に合わせて設計する。
これが第一原理から考えるということだと思う。
「性別を変えられること」を最初から前提にしてしまえば、その後の議論はすべてその前提に引っ張られる。
だからこそ、最初に確認しなければならない。
人間の生物学的性別(sex)は、何によって決まり、何をすれば別の性別に変わるのか。
もしそこに明確な答えがないのであれば、
「法的性別を変更できる」ことと
「生物学的性別そのものが変わる」ことを、
同じものとして扱ってはいけない。
複雑な制度論の前に、まず第一原理に戻る。
「性別は変えられない」。
そこから制度を考え直すべきなのだ。
