「割り当てられた性別」とは、もともとはDSDの世界の言葉だよね。それがなんでトランスが使ってんの?
「割り当てられた性別」は、もともと誰のための言葉だったのか
「出生時に割り当てられた性別」という表現を、最近ではごく普通に目にするようになった。
英語では “sex assigned at birth”。
トランスジェンダーについて説明する文章では、
「出生時に男性を割り当てられた人」
「出生時に女性を割り当てられた人」
という言い方が、ほとんど定型句のように使われている。
けれども、そもそもこの「割り当てる」という言葉は、どのような場面から生まれたのだろうか。
もともとはDSDの臨床で使われた言葉
「性別の割り当て」が実際に問題になったのは、主としてDSD、すなわち性分化疾患の臨床だった。
外性器、染色体、性腺、内性器などが、典型的な男性または女性の組み合わせにならない子どもについて、医師や親が、その子を男児として育てるのか、女児として育てるのかを決める。
そこには、文字どおり「どちらの性別として扱うかを決定する」という局面があった。
特に1950年代以降、ジョン・マネーらは、幼少期に性別を決定し、その性別に合わせて養育や手術を行うという考え方を推進した。
この文脈での「割り当てられた性別」は、単なる比喩ではない。
典型的な男女どちらに分類するかが明確でない場合に、医療側が一方を選択するという、具体的な臨床上の行為を指していた。
典型的な男女まで「割り当て」と呼ぶようになった
しかし、その後、この特殊な臨床概念が、すべての人に一般化された。
DSDの子どもについて、
「医師が性別を割り当てる」
という場面があることから、
「すべての赤ん坊は出生時に性別を割り当てられている」
という言い方へと広がっていった。
だが、典型的な男性または女性として生まれた大多数の子どもについて、医師は男女を自由に選択しているわけではない。
通常は、生物学的性別を観察し、その結果を記録している。
男性として生まれた子どもに対して、医師が女性を選ぶこともできたが男性を選んだ、という話ではない。
それにもかかわらず、「確認された性別」ではなく「割り当てられた性別」と表現することで、生物学的性別は、身体の事実ではなく、医師や社会が外部から与えた分類であるかのように語られる。
ここには、かなり大きな意味の変更がある。
なぜトランスの言説で使われるようになったのか
この言葉は、トランスジェンダーを説明するうえで非常に都合がよかった。
トランスジェンダーを、
「生物学的性別とは異なる性別を自認する人」
と表現すれば、生物学的性別が基準として残る。
一方で、
「出生時に割り当てられた性別と、ジェンダーアイデンティティが異なる人」
と表現すれば、生物学的性別は「他人から与えられた過去の分類」に置き換えられる。
つまり、
「男性として生まれた」
ではなく、
「出生時に男性を割り当てられた」
とすることで、男性という分類を、本人の身体についての事実ではなく、医師や社会による暫定的な決定として描ける。
そうなれば、後に本人が、
「本当の自分の性別は別である」
として、その分類を変更するという物語を作りやすくなる。
「確認」と「割り当て」は同じではない
「出生時に確認された性別」と「出生時に割り当てられた性別」は、似ているようで意味が違う。
「確認された」という表現では、先に身体の事実があり、それを観察して記録したことになる。
「割り当てられた」という表現では、先に選択肢があり、権限を持つ誰かが一方を付与したことになる。
前者は観察であり、後者は決定である。
この違いは小さくない。
典型的な男女の出生にまで「割り当て」という言葉を使えば、生物学的性別そのものが、社会による命名や制度上の処理であるかのような印象を与える。
しかし、出生届に記載される前から、その子の生物学的性別は存在している。
役所に届けたから男性または女性になるのではない。
医師が発言したから男性または女性になるのでもない。
医師や親は、通常、その子の性別を作っているのではなく、確認している。
DSDの歴史を一般化してよいのか
DSDの人々に対して、本人の意思を無視した性別決定や、不可逆的な手術が行われてきた歴史については、批判的な検証が必要である。
そこでは実際に、医師や親による「割り当て」が、本人の人生に重大な影響を与えた。
しかし、その問題を根拠として、典型的な男女を含むすべての人の生物学的性別を「割り当て」と呼ぶことは、別の話である。
DSDの臨床において現実に存在した特殊な判断を、すべての出生に当てはめれば、言葉の意味そのものが変わってしまう。
そして、その一般化によって、DSDの歴史が、トランスジェンダーの理論を支えるために利用されることにもなる。
「DSDでは性別の割り当てが行われた」
という事実と、
「すべての人の性別は出生時に割り当てられたものである」
という主張は、同じではない。
前者から後者が自動的に導かれるわけではない。
言葉を変えることで、現実の説明も変わる
「出生時に割り当てられた性別」は、中立的な言い換えのように見える。
だが、実際には、
「性別は身体から確認されるものではない」
「性別は社会や医師によって付与されるものだ」
「付与された性別は、本人の申告によって訂正できる」
という考え方を含んでいる。
だからこそ、この表現が広く使われるようになったこと自体を、単なる言葉遣いの変化として片づけることはできない。
もともとDSDの臨床における具体的な判断を表した言葉が、トランスジェンダーの言説に移され、さらにすべての人間の出生を説明する一般概念へと拡張された。
その結果、生物学的性別は「観察される事実」から「他人に割り当てられた属性」へと語り直された。
「割り当てられた性別」という言葉を使うとき、私たちは単に丁寧な表現を選んでいるのではない。
性別とは何なのかについて、特定の理論を受け入れているのである。
