なぜ、性別に関する心理的な苦痛に対して、身体を変える医療が「治療」として成立し、巨大な産業にまで成長したのか。
Patrick D. Hahnの著書『Irreversible: The Rise of Sex Change From Fringe Subculture To Multibillion-Dollar Industry』は、トランスジェンダーをめぐる文化論や女性専用空間の問題を中心にした本ではない。
この本が問うているのは、もっと医学の根本に関わる問題だ。
なぜ、性別に関する心理的な苦痛に対して、身体を変える医療が「治療」として成立し、巨大な産業にまで成長したのか。
Genspectに掲載された書評をもとに、その論点を整理してみたい。
「不可逆的」な医療は、どう始まったのか
タイトルの Irreversible は「不可逆的」という意味である。
性別移行には、服装や名前を変えるといった社会的なものだけでなく、思春期抑制剤、異性ホルモン、乳房切除、性別適合手術など、身体に長期的、あるいは不可逆的な変化を与える医療介入が含まれる。
Hahnが問題にするのは、この医療がどのような科学的根拠によって成立したのか、ということだ。
副題はさらに直接的である。
The Rise of Sex Change From Fringe Subculture To Multibillion-Dollar Industry
「周縁的なサブカルチャーから、数十億ドル規模の産業へと成長した性別変更」。
つまりこれは、性別移行医療の「正しさ」を最初から前提にした歴史ではない。
そもそも、どうしてこれが医療になったのか。
そこから問い直す本なのである。
Hirschfeld、Money、そしてジェンダー医療
Hahnは歴史を20世紀初頭まで遡る。
Magnus Hirschfeld、Dora Richter、Lili Elbe、Christine Jorgensenなど、性別移行の歴史で繰り返し登場する人物を取り上げる。
そして重要人物として登場するのがJohn Moneyである。
Moneyは「gender」「gender identity」という概念の医学的普及に大きな影響を与えた人物であり、Johns HopkinsのGender Identity Clinicにも関わった。
有名なDavid Reimerの事例も、この歴史の中に位置づけられる。
ここから浮かび上がる重要な問いがある。
「身体とは別に存在するgender identityに、身体の側を医学的に合わせる」という考え方は、どれほど確かな科学的証拠に基づいて成立したのだろうか。
現在では当たり前のように使われている概念でも、その成立過程まで遡れば、必ずしも最初から確立された科学的事実だったわけではない。
Johns Hopkinsは一度、手術をやめている
Hahnが重要視する歴史の一つが、Johns Hopkinsが1979年に性別適合手術を停止したことである。
当時の研究では、手術を受けた人が、受けなかった人より明確に良好な状態になったという説得力のある結果が得られなかったとされた。
もちろん、1970年代の研究だけを根拠に現在の性別移行医療全体を「効果がない」と結論づけることはできない。
治療方法も患者の選択方法も研究手法も変化している。
それでも歴史的には重要である。
なぜなら、
「身体を変えることで患者の状態は本当に改善するのか」
という問いは、半世紀近く前から存在していたからだ。
この本の中心は「医療化」批判
Hahnの問題意識を理解するうえで重要なのが「medicalization(医療化)」という概念である。
人間の苦痛や社会的な問題を医学的な疾患として定義し、それを医療によって解決しようとすることをいう。
Hahnが問うているのは、トランスジェンダーの人が存在するかどうかではない。
なぜ性別に関する心理的苦痛への解決策として、身体への医学的介入が選ばれるようになったのか。
という問題である。
たとえば、自分の身体に強い違和感を感じる人がいたとする。
ここには少なくとも二つの方向性が考えられる。
心理的苦痛そのものを理解し、軽減する方法を探す。
あるいは、身体の側を本人の認識に近づける。
現代のジェンダー医療は後者を大きく発展させてきた。
Hahnは、その選択がどの程度科学的に検証されてきたのかを問い直す。
「医療」から「産業」へ
さらにHahnは、現在の性別移行医療を巨大な市場として見る。
ホルモン治療、乳房切除、形成外科手術、継続的な医療管理などを含めれば、患者数の増加とともに市場も拡大する。
ここで注意したいのは、
市場が大きい=治療が間違っている
とは言えないことだ。
がん治療も心臓病治療も巨大な市場である。
したがって本当に検討すべきなのは別の問題である。
その医療には十分な利益が確認されているのか。
需要そのものが医療制度によって作り出されていないか。
利益とリスクについて十分な情報を得たうえで患者が選択しているのか。
そして特に子どもの場合、
不可逆的な結果を十分理解して同意できるのか。
という問題である。
単に「医療産業は儲けている」と批判するだけでは不十分だ。
医療の有効性、リスク、患者選択、利益相反を個別に検証する必要がある。
子どものジェンダー医療
Hahnが特に厳しく批判するのが、子どもへの医療介入である。
英国TavistockのGender Identity Development Service(GIDS)やKeira Bellの事例などを取り上げる。
問題になるのは、ジェンダー違和を訴える子どもについて、家庭環境、精神状態、発達上の問題、性的指向など、さまざまな背景を十分検討するよりも、医学的移行へ進むことが解決策として提示されてこなかったか、という点だ。
ここでも核心となる問いは同じである。
原因が十分分かっていない状態に対して、身体を変える治療をどこまで行ってよいのか。
これはトランスジェンダーを肯定するか否定するかという政治的立場とは、本来別の医学的・倫理的問題である。
DSDは「性別がスペクトラム」の証明なのか
HahnはDSD(性分化疾患)にも一章を割いている。
性分化に通常とは異なる発達が生じる人が存在することを根拠として、
「したがって生物学的性別(sex)はbinaryではなくspectrumである」
とする議論に反論する。
ここでは二つの命題を分ける必要がある。
性分化の過程にはさまざまな医学的例外が存在する。
ということと、
生物学的性別(sex)そのものが連続的なスペクトラムである。
ということは同じではない。
例外的な発達状態が存在することから、直ちに分類そのものが存在しないという結論にはならない。
この区別は、現在のsex/gender論争を理解するうえでも重要だろう。
女性専用空間の本ではない
興味深いことに、この本では女子スポーツや女性専用空間の問題は中心テーマではない。
Hahnの関心は一貫して医療にある。
つまり、
「男性を女性として扱うべきか」
という社会制度上の問題よりも、
「そもそも、なぜ身体を変えることが医学的治療として制度化されたのか」
を問題にしている。
この点で『Irreversible』は、一般的なgender-critical本とは少し性格が違う。
最も重要なのは「原因が分かっているのか」という問い
この本から浮かび上がる最も根本的な問題は、意外なほど単純である。
なぜ人は、自分の生物学的性別と異なる性別になりたい、あるいは異なる性別であると感じるのか。
その原因について、医学はどこまで解明しているのだろうか。
そして原因が十分解明されていないのであれば、
なぜ身体への不可逆的な介入が治療としてここまで広く制度化されたのか。
これは非常に重要な問いだと思う。
もちろん、「原因が完全に解明されていない病態には治療してはいけない」ということではない。医学には原因が完全には分かっていなくても、治療効果が実証されているものが多数存在する。
だからこそ問われるべきなのは、
原因の解明とは別に、その治療が患者の長期的な健康状態を改善するという十分な証拠があるのか
ということである。
「存在する」ことと「治療が正しい」ことは別問題
この議論では、しばしば二つの話が混同される。
ジェンダー違和を経験する人が実際に存在すること。
そして、その人に対して身体を医学的に変更することが最善の治療であること。
この二つは別の命題だ。
前者を認めたからといって、後者まで自動的に正しいことにはならない。
逆に、特定の医療介入の有効性を疑問視することが、患者の苦痛そのものを否定することにもならない。
だから必要なのは政治的なスローガンではなく、医学としての検証である。
なぜこの苦痛が生じるのか。
どの患者に、どの治療が有効なのか。
心理療法と身体への介入を比較するとどうなのか。
5年後、10年後、20年後の結果はどうなのか。
そして、
不可逆的な治療を行うだけの根拠が、本当に存在するのか。
『Irreversible』が投げかけている最も重要な問いは、結局ここにある。
性別移行医療をめぐる議論を「肯定か否定か」という二択にするのではなく、そもそもこの医療は、どのような根拠によって成立し、どこまでその有効性が検証されてきたのか。
そこまで遡って検討する必要がある。
