戸籍が女性でも、女性とは限らない。「性別」を確認するのに、もはや「戸籍の性別」は使えない。

かつて戸籍の性別は、その人が男性であるか女性であるかを示す情報として扱われていた。

出生時に確認された生物学的性別が戸籍に記載され、その後も原則として変わらない。だからこそ、戸籍の性別を確認すれば、その人が男性なのか女性なのかを確認できた。

しかし現在は、そうではない。

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律によって、一定の条件を満たした人は、戸籍上の性別の取扱いを変更できる。

その結果、戸籍に「女性」と記載されていても、その人が生物学的に女性であるとは限らなくなった。

つまり、戸籍の性別は、すでに「その人の性別を確認するための情報」ではない。

戸籍の「女性」と、生物学的な女性は一致しない


ここで重要なのは、戸籍上の取扱いが変わっても、生物学的性別が変化するわけではないということだ。

男性が戸籍上「女性」と取り扱われるようになっても、その人が生物学的な女性になるわけではない。

戸籍に書かれた文字が変わることと、人間の性別が変わることは、まったく別の話である。

ところが現在の制度では、どちらも同じ「性別」という言葉で語られている。

そのため、

「戸籍が女性なのだから女性である」

という説明が通用してしまう。

しかし、これは制度上の取扱いと生物学的事実を混同している。

戸籍上の区分が女性であることは、その人が生物学的に女性であることの証明にはならない。

「性別を確認してください」と言われても確認できない


病院、学校、競技、避難所、統計、雇用、刑務所、更衣室、浴場、女性専用施設。

社会には、男性と女性の区別が必要になる場面がある。

そのような場面で「性別を確認するため、戸籍を確認します」と言っても、現在の戸籍では生物学的性別を確認できない。

戸籍に女性と書いてあっても、生物学的には男性である可能性があるからだ。

これは非常に大きな制度上の問題である。

行政は戸籍を「公的な証明」として扱うが、その証明が何を証明しているのかが曖昧になっている。

戸籍が証明しているのは、生物学的性別なのか。

法律上の取扱いなのか。

本人が望む社会的な分類なのか。

この違いを整理しないまま、すべてを「性別」という一語で処理している。

女性の権利を守る場面では使えない


特に深刻なのは、女性専用施設や女子スポーツのように、生物学的性別に基づく区別が必要な場面である。

女性専用施設が必要とされる理由は、戸籍が女性と記載された人を集めるためではない。

男性を入れず、女性の安全、プライバシー、尊厳を守るために設けられている。

女子スポーツも同じである。

戸籍上の分類を競わせるのではなく、生物学的な男女差を前提として、公正な競技カテゴリーを設けている。

そこへ「戸籍が女性だから」という理由だけで男性を女性として扱えば、制度の目的そのものが崩れる。

戸籍上の性別が生物学的性別と一致することを保証しない以上、女性の権利や安全を守る基準として戸籍の性別を使うことはできない。

それでも戸籍を性別証明として使う矛盾


制度は一方で、戸籍上の性別を変更できることにした。

ところが他方では、戸籍の性別を、男性か女性かを示す公的な証明として使い続けている。

これは明らかな矛盾である。

変更可能な行政上の取扱いを、生物学的事実の証明として扱うことはできない。

戸籍上の性別を変更できる制度を維持するなら、少なくとも社会は、

「戸籍の性別では、生物学的性別を確認できない」

という事実を認めなければならない。

逆に、戸籍の性別を男性・女性の公的証明として使い続けるのなら、事実と異なる記載を可能にする制度そのものを再検討しなければならない。

両方を同時に成立させることはできない。

「性別」という言葉を曖昧にしてはいけない


現在の議論では、「性別」という言葉があまりにも雑に使われている。

生物学的性別も、戸籍上の取扱いも、本人の認識も、社会的役割も、すべて「性別」と呼ばれる。

しかし、それぞれは別の情報である。

少なくとも制度や法律では、

* 生物学的性別
* 戸籍上の性別の取扱い
* 本人の自己認識

を区別して扱わなければならない。

とりわけ、女性差別、女性専用施設、女子スポーツ、医療、犯罪統計など、生物学的性別が重要になる場面で、戸籍上の区分や本人の自己認識を代用してはならない。

戸籍が女性でも、女性とは限らない


現在の制度が生み出した最も大きな変化は、次の一文に集約される。

戸籍に女性と書いてあっても、その人が女性であるとは限らない。

これは個人に対する侮辱でも、差別でもない。

現在の法制度から必然的に導かれる事実である。

戸籍上の性別変更を認めた時点で、戸籍の性別は、生物学的性別を証明する機能を失った。

それにもかかわらず、戸籍を示して「私は女性だ」と主張し、女性専用施設や女性枠への利用資格まで求めるのであれば、その主張は成り立たない。

戸籍が証明できないものを、戸籍によって証明することはできないからだ。

まとめ


「性別を確認するために、戸籍の性別を見る」

この方法は、もはや成立しない。

戸籍の性別が変更可能であり、生物学的性別と一致しない場合がある以上、戸籍は生物学的性別の確認資料にはならない。

そして、生物学的性別を確認できない情報を、女性の権利、安全、公正、プライバシーを守る場面の基準にしてはならない。

戸籍上の性別変更制度を作ったことで、国は自ら、戸籍の性別を「性別の証明」として使えなくしてしまった。

必要なのは、この矛盾を曖昧にすることではない。

戸籍上の取扱いと生物学的性別を明確に分け、女性に関する制度は、生物学的性別を基準として再構築することである。

いいなと思ったら応援しよう!