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『夏を聴く』

七月の大阪は、どこか雰囲気というか空気感が違います。

日中は照りつける太陽でうんざりするほど暑いのに、

夕方になると街のどこからともなくタイコの音や祭り囃子が風に乗って流れてくる。

今年も来たな、夏が来た。

いち早くそう思わせてくれるのは、花火でも、屋台でもない。

「音」でした。

少し大きな神社がある最寄の駅を降りると、人の流れが一つの方向へ向かっている。

その流れを暫くじーっと見ていました。

なんか楽しそうな浴衣姿の子ども達。

うちわを片手にブラブラ歩いていく夫婦。

法被姿のいなせな若い衆。

雑踏の中でも、頭の中はやけに冷静で

(浴衣来てても、下はナイキか、運動靴なんや。)

(最近の浴衣は、黒地もあるんや、ファッション性あるなあ。)

(腹にサラシ巻いてるんか、気合入っとる。)

なんて、客観的に見ていました。

そんな時に、どこからともなく

普段とは違う「音」が聞こえてきました。

♪ コンコンコーン……
コンチキチッコンコーン……

♪ コンコンコーン……
コンチキチッコンコーン……

思わず「ああ、この音や。」

テレビの画面でも、ユーチューブの動画でも、何度も聞いていたはずなのに、実際に耳へ飛び込んでくる音はまるで違っていました。

なんか、胸の奥に響いてきます。

丁度、耳で聞いているのではなく、身体全体で受け止めているような感じでした。

♪ コンコンコーン……
コンチキチッコンコーン……

♪ コンコンコーン……
コンチキチッコンコーン……

遠くから近づき、また遠ざかるような臨場感のある音が効果的です。

そして、だんじりが姿を現わしてくる。

もちろん迫力はある。

若い衆が乗った大きな屋根。

地元の各町で競う合うような立派な彫刻や装飾。

機敏に威勢よく綱を引く人たち。

けれど、不思議と私は、その光景を見るよりも耳に入ってくる「音」に集中していました。

正確に言うと、見たかったのではなかった。

聴きたかった。

現場で聞こえてくる鐘の音。

太鼓の響き。

足音。

そして、人の声。

これらが入り混じって、私の心を揺さぶってくるような感じです。

時間がたってくると、祭りの担い手が大声を出しているのに

扇動されるかのように、いつのまにか覚えたてのフレーズを

合ってるかどうかわからんけど、一緒になって叫んでいる自分がいました。

「ヨオーッツ! メデタイナー!」

「ウーチーマーショー! モヒトツセー!」

「ヨーイヤサー!」

「イオウテサンド、ヨーイ、ヨイ!ヨーイ、ヨイ!ヨーイ、ヨイ!」

「ヨイ!ヨイ!ヨイ!」

誰か一人が叫んでいるのではない。

何人、何十人もの声が重なり、一つの大きな響きになって空へ抜けていく。

そんな瞬間でした。

年甲斐もなく、胸の奥が熱くなっていました。

子どもの頃、夜店で初めてやった金魚すくい。

屋台の醤油の匂いがたまらなかった焼きトウモロコシの味。

ドキドキして見ていた初恋の女の子の浴衣姿。

忘れていた景色が、「音」をきっかけに次々と思い出されてきます。

記憶とは、不思議なものです。

映像よりも先に、「音」が自分の心を開くことがある。

祭りには、きっといろんな意味がある。

五穀豊穣だの、地域活性化だの、難しい話は識者に任せればいい。

私が感じたのは、もっとシンプルなことだった。

一度、目を閉じてみてほしい。

映像を眺めるだけでなく、「音」をしっかり聴いてほしい。

そこには、人の息づかいがある。

地域の鼓動がある。

そして、日本人ならどこか懐かしいと感じる、不思議な郷愁がある。

大阪では七月が終われば、八月には河内音頭が町中に流れ始める。

また違う音が、後半の夏を運んでくる。

私たちは案外、季節を目で見ているのではなく、耳で感じているのかもしれない。

もしあなたが夏祭りへ出かけるなら、ほんの少しだけでいい。

スマホをポケットに収め、目を閉じてみてほしい。

そこには人の息づかいがあり、街の鼓動がある。

静かに耳を澄ませたとき、あなたの心には、どんな夏が聞こえてくるだろうか。

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