くだくだしくくだらなく
とりとめのないことが頭と心に現れては消えていく。アイディアや思い付き、創作の大事な肝などは、洗い物をするために水道水を流すだけで流れ出て行ってしまう。なんならトイレのドアを開けただけでまだ用も足していなければ水も流していないのにすっと何処かに行ってしまう。トイレだけにbody feels exitである。カラダが出口を感じてる。懐かしい安室ちゃんの歌と同じで、意味はなんのこっちゃだが、とにかくなんか出て行ってしまうのである。忘れてしまうというよりはそもそも定着しないのだと思う。砂漠のキャラバンが現れたと思ったら蜃気楼に消えるように、あれはキャラバンだキャラバンだと真剣に心の目を凝らして網膜と脳裏に焼き付けない限り、それはもはや思い付きですらなく、捕まえられなかった夢のようになる。
そういえば先日「夢が捕まえられない」ということを書いたが、今朝は珍しく夢を覚えている。どうでもいいことなのに意図せず覚えてしまうこともあるのだ。夢の中で、最初は実家の二階の和室に変な生き物が現れたのを、家族と見ていた。梟のようだが飛ばない。カカポのようによたよた歩き、べたん、とペンギンが氷の上を腹で滑るように這いつくばり、羽根を動かす。「これ、鳥じゃないね。蛾だよ」と家人が言う。確かに畳に張り付いたそれは蛾のように羽根をひろげて震えている。まあまあ気持ちが悪い。その後場面が変わり、自宅マンションに戻ると、マンションのベランダから続く空間が巨大なテーマパークのようになっていて、岩場に人面魚のような危険生物が居るので避けて奥に進むと、次第にそこは沼地のようになり、さらに奥にはプラキオサウルスのような恐竜、あるいは巨大水生生物が生息していた。そのうえ沼地は次第にこちらに迫り、しまいには湖のようになった。そんな夢だった。ネス湖か。ネス湖のネッシーか。二頭くらいいたぞ。
私は結構、自分の家に「こんな部屋があったんだ」と驚く夢を見ることがある。昔、夢占いの本か何かに「自分の家に知らない部屋があるのは自分の中に眠っている可能性があることだ」みたいなことが書いてあったが、なんか可能性だけはやたらあるみたいである。今朝の夢など、自宅の部屋数などというのからもっと規模が大きくなり、マンションの部屋数というものを越えて、もはや得体の知れないものがエクステンドされているのである。自分の知らない場所が、自分のテリトリ内にあり、さらにはかなり危険な生き物が生息していることがうかがえる。可能性などという可愛いものではないらしい。現実なら大騒ぎだろうが、私は「なんだよ水浸しじゃないか」くらいにしか思っていない。水、というのもおそらく重要な鍵だろう。心理学的に水は無意識領域を指す。私は無意識の中に巨大な水生生物を飼っているらしい。しかも、最初は実家の和室で奇妙な羽根を持つ気持ち悪い蛾なんだか鳥なんだかだったものが、しまいにはプラキオサウルスである。
とにかく「生き物」なんだなと思って目が覚めた。私の無意識の中に変な生き物がいる。それは私に懐いているものではなく、かといって野生でもない。襲ってくるわけでもない。ただ珍しい、不気味な、摩訶不思議な、巨大な生き物としてそこにいるだけ。これをどう捉えたらいいものか。いや、どうも捉えなくていい。ただの夢だ。
さて現実の話。このところnoteのコメントが返せない。私はそこまでコメントが多い方ではない。それなのに、せっかく書いてくれたコメントに、すぐにお返事することができない日々が続いている。大変申し訳ない。下手をすると、コメントに気づかぬままでいることもある。通知があまり来ないようにしてあるのは事実だが、実は今、自分の文学フリマ出店についてのお悩みが結構深いのである。皆さまには大変、申し訳なく思っている。忘れたころにコメントが行くことになると思うので、寛大な心でいてくださると有難いのだが、人の心は計り知れない。SNSの交流の難しさは、日々痛感している。ただただ申し訳ない。
すまいるスパイスさんの企画「#マイピリ」も、できるだけたくさんの「ピリカ文庫」を読もうとはしているが、とても追いつかない。「お気に入りをひとつ選んでね」であるが、私は極度にこういうことが苦手である。最近は書いてないが「好きな食べ物は何ですか」という質問はしないでほしいとプロフィールに書いていたくらいである。だめだ。選べない。好きな作品は沢山ある。みんな悩んでもちゃんと選んで記事を書いている。しかも白鉛筆さんには選んでいただいた。泣いた。でもだめだ。選べない。そもそも全部読めてない。「自分にとって」のことだから、読んだ範囲でいいし、印象に残っている作品をピックアップすればいいだけのことである。でもできない。ごめんなさい、だめだ、できない。真面目か。真面目なのか。真面目なら記事を出すだろう。だから真面目だからではない。じゃあ真面目じゃないのか、不真面目なのか。と考えるくらいには真面目である。
企画は15日が締め切りで、明後日で終り。まあ間に合わない。それになんだ、ということは明日はなんとバレンタインデーである。夫も息子もチョコレートが嫌いなのでバレンタインデーに何かしたことはない。そもそも、バレンタインというイベントにはどちらかというとネガティブな思い出しかない。小中高大社と、本当にいい思い出がないのだ。好きな人に告白して振られたなどという綺麗な思い出ではなく、思い込みの激しい女子のチョコレート合戦に巻き込まれたとか、義理チョコの摘発に巻き込まれたとか、自分の思い込みが激しすぎて失敗したとか、夫と喧嘩したとか、微妙でざらざらした記憶しかない。
それでもチョコレート会社のためにこの日くらいはチョコレートを買いましょうと、二、三日前に自分が好きな『クランキーチョコ』を買った。家族はチョコが嫌いだが私は結構好きである。ロッテの『クランキーチョコ』やネスレの『キットカット』みたいなのが好きだ。なんかサクサクがはいっているやつ。ちょっと贅沢をして『ゴディバ』の板チョコセットを買うこともある。高級チョコはめったに食べることが無いが、高級チョコは中に何も入っていない方が好みである。ただ、好きではあるけれども案外えり好みが激しい。カカオが強いものはいまひとつでミルク含有率が高すぎてもいまいち。クランキーチョコは好きだけれど、あんまりザクザクしていて歯に挟まるのはちょっと、などとわがままが過ぎる。昨日久しぶりにブラックコーヒーとクランキーチョコを堪能したらちょっとお腹を壊した。だめじゃん。チョコという世界にはどうにも親和性が低いらしい。
ああそれで何の話だったか。思い付きを身体にとどめておけない、という話だった。あまりにそれが酷いので、スマホにメモすることにした。寝る前にしたメモには、こう書いてある。「管だ。人間は管だ」。確かに管が進化したのが人間だと考えた気がする。ミミズは管に口と肛門がついているようなものだし、人間はえらが退化して呼吸も口でするようになった。その先は管であるが、呼吸に関してだけは人間はくらげと同じで入れるところと出すところが一緒だ、とまあ、寝る前にそんなことを考えた。入れて出すという奇妙な生き物。でもこれからどう作品に発展できるのか皆目見当もつかない。変な夢を見ただけだ。管だけにくだらない。ああでもチョコと珈琲で……くだったのか、くだらないのか、くだらないのか、くだるのか。そんなことを、くだくだしく書いている。
※このところ、雑記にみんなのフォトギャラリーから「ダラズさん」のイラストをお借りしています。摩訶不思議な世界観のイラストに魅せられています。
