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縁側 #シロクマ文芸部

 思い出の縁側は板張りで、ひどく熱い。
 記憶の中のその床は、黒光りするような板であったと思うこともあれば、鈍い焦げ茶だったような気がすることもある。つるつるしていたか、ざらざらしていたか、感触は思い出せそうで思い出せない。庭に面した端のほうに少し歪んで這っている雨戸のレールは鉄でできていて、赤錆びたように黒く、雨戸はてるたびに軋んだ音を立てた。
 それが雨戸のレールだったのか、ガラスの入った戸だったのかも定かではないし、これがいつの、何の記憶なのかもう判然としない。太陽に照らされたレールの焦げたような色を思い出すから、夏には違いない。後で親から聞いた話が混ざりこんでいるのかもしれないし、お盆と言えばその縁側に座った記憶が積み重なった結果の像なのかもわからない。だいぶん大きくなってからも、その縁側に座った記憶がある。レールがスカートやショートパンツから出た腿裏に触れてしまって飛び上がった経験が、その古い記憶に上書きされている。

 私は幼児で、ただ縁側に祖母といる。祖母が何を話したか、何も話さなかったのか、私を見ていたのか、見ていなかったのか、何も覚えていない。ただ私の目は縁側の床とレールを見ていて、祖母がいたというだけの記憶だ。おそらくは母もその場にいたのだろうが、なぜか祖母だけが記憶にある。父方の祖母で、母にとっては姑だ。

 私は二歳から五歳くらいまで祖母の家で祖父母と同居していた。祖母は当時、おそらく今の私と同じような年齢だったように思う。この年齢も実のところ定かな話ではないが、とにかく祖母は、私の知る祖母は、もうたいそうな年寄りだった。そして、少し怖かった。
 母から聞く話では、母と祖母の関係は嫁姑の世の習いでさほど良くなかったらしい。その家で生まれた二歳下の妹は良く可愛がられていたように思うが、私はあまり寵愛を賜った記憶がない。私はもちろん覚えていないのだけれど、どうも祖母に食って掛かったことがあるらしい。母をいじめないでと言ったとか言わないとか。母はそれを、どこか嬉し気に、そして同時に苛立たし気に話すことがあった。嫁は黙って耐えろという時代に、純真な子供の訴えで溜飲を下げながらも、どんなしつけをしているんだとかえって祖母に叱られる結果になったのだろう。当時の母はまだ二十代だ。子供の前で愚痴を言ったこともあるかもしれない。私の目から見ると母がいじめられているように見えたのだろうが、子供ながらなにか義憤を感じたのかもわからない。そういうところのある子供だった。

 祖母は店をしていたからつねに忙しく働いていて、座っているときは針仕事をしていた。しかしその縁側の記憶だけ、祖母が何かをしていたようすがない。着物姿で、ただ座っていた。それだけの記憶。
 光を浴びる夏の庭と、内に入るほど暗い日本家屋のコントラストのはざまに、その縁側はあった。縁側から奥の和室には仏壇があって、暗い影の中にひっそり沈んでいるようで、子供心にそれはそれは恐ろしいものに感じられていたものだ。
 お盆のときは、その和室と続きの和室の間の襖を開放して、会食するのが常だった。食事が済んで大人たちの話に飽きると、いとこたちと遊んだりスイカを食べたりした。縁側は細長い暗いいたに変わり、ふと見やると妙にきらびやかな仏壇が目に入る。蠟燭や灯篭がともされて明るくなり昼間と逆転したような仏壇が、ますますなにか恐ろし気に感じられたものだ。
 東北の厳しい冬の縁側の記憶は全くない。冬は極寒の縁側でなど過ごさなかったからだろう。

 その後父が家を建てたので別居し、その縁側は、小学生になるころには建て替えられて無くなった。必ずしも多くの時間を過ごしたわけではないけれども、とにかく熱を発する板の間とレールが印象深く、そんなものをじっと観察していた私にとっては長閑のどかで寛いだ場所だったように思う。

 記憶の中で視線はいつも、内側から外に向いている。暗いところから明るいほうを見やるその縁側は、私のおそらくは最も古い記憶で、いわゆる原風景、というものなのかもしれない。

#シロクマ文芸部

 大変久し振りの参加になります。
 よろしくお願いします。