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流れを信じる

六月二十七日。

朝には、
昨日まで降り続いていた雨が上がっていた。

濡れた境内に、
雨に洗われた木々の香りが漂う。

午前六時。

神職の方が打つ太鼓が、
静かな朝に響き渡る。

その音を聞きながら、
本殿で手を合わせた。

願うことはない。

ただ、
今日もここへ来られたことに感謝する。

参拝を終えると、
足は自然と亀の池へ向かっていた。

御神木・綾杉の傍らにある、
小さな池。

香椎宮の中でも、
私が好きな場所の一つである。

「おはよう。」

そう声を掛けながら、
そっと餌を入れる。

すると。

水面が静かに揺れた。

一匹。

また一匹。

池のあちらこちらから、
亀たちがゆっくり集まってくる。

急ぐものはいない。

競い合うものもいない。

ただ、
それぞれの速さで近づいてくる。

雨上がりの空。

水面に映る木々。

波紋の中を泳ぐ亀たち。

見上げれば空があり、

見下ろせば空が映っていた。

自然は急がない。

だから美しい。

人だけが、
急ぎ過ぎているのかもしれない。

香椎宮を後にし、
自宅へ戻った。

十時。

愛宕神社で、
タケさん、カワノさんと待ち合わせをしていた。

その時だった。

タケさんから一本の連絡が入る。

「高速道路が渋滞しています。少し遅れます。」

予定が空いた。

普通なら、
近くで時間をつぶすのかもしれない。

だが、
私の足は自然と別の場所へ向いていた。

岩窟弁財天。

時間ができたから行く。

そんな感覚ではない。

今だから行く。

そんな気持ちだった。

鳥居をくぐる。

住宅街の中とは思えないほど、
静かな空気が流れている。

岩肌をくり抜いた洞窟へ足を踏み入れる。

外の光は少しずつ遠ざかり、
ひんやりとした空気が身体を包む。

岩の中は静かだった。

耳を澄ませば、
水の気配だけが伝わってくる。

弁財天様へ手を合わせる。

いつものように、
お願いはしない。

感謝だけを伝える。

洞窟の奥へ進む。

白龍様にも手を合わせた。

岩。

水。

龍。

すべてが一つの空間に溶け合っている。

龍とは、
勢いだけの存在ではない。

静かに水脈を巡り、
必要な時だけ姿を現す。

そんな存在なのかもしれない。

洞窟を出ると、
外の光が少し眩しかった。

予定が変わった。

だから出会えた時間がある。

人生もきっと同じだ。

思い通りに進まない日がある。

だからこそ、
思いがけないご縁に出会う。

その時は遠回りに見えても、
振り返れば、
すべて必要な時間だったと気づく。

愛宕神社へ到着すると、
六月の終わりを告げる茅の輪が迎えてくれた。

半年の穢れを祓い、
新たな半年を迎えるための輪である。

静かに一歩ずつくぐる。

雨に濡れた境内は、
朝とは違う空気をまとっていた。

本殿で手を合わせる。

その後、
音次郎稲荷神社へ向かった。

二月の初午祭以来の参拝である。

鳥居をくぐる。

すると、
最初に目に飛び込んできたのは、
奉納したのぼり旗だった。

思わず足が止まる。

音次郎稲荷の案内板の横。

天御中主大神様のお名前と並ぶように、
赤い旗が静かに立っていた。

ただそこにあるだけなのに、
胸の奥が温かくなった。

誇る気持ちはない。

嬉しいというより、
ありがたかった。

神職の方にもご挨拶をした。

「いつもありがとうございます。」

その一言だけで十分だった。

境内を歩く。

そこには白龍大神様も祀られている。

岩窟弁財天でも。

ここでも。

この日は白龍様とのご縁を、
何度も感じる一日となった。

帰ろうとした時だった。

足元に黒い影が動いた。

クワガタだった。

堂々とした姿で、
石の上をゆっくり歩いている。

子どもの頃は、
夢中になって探していた。

今では、
向こうから姿を見せてくれた。

季節は巡る。

人も歳を重ねる。

だが。

夏は変わらず、
こうして知らせに来てくれる。

言葉はない。

ただ静かに。

今年も夏が始まる。

そう教えてくれているようだった。

その後、
タケさんと合流した。

向かったのは、
愛宕神社の鳥居前にある岩井屋である。

店へ入り、
名物の「いわい餅」をいただくことにした。

焼きたてを店内でいただく。

梅ヶ枝餅によく似た、
どこか懐かしい味だった。

席は自由だった。

カワノさんが、

「奥の座敷に行きましょう。」

と声をかけてくださった。

その時だった。

店内の一角に、
八角形の大きなテーブルが目に入った。

そのすぐ横には、
ひときわ存在感を放つ社が据えられている。

私は思わず足を止めた。

「こちらにしましょう。」

自然とそう口にしていた。

近づいて見る。

最初は店の神棚だと思った。

だが違った。

店の神棚は別の場所にある。

ここに祀られていたのは、
龍神様だった。

細部まで丁寧に造り込まれた社。

見上げる龍。

静かに供えられた御神酒。

その場所だけ、
空気が違っていた。

私はしばらく言葉を失った。

白龍様。

今日だけで何度目だろう。

追いかけているつもりはない。

だが。

歩いた先で、
いつも待っていてくださる。

そんな日がある。

人は偶然という。

私は流れという。

その流れに身を委ねて歩いていると、
必要な景色は、
向こうから静かに姿を現してくれる。

その後、
三人で昼食をいただき、
近くのカフェへ向かった。

それぞれがお土産を持ち寄る、
穏やかな時間だった。

カワノさんからは、
金沢神社のお土産をいただいた。

そしてタケさんから手渡されたのは、
一つのシーサーだった。

先日、
雲仙の猪原金物店で見かけた、
青龍を守っていたあのシーサーである。

思わず笑みがこぼれた。

実は少し前、
直導くんから一枚の色紙をいただいていた。

そこには大きく、

「2027年 話す」

と書かれていた。

さらに、

「2026年後半から、話すことを意識してください。」

という言葉も添えられていた。

私はその意味を、
まだ十分には理解できていなかった。

するとタケさんが、
静かに言った。

「これは阿の方です。」

阿。

私が受け取ったのは、
阿。

吽は、
タケさんが持つという。

阿吽。

話す者と、
聴く者。

始まりと、
受け止めること。

二つがそろって、
初めて一つになる。

私はこのシーサーを見つめながら思った。

これから私は、
タケさんに、
もっと自分の想いを話していくのだろう。

そしてタケさんは、
静かに耳を傾けてくださる。

阿吽とは、
口を合わせることではない。

互いを信じ、
互いの役目を果たすことなのだ。

「2027年は話す。」

その言葉は、
未来の目標ではなかった。

もう、
始まっていたのである。


六月二十八日。

翌朝。

いつものように榎社へ向かった。

手には、
道真公と浄妙尼さんへの御供え。

まずは、
浄妙尼さんのもとへ。

御供えを置き、
静かに手を合わせる。

「道真公と一緒に召し上がってください。」

そう心の中で伝えた。

榎社へ来るたび、
最初にご挨拶するのは浄妙尼さん。

この順番が、
いつの間にか私の自然な作法になっていた。

そのあと、
本殿へ向かう。

道真公へご挨拶。

「昨日もありがとうございました。」

「今日もよろしくお願いいたします。」

お願いではない。

感謝を伝え、
今日という一日を始めるためのご挨拶である。

参拝を終え、
ふと足元を見る。

小さなダンゴムシが、
ゆっくりと歩いていた。

急ぐこともなく。

迷うこともなく。

ただ、
自分の道を進んでいる。

思わず足を止めた。

人は大きな出来事ばかりを、
意味のあるものと思いがちである。

けれど。

神様は時として、

青空や風の音、

道端に咲く花、

そして、

足元を歩く小さな命を通して、

「今日も命は生きている。」

そんな当たり前で、
一番大切なことを教えてくださるのかもしれない。

私はその小さな命を避けるように歩き、
榎社をあとにした。



函館記念。

勝ったのは、
十番人気のファウストラーゼン。

騎乗したのは、
小林美駒騎手。

重賞初制覇だった。

レース後のインタビューが印象に残った。

「まずは頑張ってくれた馬に感謝したい。」

その一言だった。

最近は走る気持ちが前向きではなかった馬。

その気持ちを大切にしながら、
一緒に勝利をつかんだ。

人も馬も同じなのかもしれない。

力だけでは動けない。

心が前を向いてこそ、
本来の力を発揮できる。

そして福島では、
ラジオNIKKEI賞。

サノノグレーターが、
コースレコードで重賞初制覇。

田辺裕信騎手は、
手術から復帰した週に重賞を勝った。

「感謝しかない。」

こちらも、
最初に口にしたのは感謝だった。

この日、
二つの重賞を見ていて思った。

勝った人たちが語るのは、
才能でも運でもない。

まず、
感謝だった。

朝は榎社で手を合わせ、

午後は競馬を見ながら、
同じ言葉に出会った。

神様は、
競馬の勝ち負けを教えてくださるのではない。

勝った人が、
どんな心でその場所に立っているのか。

その姿を通して、
大切なことを教えてくださる。

私は、
そんなふうに感じた。

ラジオNIKKEI賞を見ていて、
思わず目が止まった。

勝ち馬。

サノノグレーター。

父は、
グレーターロンドン。

その名前を見た瞬間、
目黒さんの顔が浮かんだ。

目黒さんは、
グレーターロンドンを応援していた。

好きだった。

いや。

「この馬は強い。」

そう信じ続けていた。

まだ世間が評価していない頃から、
ずっと推していた一頭だった。

だから、
グレーターロンドン産駒が重賞を勝ったことが、
どこか自分のことのように嬉しかった。

そして思い出した。

二〇一八年七月二十二日。

中京競馬場。

中京記念。

私は目黒さんと一緒に、
現地でそのレースを観戦していた。

グレーターロンドン。

見事な差し切り勝ちだった。

あの日、
ゴール前で一緒に喜んだ光景が、
昨日のことのようによみがえる。

競馬は不思議だ。

一頭の馬が、
一人の人を思い出させてくれる。

人はいつか会えなくなる。

でも、
その人が好きだった馬、

好きだった景色、

好きだった言葉は、

何年経っても心の中で生き続ける。

サノノグレーターの勝利は、
ただの重賞制覇ではなかった。

私にとっては、
目黒さんとの思い出を、
もう一度走らせてくれたレースだった。

競馬が好きだから、
神社へ通うのではない。

神社へ通うから、
競馬を好きになるのでもない。

別々に見えるすべての出来事は、
一本の流れの中にある。

朝、
亀は急がないことを教えてくれた。

岩窟弁財天では、
予定が変わるからこそ出会えるご縁を知った。

愛宕神社では、
半年の穢れを祓い、
白龍様は何度も姿を現してくださった。

岩井屋では、
龍神様の前へ自然と導かれた。

シーサーは、
阿と吽を授けてくれた。

そして榎社では、
小さなダンゴムシが、
黙って自分の道を歩いていた。

午後の競馬では、
勝者たちは皆、
最初に感謝を口にした。

サノノグレーターの勝利は、
目黒さんとの記憶を呼び覚ました。

人は、
出来事を一つずつ理解しようとする。

だが。

人生は点ではない。

すべては線となり、
やがて一つの円となる。

その円の中心には、
いつも感謝がある。

感謝とは、
幸運に対して抱く感情ではない。

歩いてきた道のすべてを受け入れ、
今ここに生かされていることを知る心である。

私はまだ、
その意味を学び始めたばかりだ。

だから今日もまた、
神社へ向かい、

競馬を見て、

人と語り、

静かに耳を傾ける。

その一つ一つが、
私という人間を形づくる修行なのだろう。

急がなくていい。

龍は、
急流ではなく、
深い水脈を静かに流れる。

その流れに身を委ねる者だけが、
本当に見るべき景色へと導かれる。

六月最後の週末。

私はまた一つ、
流れを信じるということを、
神様と競馬から教えていただいたのである。

また、しかるべきときに。

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