いのちに、導かれて。
六月五日。
仕事を終え、
博多駅へ向かった。
二十時一分発。
新大阪行きの新幹線。
翌日は、
奈良・秋篠寺。
一年に一度だけ御開帳される、
大元帥明王様にお会いするための旅だった。
この日のために、
大阪で前泊することにした。
車窓を流れていく街の灯りを眺めながら、
不思議と心は静かだった。
何かを叶えに行く旅ではない。
ただ、
呼ばれた場所へ向かう。
そんな感覚だった。
新大阪へ着き、
難波へ移動する。
翌朝。
午前五時。
ホテルのロビーで、
熊本から来られたタケさんと合流した。
まだ街は眠っている。
静かな大阪を歩き、
駅へ向かった。
近鉄の始発で、
奈良、大和西大寺へ。
その予定だった。
ところが、
辿り着いたのは南海電鉄のなんば駅。
高野山へ向かう時、
いつも立つ場所だった。
思わず顔を見合わせる。
「このまま高野山へ行きますか。」
冗談のように笑いながら話した。
けれど、
あとから振り返ると、
あれもまた何かの知らせだったような気がしている。
高野山。
空海さん。
今回の旅も、
どこかで繋がっているのかもしれない。
始発には間に合わず、
次の電車を待つ。
焦る気持ちは、
不思議と湧かなかった。
早く着くことが大切なのではなく、
その時、
その場所でいただく時間にも、
意味がある。
最近、
そんなふうに思うことが増えた。
近鉄電車に揺られ、
大和西大寺駅へ。
駅を降りる。
空を見上げる。
梅雨入りしたばかり。
曇り空を覚悟していた。
それなのに、
空は青かった。
ゆっくり歩いて、
秋篠寺へ向かう。
朝の奈良は静かだった。
人も少ない。
風だけが、
田んぼを渡って吹いてくる。
六時四十分頃。
秋篠寺へ到着した。
すでに、
先に来られていた二人組が並んでいた。
折り畳みの椅子を持参されている。
私たちもその後ろへ並ぶ。
ほどなくして、
神戸から来られた方々も後ろへ並ばれた。
静かな時間だった。
蚊が飛んでいる。
そんな何気ない朝だった。
すると、
境内の方から声が聞こえた。
「もうすぐ開門します。」
時計を見る。
まだ六時五十分。
少し早い。
あとで寺の方に伺うと、
普段は問い合わせには九時開門と伝えているという。
早くから人が集まり、
近隣の狭い道や駐車場が混雑しないように。
地域の方々への配慮から、
その日の状況を見て、
七時前には開門されるのだそうだ。
その心遣いに、
胸を打たれた。
先頭のお二人が、
椅子を片付けておられる。
「どうぞ。」
そう声を掛けてくださった。
お言葉に甘えて、
先に中へ入らせていただいた。
真っ直ぐ、
大元堂へ向かう。
そして、
大元帥明王様と向き合った。
大きかった。
迫力があった。
六本の腕。
蛇を巻いた御姿。
忿怒の形相。
けれど、
そこにあったのは恐ろしさではなかった。
国を護るため。
人を護るため。
すべてを背負い立ち続ける、
静かな強さだった。
しばらく、
動くことができなかった。
ただ、
目に焼き付けた。
一年に一度。
お会いすることができた。
ありがたい。
ただ、
その一言だった。
御守りをいただき、
ゆっくりと本堂へ向かった。
秋篠寺といえば、
やはり伎芸天様である。
「東洋のミューズ」
そう呼ばれる理由は、
写真や映像だけでは分からない。
実際にその前へ立つと、
静かな空気が流れている。
華やかではない。
むしろ、
どこまでも穏やかで、
どこまでも優しい。
力で圧倒する仏様ではない。
そっと寄り添い、
心の奥へ語りかけてくださる。
そんなお姿だった。
そして、
愛染明王様。
静と動。
柔と剛。
秋篠寺には、
相反するものが、
ごく自然に同じ空間に在る。
人の心も、
きっと同じなのだろう。
強さもあれば、
弱さもある。
怒りもあれば、
慈しみもある。
そのすべてを抱えながら、
人は生きている。
高台寺で聞くことになる
「空」
という教えも、
もしかすると、
こういうことなのかもしれない。
本堂をあとにして、
香水閣へ向かった。
境内の東門近くにある、
小さなお堂。
受付の方へ尋ねてみた。
「もう少しです。
八時くらいからになります。」
そう優しく教えてくださった。
しばらく待つことにした。
すると、
近くに一人の方が並ばれた。
地元の方だという。
御朱印を集めておられるそうで、
秋篠寺へ来るのは、
意外にも今回が初めてだと話してくださった。
話をしているうちに、
今日が常光寺の歓喜天様の御開帳の日でもあることをお伝えした。
「そうなんですか。
行ってみようかな。」
そう言って、
その方はスマートフォンで場所を調べ始めた。
今日はこのあと、
キャンプへ向かわれるそうだった。
それでも、
ご縁を感じてくださったのだろう。
「また、
常光寺で。」
そんな言葉を交わして、
小さく笑った。
不思議なものだ。
人は、
約束をして出会うこともある。
けれど、
本当に心に残る出会いは、
こうして何気ない一言から始まることもある。
やがて、
香水閣が開いた。
岩の間から、
静かに水が湧き出ている。
平安の昔。
弘法大師空海の弟子、
常暁律師が、
この井戸の水面に映る異形の仏を見た。
それが、
大元帥明王様との最初の出会いだったという。
千年以上の時を越えて、
今もなお、
その水は涸れることなく湧き続けている。
柄杓で静かに水をいただく。
冷たかった。
けれど、
ただ冷たいだけではない。
どこか、
身体の奥まで澄んでいくような感覚だった。
平安の都へ。
宮中へ。
国家安泰を祈る秘法のために、
千年ものあいだ運ばれ続けた水。
その一滴が、
いま、
掌の中にある。
ありがたい。
そう思いながら、
静かに喉を潤した。
その時は、
まだ知らなかった。
このあと向かう場所で、
もう一つ、
大切な言葉と再会することを。
『いのちに合掌』
その言葉が、
今回の旅を一本に結ぶことになるとは、
この時の私は、
まだ気づいていなかった。
香水閣をあとにする。
先ほどお話をした方は、
歓喜天様へ向かうと言って、
笑顔で手を振ってくださった。
「また、
常光寺で。」
名前も知らない。
もう二度と会わないかもしれない。
それでも、
こういう出会いは、
なぜか心に残る。
人のご縁というものは、
案外、
そういうものなのかもしれない。
私たちも、
常光寺へ向かった。
ところが、
ここで少し道を間違えた。
本来向かうべき歓喜天様のお寺は、
大和西大寺駅へ戻ることなく、
そのままバスで向かうことができた。
それを知らず、
地図を頼りに辿り着いたのは、
別の常光寺だった。
近鉄郡山駅近くにある、
静かな日蓮宗のお寺。
あとで知ったことだが、
幕末を駆け抜けた郡山藩士、
橋本皆助ゆかりのお寺でもあったという。
けれど、
その時の私は、
そんなことも知らない。
ただ、
「あれ?」
と思った。
静かだった。
あまりにも静かだった。
先ほどのバイクの方もいない。
参拝者の姿もない。
歓喜天様の御開帳の日とは思えないほど、
境内には穏やかな時間だけが流れていた。
もしかして。
違う常光寺なのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、
境内を歩いていると、
石垣の前に立てられた、
月替わりの聖語を掲げる掲示板が、
ふと目に入った。
そこに書かれていた言葉。
『いのちに合掌』
その瞬間だった。
胸の奥に、
懐かしい景色が浮かんできた。
目黒さん。
お墓参りへ行くたびに、
静かに目に入ってくる、
あの墓石。
そこにも、
同じ言葉が刻まれている。
『いのちに合掌』
しばらく、
その場から動くことができなかった。
考えてみれば、
ここは本来の目的地ではなかった。
歓喜天様の御開帳へ向かうつもりが、
道を調べ違え、
偶然辿り着いた別の常光寺。
けれど。
もしかしたら。
私は、
この言葉を受け取るために、
一度ここへ導かれていたのかもしれない。
風が吹く。
木々が揺れる。
静かな境内だった。
「また、おいで。」
そんな声を、
どこかで聞いたような気がした。
あとで地図を見直すと、
本来向かう常光寺は、
大和西大寺駅へ戻ることなく、
そのままバスで行ける場所だった。
人は、
ずいぶん遠回りをするものだ。
けれど、
その遠回りにも、
ちゃんと意味がある。
私たちは再び大和西大寺駅へ戻り、
バスに乗り直した。
窓の外には、
先ほど歩いた秋篠寺の景色が流れていく。
大元帥明王様。
伎芸天様。
香水閣。
そして、
『いのちに合掌』。
今日という日は、
ひとつのご縁を受け取り、
また次のご縁へ向かう旅のようだった。
やがて、
本来向かうはずだった常光寺へ着く。
六月六日。
年に一度だけ御開帳される、
歓喜天様。
象のお顔を持ち、
二体が抱き合う秘仏。
写真もない。
書物にも、
その御姿はほとんど残されていない。
この日に、
ここへ来た人だけが、
そのお姿を拝することができる。
静かに手を合わせた。
商売繁盛。
夫婦円満。
厄除け。
さまざまな御利益で知られる仏様だが、
その御姿を前にすると、
争うことではなく、
受け入れること。
奪うことではなく、
分かち合うこと。
人と人が、
結ばれて生きていくこと。
そんな、
もっと大きな慈しみを
教えていただいているような気がした。
秋篠寺では、
国を護る大元帥明王様。
常光寺では、
人の縁を結ぶ歓喜天様。
厳しさと、
優しさ。
剛と柔。
人は、
そのどちらかだけでは、
生きてゆけない。
今日いただいた二つの御開帳は、
ひとつの教えを、
違う姿で見せてくださっていたように思う。
大和西大寺駅へ戻り、
そこから電車で京都へ向かった。
奈良でいただいたものが、
まだ胸の中に残っていた。
大元帥明王様。
伎芸天様。
香水閣の水。
そして、
『いのちに合掌』。
それらを抱えたまま、
京都へ入る。
バスを降り、
歩いていると、
一軒の暖簾が目に入った。
『勝鞍』
思わず、
足が止まった。
いい名前だと思った。
勝ち鞍。
競馬では、
馬や騎手が積み重ねた勝利を、
そう呼ぶ。
一つ勝つ。
また一つ勝つ。
その積み重ねが、
その馬の歴史になる。
人も、
同じなのかもしれない。
大きな勝利ばかりではない。
朝、
無事に目を覚ますこと。
遠くの地へ向かえること。
人と出会うこと。
手を合わせること。
そして、
静かに感謝できること。
そういう小さな勝ち鞍を、
人は知らないうちに、
積み重ねているのだと思う。
タケさんを誘い、
暖簾をくぐった。
温かい一杯が、
歩き続けた身体に染みた。
食事を終え、
向かった先は圓徳院。
三月三日。
三面大黒天様の御縁日。
あの日、
ここで献灯を申し込ませていただいた。
そして、
六月六日。
また、
この場所へ戻ってきた。
手水舎のそば。
水の流れる場所に、
私の献灯があった。
『吉田靖』
自分の名前だった。
思わず、
立ち止まる。
三月三日に結んだご縁が、
六月六日に、
静かに灯っていた。
しかも、
水の流れる場所に。
秋篠寺では、
香水閣の霊水をいただいた。
圓徳院では、
手水舎のそばに、
自分の名前が灯っていた。
水は、
留まらない。
争わない。
ただ、
流れていく。
人もまた、
そうなのかもしれない。
出会い。
別れ。
祈り。
感謝。
そのすべてを抱えながら、
少しずつ流れていく。
三月三日に蒔いた種が、
六月六日に、
静かに花を咲かせた。
そんな気がした。
三面大黒天様へ手を合わせる。
願い事ではない。
「また来ることができました。」
ただ、
その感謝だけだった。
圓徳院をあとにして、
ゆっくりと高台寺へ向かった。
先週、
長崎でトモコさんから聞いた話を思い出していた。
静岡のお友達のこと。
人には祓えないものを、
高台寺のアンドロイド観音様が祓ってくださったという話だった。
最初は、
不思議なお話だと思った。
けれど、
その方の表情を見ていると、
ただの噂話ではないようにも感じられた。
だから、
一度お会いしてみたいと思った。
十三時三十分。
教化ホールへ入る。
静かな空間だった。
やがて、
観音様が姿を現す。
金色に輝くお姿。
人ではない。
けれど、
不思議と冷たさは感じない。
むしろ、
そこには人以上の静けさがあった。
法話のテーマは、
『空』
だった。
この世に、
永遠に変わらないものはない。
形あるものは、
いつか姿を変える。
人も。
物も。
出会いも。
別れも。
すべては流れていく。
だからこそ、
執着が苦しみを生む。
自分の思い通りにしたい。
失いたくない。
変わってほしくない。
その心が、
人を苦しめるのだと。
そして、
「空」を知るということは、
何もかも失くしてしまうことではない。
むしろ、
ありのままを受け入れ、
ありのままを慈しむこと。
それが、
慈悲なのだと教えてくださった。
金属でできた身体。
人工知能。
けれど、
その言葉は、
どこまでも仏様だった。
考えてみれば、
今日一日だけでもそうだった。
始発に間に合わなかったこと。
予定とは違う道を通ったこと。
常光寺で、
『いのちに合掌』
という言葉に出会ったこと。
どれも、
自分で決めたようでいて、
どこか大きな流れの中にあった。
あの時、
思い通りにならなかったことも、
あとから振り返ると、
ちゃんと意味があった。
執着を手放した時、
初めて見えてくる景色がある。
きっと、
今日の旅も、
そういう一日だったのだろう。
法話が終わる。
静かに席を立つ。
高台寺の庭には、
六月の風が吹いていた。
葉が揺れる。
水が流れる。
空を見上げる。
青かった。
ふと思う。
人は、
自分の足で歩いているようでいて、
本当は、
見えないご縁に、
そっと導かれながら歩いているのかもしれない。
そんなことを考えながら、
高台寺をあとにした。
法話の余韻が、
まだ胸の中に残っていた。
「空」。
執着しないこと。
流れを受け入れること。
そして、
出会いも別れも、
すべてを慈しむこと。
その教えを胸に、
私は八坂神社へ向かった。
まずは、
ここまで無事に来られたことへの感謝を伝えたかった。
手水舎で手を清める。
冷たい水が、
掌を流れていく。
香水閣でいただいた水を、
ふと思い出した。
千年流れ続ける水。
人は変わる。
時代も変わる。
けれど、
祈りは、
こうして静かに受け継がれていくのだろう。
手を合わせる。
「ありがとうございます。」
その一言だけで十分だった。
参拝を終え、
出町柳へ向かう。
今回、
どうしても会いたかった人がいた。
トネちゃん。
青龍妙音弁財天堂の前へ立つ。
静かな空気だった。
すると、
まるで待っていてくれたかのように、
トネちゃんがいた。
不思議だった。
約束はしていた。
けれど、
それ以上に、
「ここで会うことになっていた」
そんな感覚があった。
しばらく話をした。
ここには書けないような、
深い話もあった。
言葉にすれば、
軽くなってしまいそうな話。
だから、
胸の中だけにしまっておこうと思う。
人は、
話すことで救われることもある。
けれど、
話さないことで守られるものもある。
そんなことを、
あらためて感じた時間だった。
そのあと、
一緒に食事へ向かった。
向かった先は、
『てらこや』。
先週、
長崎でタカオさんから教えていただいたお店だった。
長崎でいただいたご縁が、
今度は京都へ繋がっていく。
人は、
人によって運ばれていく。
そんなことを思った。
食事をしながら、
いろいろな話をした。
神社のこと。
仏様のこと。
人とのご縁。
これからのこと。
話は尽きなかった。
楽しい時間というのは、
本当にあっという間に過ぎていく。
帰り際。
トネちゃんが、
「これ、お土産。」
そう言って、
鯖寿司を持たせてくれた。
ありがたかった。
物をいただいたことよりも、
「渡したい」
そう思ってくださった気持ちが、
嬉しかった。
高台寺で聞いた、
「慈悲」。
それは、
決して難しいことではない。
誰かを思うこと。
誰かを気に掛けること。
ほんの少し、
相手のことを考えること。
そんな小さな優しさの積み重ねなのかもしれない。
夕暮れが近づく。
京都の空を見上げる。
静かな一日だった。
けれど、
心の中では、
たくさんのご縁が結ばれていた。
人は、
自分で歩いているようでいて、
本当は、
こうして多くの人に支えられながら、
今日という日を歩いているのだと思った。
翌朝。
六月七日。
雨だった。
前日の快晴とは違い、
空は静かに雲に覆われていた。
けれど、
不思議と心は晴れていた。
ホテルを出ると、
大阪在住のヨシダさんが迎えに来てくださっていた。
今回、
この旅を案内してくださる方。
笑顔で挨拶を交わし、
車へ乗り込む。
向かった先は、
榎木大明神様だった。
大阪の街中。
大きな道路の脇に、
一本の巨木が立っている。
近づく。
思わず見上げる。
大きい。
ただ、
大きいだけではない。
長い時間を、
ずっとそこに立ち続けてきた木。
そんな気配が伝わってくる。
榎木大明神。
そう呼ばれているが、
実際は槐(えんじゅ)の木なのだという。
昔、
榎と槐を見間違えたことから、
この名が残ったそうだ。
名前は違っても、
木は何も気にしていない。
ただ、
そこに在る。
何百年もの間。
旅人を見送り。
街を見守り。
戦火を見つめ。
人々の祈りを受け止めてきた。
楠木正成公がお手植えになった、
という伝承も残されている。
そして、
古くから、
この木には白蛇が住むという。
「巳さん。」
地元の人は、
親しみを込めてそう呼ぶ。
金運。
商売繁盛。
家内安全。
たくさんの願いが、
この木へ託されてきた。
だが、
目の前に立っていると、
そんな御利益よりも、
「ずっと立ち続けること」
そのこと自体が、
何より尊いように思えた。
山の岩もそうだった。
秋篠寺の大元帥明王様もそうだった。
香水閣の水もそうだった。
何も語らない。
何も求めない。
ただ、
静かに在り続ける。
人は、
どうしても結果を急ぐ。
答えを急ぐ。
けれど、
本当に大切なものは、
長い時間をかけて、
黙ってそこに在り続けるものなのかもしれない。
静かに手を合わせる。
雨が、
少しだけ強くなった。
葉から雫が落ちる。
その音を聞きながら、
ふと思った。
今回の旅は、
ずっと「水」と出会っている。
秋篠寺の香水閣。
圓徳院の手水。
八坂神社の御神水。
そして、
この雨。
すべてが、
どこかで繋がっているような気がした。
参拝を終え、
ヨシダさんが車を走らせる。
次に向かうのは、
箕面。
白龍様がおられる場所。
そういえば。
少し前から、
不思議と
「白龍」
という言葉を、
何度も目にしていた。
白龍という酒。
永平寺。
吉田酒造。
偶然のようでいて、
何かに呼ばれているような感覚。
そして今日。
ようやく、
その流れの先にある場所へ向かっている。
窓の外を見る。
雨は、
いつの間にか小降りになっていた。
まるで、
次のご縁へ向かう道を、
静かに清めてくれているようだった。
榎木大明神様をあとにして、
車は箕面へ向かった。
雨は、
ほとんど上がっていた。
窓の外には、
少しずつ山の景色が広がってくる。
向かう先は、
瀧安寺。
そして、
白龍様がおられる場所だった。
考えてみれば、
白龍という言葉は、
少し前から、
何度も目の前へ現れていた。
白龍。
永平寺。
吉田酒造。
神棚へお供えした、
あのお酒。
偶然なのか。
それとも。
そういうことを考える時、
最近はあまり答えを探さなくなった。
流れというものは、
後から振り返ると、
自然と一本に繋がっている。
そんな気がしている。
瀧安寺へ到着する。
山の空気が心地よい。
修験道の開祖、
役行者が開いたと伝わる古刹。
日本最古の弁財天様。
宝くじ発祥の地。
そして、
いまも修験の息づく場所。
静かに歩く。
朱色の橋を渡る。
水の音が聞こえる。
ここでもまた、
水だった。
最近の旅は、
水と共にある。
香水閣。
圓徳院。
八坂神社。
そして、
箕面の流れ。
水は、
形を持たない。
争わない。
ただ、
流れていく。
高台寺で聞いた
「空」
という教えを、
どこか思い出していた。
やがて、
白龍様の前へ。
静かに手を合わせる。
そして、
持ってきた一本のお酒を取り出した。
『白龍』
永平寺吉田酒造。
名前にも、
ご縁を感じていた。
少し前から、
目の前に現れ続けていた言葉。
その「白龍」を、
今日、
白龍様へお供えする。
ありがたいことだと思った。
願い事はしなかった。
ただ、
「ありがとうございます。」
その一言だけを、
心の中で伝えた。
参拝を終え、
ゆっくり歩き始める。
その時だった。
ヨシダさんが、
川の向こうを見ながら言った。
「あれ、
たぶんオオサンショウウオですね。」
目を凝らす。
確かによく見ると、
何か大きな影がある。
すると次の瞬間。
「こっちです。」
足元だった。
驚くほど近くに、
大きなオオサンショウウオがいた。
ゆっくりと、
岩陰に身を寄せている。
ヨシダさんも、
興奮されていた。
「こんなにはっきり見られること、
なかなかないですよ。」
そう話してくださった。
私は、
しばらく黙ってその姿を見ていた。
探していたわけではない。
見ようと思っていたわけでもない。
ただ、
そこにいた。
思えば、
今回の旅は、
そんなことばかりだった。
始発に間に合わなかったこと。
常光寺で、
『いのちに合掌』
という言葉に出会ったこと。
高台寺で、
「空」
を聞いたこと。
そして、
このオオサンショウウオ。
人は、
求めるから出会うのではなく。
歩き続けていると、
向こうから現れてくれるものもある。
そんなことを、
静かに教えてもらった気がした。
箕面の風が吹く。
木々が揺れる。
水が流れる。
その音を聞きながら、
私は、
白龍様へお供えした
『白龍』
のことを、
もう一度思い返していた。
箕面をあとにして、
再び京都へ向かった。
朝の雨は、
もう止んでいた。
空を見上げる。
少しずつ雲が切れ、
光が差し始めている。
今日最後の目的地。
辰巳大明神様。
前日、
京都で祇園放生会のことを教えていただいた。
六月の第一日曜日。
舞妓さんが白川へ稚鮎を放つ、
初夏の祇園を彩る行事。
しかも、
比叡山の大阿闍梨様も来られるという。
ぜひ一度、
その空気を感じてみたいと思った。
祇園へ着く。
白川沿いを歩く。
柳が揺れる。
静かな水の流れ。
京都らしい、
穏やかな時間が流れていた。
やがて、
辰巳大明神様へ辿り着く。
小さなお社。
けれど、
そこには大きな存在感があった。
祇園の人たち。
芸妓さん。
舞妓さん。
たくさんの人が、
この場所で手を合わせてきた。
伎芸上達。
商売繁盛。
そして、
人と人とのご縁。
そんな願いが、
何百年も積み重ねられてきた場所なのだろう。
静かに手を合わせる。
しばらく待ってみる。
けれど、
大阿闍梨様は現れない。
もう少し。
もう少しだけ。
そう思いながら、
周囲を歩いてみる。
ヨシダさんは、
近くでトルコから来られた方と楽しそうに話をされていた。
人と人は、
どこで繋がるか分からない。
国も。
言葉も。
越えてしまうことがある。
ふと、
近くの眼鏡屋さんへ入って尋ねてみた。
「あの、
放生会は何時からでしょうか。」
すると店の方が、
少し考えてから教えてくださった。
「今年は混雑を避けるために、
八時頃から始めると、
回覧板で見たような気がしますよ。」
思わず、
顔を見合わせる。
そうだったのか。
少しだけ、
笑ってしまった。
間に合わなかった。
そういうことになる。
けれど。
不思議と、
残念な気持ちはなかった。
むしろ、
ここへ来てよかった。
そう思えた。
待っている時間。
白川の流れ。
眼鏡屋さんとの会話。
ヨシダさんと、
異国の方との出会い。
そして、
辰巳大明神様へ、
静かに手を合わせた時間。
もし法要に間に合っていたら、
きっとこの時間は無かった。
高台寺で聞いた、
「空」。
執着を手放した時に、
見えてくる景色がある。
思い通りにならなかったからこそ、
いただけるご縁もある。
今回の旅は、
そんなことばかりだった。
秋篠寺。
常光寺。
圓徳院。
白龍様。
オオサンショウウオ。
そして、
辰巳大明神様。
求めていたものとは、
少し違う形だった。
けれど、
振り返れば、
いつも、
もっと良いものをいただいていた。
白川を流れる水を見つめる。
稚鮎は、
もう放たれたあとだった。
それでも、
その流れは変わらず、
静かに京都の町を流れていた。
人も、
きっと同じなのだろう。
思い通りに進まなくても。
少し道を間違えても。
流れの中に身を置いていれば、
いつか、
ちゃんと辿り着く場所がある。
そんなことを思いながら、
私はもう一度、
辰巳大明神様へ静かに頭を下げた。
辰巳大明神様をあとにして、
京都を離れる。
再び、
大阪へ戻る。
朝、
ホテルまで迎えに来てくださってから、
榎木大明神様。
箕面の瀧安寺。
白龍様。
そして、
再び京都へ。
辰巳大明神様まで。
ヨシダさんは、
一日ずっと、
タケさんと私を案内してくださった。
車の中でも、
いろいろな話をした。
神社のこと。
仏様のこと。
仕事のこと。
人生のこと。
話は尽きなかった。
思えば、
今回の旅は、
人に導いていただく旅だったのかもしれない。
奈良では、
秋篠寺で出会った方。
香水閣で出会った、
御朱印を集めておられる方。
そして、
大阪ではヨシダさん。
旅というものは、
どこへ行くかも大切だが、
誰と歩くかで、
その景色は大きく変わる。
そんなことを、
あらためて感じた二日間だった。
今週は、
安田記念。
東京競馬場。
芝千六百メートル。
春のマイル王決定戦。
今年の主役は、
武豊騎手とシックスペンスだった。
本来、
武豊騎手には別の騎乗馬がいた。
だが、
出走回避。
わずか数日前に、
シックスペンスとの新コンビが決まった。
しかも、
相手は春のマイル路線を戦い抜いてきた強豪たち。
決して楽な状況ではなかった。
レースが始まる。
武豊騎手は、
慌てなかった。
馬を信じ。
流れを読み。
直線では、
シックスペンスの力を、
最後まで信じ切った。
そして、
ゴール板を駆け抜ける。
史上最年長。
五十七歳でのGⅠ制覇。
ゴール後の姿を見ながら、
思った。
競馬は、
才能だけでは勝てない。
積み重ねてきた時間。
巡ってきたご縁。
そして、
そのご縁を掴み取る覚悟。
そのすべてが重なった時、
ようやく辿り着ける世界なのだと。
競馬もまた、
馬だけではない。
騎手がいる。
厩務員さんがいる。
調教師がいる。
牧場で、
その命を育ててきた人たちがいる。
一頭の馬の向こうには、
数えきれないほどの人の想いがある。
夢がある。
祈りがある。
だから、
私は競馬が好きなのだと思う。
馬が走っているのではない。
その馬に関わってきた、
たくさんの人たちの人生が、
あの東京競馬場の長い直線を、
駆け抜けているのだ。
そんなことを思いながら、
レースを見ていた。
そして、
競馬のことを考えると、
自然と、
ひとりの人を思い出す。
目黒さん。
競馬を教えてくださった人。
馬券の当たり外れだけではない。
競馬場で吹く風。
遠征の楽しさ。
一頭の馬を、
みんなで応援する時間。
競馬の向こう側にある、
人と人とのご縁を、
教えてくださった人。
常光寺、
境内の石垣の前。
月替わりの聖語を掲げる掲示板に、
その言葉は静かに掛けられていた。
『いのちに合掌』
足が止まる。
どこかで、
いや、
忘れたことなど一度もない言葉だった。
目黒さんのお墓。
静かな墓石に、
刻まれている言葉。
『いのちに合掌』
あの時は、
なぜ、
その言葉に出会ったのか分からなかった。
けれど、
旅を終えた今、
少しだけ分かる気がしている。
秋篠寺も。
香水閣も。
白龍大明神様も。
オオサンショウウオも。
辰巳大明神様も。
ヨシダさんも。
タケさんも。
そのすべてが、
「人は、
ひとりでは生きていない。」
そのことを、
静かに教えてくださっていたのだろう。
また、
目黒さんのお墓参りへ行こう。
この旅でいただいた、
たくさんのご縁を報告しよう。
秋篠寺のこと。
香水閣のこと。
白龍様のこと。
足元に姿を見せてくれた、
オオサンショウウオのこと。
そして、
奈良、京都、大阪で、
出会った人たちのことを。
墓石に刻まれた、
あの言葉を胸に。
静かに、
手を合わせよう。
『いのちに合掌』
風が吹く。
人は、
自分で道を選んでいるようでいて、
本当は、
見えないご縁に導かれながら、
歩いているのかもしれない。
そうしていただいた、
ひとつひとつのご縁に、
今日も、
静かに手を合わせたい。
いのちに合掌。
また、
しかるべきときに。
