ライター未経験だった私が本を出すまで
どうしてもライターになりたくて、10年間勤めた山小屋を辞めた。2018年のことだ。
まずは、どうしたらライターになれるのかを調べた。しかしネットの海を泳いでも、ライターになる方法が出てこない。「Webライター なる方法」とかで検索しても、出てくるのはアフィリエイトで稼いでいるブロガーばかりだ。そういうことじゃないんだよな。
私には明確に書きたいテーマがあった。山小屋の仕事と暮らしにまつわるエッセイを書きたかったのだ。山小屋従業員はあまり知られていない職業だからこそ、誤解や偏見を受けることも多い。だからこそ、「山小屋って本当はこういう仕事なんだよ!」と、文章で広く伝えたかった。山小屋で働いているときから、「いつか山小屋エッセイを連載したらタイトルは『小屋ガール通信』にしよう」と妄想していた。
また、私には憧れているライターさんがいた。まだ山小屋で働いていた頃、たまたまその人のエッセイがTwitterのタイムラインに流れてきて、すっかり魅了されたのだ。私は彼女の過去のnoteをすべて読んだ。彼女は私より10歳近く若くて、Webメディアでエッセイやインタビュー記事を書いている。今はフリーランスだが、もともと編集プロダクションでアルバイトをしていた経験があり、その会社から仕事を受けることもあるらしい。
私はそこで初めて「編集プロダクション」の存在を知った。編集プロダクションとは、クライアント企業からの依頼を受けて、雑誌やWebの記事を制作する会社だ。編プロと略される。編プロには編集者やライターが在籍しているが、内部で仕事が完結することは少なく、多くの場合は案件を下請けのフリーライターに発注するらしい。
編集プロダクションに入ればライターになれるんだ!
さっそく「編集プロダクション 求人」などで検索したが、どこの会社も即戦力を求めていて、当時34歳で未経験の私が応募できそうな求人はなかった。ちぇっ。
憧れのライターさんが女性向けWebメディアで連載していたエッセイを読んだときのことだった。そのサイトの下部に小さく「ライター募集」とあるのを見つけ、胸が高鳴った。「これだ!」と思う。
しかし、応募要項には「すでに他媒体に記事を掲載された実績がある方。過去の執筆実績のURLを添付してください」と書かれていた。つい最近まで山小屋で働いていた私には、過去の執筆実績なんてなにもない。応募すらできない。
私はすでに34歳で、一刻も早くライターになりたい。落ち込んでいるヒマはないので、どうしたら執筆実績を作れるかを考えた。
◇
まずは「ライター 募集」で検索し、出てきたメディアに応募したら採用された。「春に履きたいスニーカー20選」「おすすめの恋愛小説10選」といった、こたつ記事のメディアだ。
実際に履いてもいないスニーカーの情報を集めて記事にするのは心苦しかったが、恋愛小説に関しては、実際に読んで好きだったものをセレクトして自分の感想を書いた。たまに「友達を作る方法5選」みたいなテーマもあり、私なんかが指南していいのか、と思う。
ライティングに慣れていないので、1記事書くのに丸1日かかった。つまり、日給1500円だ。時給に換算したらとんでもないことになってしまう。
しかも情けない話なのだが、当時は記事を毎日続けて書く体力がなかった。丸1日かけて1記事書いたら、翌日は疲れきってしまい、執筆ができなかったのだ。そんな感じだから、始めた月の売り上げはたったの2万円だった。
私がライターを目指しはじめたのと同時に夫もイラストレーターを目指しはじめたので、夫婦揃って無職だ。通帳の残高を見るたび、動悸と呼吸困難に襲われた。
こたつ記事を書きながら、「こんなもの書いてなんの意味があるんだろう」と思う。だって、すでに似たような記事が世の中に出ている。私が書いたところで、読者のためになるとは思えない。
率直に言って、書きたくないものを書くのは苦しかった。
◇
ある日、書きたくないものを書くのに疲れて、久しぶりにnoteを書いた。noteはその前年に始めていたが、すっかり放置していたのだ。
noteには、「自分と同じだと思ってくれるな」というタイトルでエッセイを書いた。
“自分の価値観が「普通」だと信じて疑わない人が苦手だ。そういう人が悪気なく発する「普通こうでしょ?」はあまりにも無邪気で、つい「みんながみんな、自分と同じだと思ってくれるな!」という言葉を飲み込んでしまう。”
そんな書き出しで、子どもの頃のいくつかのエピソードを綴った。
これが、脳がバチバチするほど楽しかった。久しぶりに、心から書くことが楽しいと思えた。
実は、当時は本名でライター活動をしていた。noteのアカウント名も本名だ。しかしこのnoteを公開するとき、「知っている人に読まれたら嫌だな」と思い、noteの名前を変えることにした。それで思いついたのが、昔書いた小説の主人公から取った「吉玉サキ」という名前だ。まさかこの筆名をずっと使っていくことになるとは思わなかった。
noteにエッセイを書くのがあまりにも楽しかったので、次の日も、その次の日も書いた。
書きたいことは無限にあった。私は子どもの頃から人一倍「自分の意見」を強く持っているタイプだが、人から嫌われるのが怖くて自己主張することができずにいたため、心の中に押し込めてきた思いがたくさんあり、それらを文章にすることに夢中になった。
noteは記事を有料にすることもできるが、私は無料公開で書いていたので、書いたところで1円も入ってこない。だから仕事とは呼べない。
けれどすっかりnoteにハマってしまい、「仕事」であるこたつ記事をほっぽり出して、noteばかり書くようになった。夫はおおらかな人なので、私が仕事をせずにnoteにのめり込んでいても、「サキちゃんが楽しそうでよかった」とニコニコしていた。
書きつづけているうちに少しずつフォロワーが増え、「スキ」やコメントも増えていった。note編集部のおすすめに取り上げられることも増えた。ひとつの記事が爆発的にバズることはなかったが、じわじわと読者が増えていった。
◇
しかし、夫婦揃って収入がない不安は大きい。メンタルの調子を崩してしまい、noteを書く以外、何もできなくなってしまった。
頭がぼーっとして物忘れが激しくなり、家事がうまくできなくなって、家から出るのも億劫になった。お風呂に入ることもできなかった。日常のすべての決断や選択ができなくなって、スーパーに行っても何も選べず、パニックになって泣いた。
死にたくない。生きたい。生きてライターになりたい。なのに、消えてしまいたい。
あまりにも調子が悪いので、夫と相談し、札幌の実家に帰ることにした。頭が働かなくて飛行機のチケットを予約するのに1時間かかり、荷造りの最中で涙があふれて止まらなくなった。
実家でも変わらず、noteの毎日更新を続けた。メンタルの調子が悪いことも、そのままぶっちゃけるように書いた。すると読者の方から温かいコメントをたくさんいただき、涙が溢れた。
あの頃、noteを書くことだけが生きる意味だった。
ある日、Twitterで相互フォローになったライター歴30年の方が、「これだけ構成のしっかりした文章を書けるなら、そのうちライターの仕事が来るはず」というコメントとともに私のnoteをシェアしていた。
その言葉をお守りのように握りしめた。今はエッセイを書くしかない。私にはこれしかないんだ。
◇
noteの毎日更新を始めて3ヶ月ほど経った、ある日のこと。知らないアドレスからメールが来た。
とある女性向けWebメディアの編集者をしている人からのメールで、私にエッセイを書かないかという。なんとそのメディアは、私が執筆実績がないために応募を諦めたあのメディアだった。「運命を引き寄せた!」と感じて震える。
すぐに返信したら、打ち合わせをしたいと言われた。私は札幌にいたので、リモートで打ち合わせをすることになった。
連絡をくれたのはKさんという10歳くらい年下の男性だった。彼は、私の憧れのライターさんのことも担当しているという。私がnoteに書いた「職場の異性を恋愛対象としてジャッジする人が嫌い」という内容のエッセイを読み、面白いと思って連絡をくれたそうだ。
Kさんは、「吉玉さんの強みは、あれだけの分量とクオリティのnoteを毎日書ける体力です」と断言した。それを聞いて少しだけ、「なあんだ、感性とか文章力じゃないのか」とガッカリする。
Kさんに「まずは1本、エッセイを書いてみませんか。いずれは連載も考えています」と提案され、その場でネタを出し合い、テーマを決めた。
打ち合わせのあと、すぐに執筆に取り掛かった。たった3000字程度のエッセイなのだが、思考がとっちらかって構成に苦戦し、何度も何度も書き直す。初稿を書き上げたときには夜が明けていて、気分転換するために、薄紫色の夜明けの街を散歩した。Kさんに初稿を送信するときは、手が震えた。
原稿は赤字がたくさん入った状態で戻ってきた。最初に真っ赤な原稿を見たときは、心臓がドクンと鳴った。自分の原稿に赤字を入れられるのがはじめてだったので、ショックを受けたのだ。しかし、一つひとつのコメントは丁寧で的を得ていて、「これが編集者の力か……!」と素直に感心する。
修正稿を提出し、しばらくして、エッセイがメディアに掲載された。SNSで「noteを毎日書いていたらメディアにエッセイを書けることになりました」と報告すると、たくさんの方が祝福してくれた。
はじめてメディアに掲載されたエッセイは、たまたまインフルエンサーに拡散され、かなり多く読まれた。Twitterには共感や自分語りや賞賛の声が溢れたが、一件だけ、内容を曲解して「傷つきました!」と主張してくる当たり屋のようなリプライも来た。
それまで、noteで「物書きになりたいけど誹謗中傷されるのは嫌」みたいなことを書いている人を見かけるたびに、「軟弱者め!」と思っていた。文章が広く読まれれば、読者から意に沿わないリアクションをされることもあるだろう。その程度のことを受け入れられないのなら、物書きなんて目指すべきじゃない。
そう思っていたはずなのに、いざ自分が当たり屋のようなリプライをされると、頭の中が真っ白になる。心がざわざわして落ち着かなくて、夜中にソファで丸まって泣いた。
しかし、わりとすぐに立ち直った。「メディアで文章を書くってこういうことなんだ」と、覚悟を決めた。
◇
Kさんから連絡が来たのと前後して、私は「第二回cakesコンテスト」に応募する作品を書いては投稿していた。当時人気のあったcakesというWebメディアとnoteが連携したコンテストで、noteに記事を書いて「#cakesコンテスト」のハッシュタグをつけて投稿することで応募できる。受賞すればcakesで連載できるという特典付きのコンテストだ。
このチャンスを絶対に逃したくない。
cakesで連載することを前提に、前から書きたかった山小屋エッセイを何作も書いて応募した。山小屋の仕事や日常、人間関係にまつわるエッセイだ。タイトルは個別につけたが、全作品に共通して【小屋ガール通信】という文言を入れた。連作であること、すぐにでも連載を開始できるパッケージになっていることを強調したつもりだ。
noteの毎日更新も続けていた。無職のくせに、来る日も来る日も、一日中パソコンに向かう。母は「よくそんなに長い時間書いていられるわねぇ」と感嘆していた。
一作書き終えてから次の作品に向かうときには、気分転換のために、母と公園を散歩したり神社に行ったりした。神社ではもちろん、「cakesコンテストを受賞できますように」と祈った。
そうして、cakesコンテストの一次選考通過作品が発表された。自分の名前を見つけてほっとする。
その翌日、cakes編集部から一通のメールが来た。私の作品が第二回cakesコンテストを受賞したという知らせだった。何作も応募したうちのひとつ、夫と山小屋で出会って恋をした話が受賞したのだ。
驚きはあまりなかった。私は図々しくも、心のどこかで自分が受賞することを確信していたのかもしれない。
渋谷で「cakes・noteフェス」というイベントが開催され、その中でcakesコンテストの受賞作が発表されるとのことで、大急ぎで東京に戻って夫と出向いた。
当日、受付で名前を聞かれて「吉玉サキです」と名乗ると、受付の女の子が「吉玉さん! いつもnote読んでます。ファンです!」と言ってくれた。noteでインターンをしている大学生だという。
狭いイベント会場の中は人でごった返していて、cakesやnoteで活躍しているクリエイターによるトークイベントがおこなわれていた。事前にTwitterに服装を書いていたので、「吉玉サキさんですか?」と声をかけてくれる人が何人かいた。
cakes編集部の方が4人、登壇する。そして、受賞者が姿を見せないまま、受賞作が発表されていく。note賞が発表され、佳作が発表され、入選6作が発表されていった。私は自分以外の受賞者を知らなかったので、いちいち「おぉ!」と思いながら見ていた。ネットで有名な方たちも入賞していて、私が名前を連ねてもいいものかとドキドキした。結局、私の作品は一番最後に紹介された。
そのあと、cakes編集部のIさんを紹介された。私の担当編集になる方だ。私より少し年上で、朴訥とした雰囲気の方だった。山や自然が好きだそう。
夫とIさんと3人で近くの喫茶店に行き、連載に向けて打ち合わせをした。連載する作品は『小屋ガール通信』でもいいし、別のテーマでもいいという。しかし私は、迷わず「小屋ガール通信を連載したいです!」と言った。
いくつか原稿のストックを作って、来月から週間連載を開始することになった。
ライターとしての活動を始めてからわずか半年で掴んだ、連載のチャンスだった。
◇
そうして『小屋ガール通信』の連載は始まった。
初回はニュース配信サイトでも配信され、すぐに山小屋の後輩から「吉玉サキさんですか?」とLINEが来た。たくさんの人から読まれ、たくさんのコメントがついた。中には「そういうことじゃないんだけどな」と思うコメントもあったが、覚悟ができていたので腹は立たない。
しかし、連載2回目からはPV数がガクンと落ちた。『小屋ガール通信』はなかなか人気が出なくて、cakes内のランキングではいつも上位に食い込めない。誹謗中傷を受けることもあった。
どうしたらもっと読まれるのか、担当編集のIさんと何度もチャットで相談をした。ネタが思いつかないときは、Iさんが壁打ち相手になってくれた。もちろん、Iさんが担当している書き手は私だけじゃない。けれど、Iさんはずいぶんと私に時間を費やして、書き手として育ててくれた。あんなに書き手に伴走してくれた編集者を、私は他に知らない。
だんだんと他の仕事も増えていき、エッセイだけじゃなく取材記事も書くようになり、忙しくなった。けれど、『小屋ガール通信』の手を抜くことはなかった。いまいち人気の出ない連載でも、私にとっては存在意義に近かった。
連載開始から5ヶ月が経った頃、Iさんから驚くべきことを告げられた。平凡社という出版社から、『小屋ガール通信』の書籍化の打診が来たというのだ。
こんなにも嬉しいことはなかった。
Iさんと平凡社の編集者さんと、cakes編集部が入っているオフィスの会議室で打ち合わせをした。平凡社の編集さんは私とIさんと同世代で、登山が趣味で『小屋ガール通信』を毎週読んでくださっているという。
平凡社の編集さんは言った。
「『小屋ガール通信』は人間関係の話が多いですが、この書籍は登山者をターゲットに、本屋さんの登山コーナーに置かれる本にしたいと考えています。つまり現状の連載よりも、山小屋の仕事や暮らしを深く掘り下げる内容にしたいんです」
そのとき、心の中にちらりと、「それだと私のnote読者さんで登山をしない人は読んでくれないかもな」という気持ちがよぎった。
しかし、Web記事ではなく書籍として出すことの甲斐について考えたとき、山の暮らしや仕事に焦点を当てる方向性は正しいと思った。ライフスタイルについて書いた本はたくさんあるけれど、山小屋について思いきり深掘りした内容のエッセイは少ないからだ。それなら、世の中に出回っている数が少ないものを書いたほうが、それを求めている人のためになるだろう。
その後、平凡社の編集さんから「会議の結果、正式に出版が決まりました」と連絡が来た。
この時点で、cakesに掲載した『小屋ガール通信』の原稿は26話分。そのうち5話は、書籍には収録しないことになった。これだけでは本1冊には足りない。つまり、残りの原稿はこれから書くのだ。
発売日はもう決まっていて、そこから逆算したスケジュールによると、あと1ヵ月半で10記事を書かなければいけない。他の仕事も受けている中でこのスケジュールは、けっこう目まぐるしかった。
Iさんと平凡社の編集さんと、これから書く原稿(書籍に入れる原稿)の内容を話し合う。その結果、クマ、台風、山ファッション、お酒事情といったテーマで書くことが決まった。いずれも、今まで「PVが取れないから」と避けていた山小屋感満載の記事だ。案の定、cakesではウケなかった。
書籍化が決まったのが1月で、すべての原稿が出揃ったのが3月。Webに掲載する時点でIさんから赤を入れてもらっているが、あらためて平凡社の編集さんにも赤を入れてもらって修正した。それから、校正さんが赤を入れた初稿のゲラ(紙に印刷されたもの)をいただき、何度も確認作業をした。
タイトルは、『小屋ガール通信』から『山小屋ガールの癒されない日々』に改めた。
2019年6月、『山小屋ガールの癒されない日々』が発売された。
結論から言うと、『山小屋ガールの癒されない日々』はじわりじわりと売れて、4刷で1万部以上を売り上げた。これは、平凡社さんが登山者をターゲットにした本作りをしたおかげだと思っている。
本を出したとき、一部のnote界隈の人に「自己啓発的なエッセイにしたほうが幅広く売れるんじゃない?」と言われたが、それだとライバルが多すぎて売れなかっただろう。内容を山小屋に特化したからこそ、cakesを知らない中高年の登山者の方にも手に取ってもらえる本になったのだ。
こうして私は、ライターを目指してから1年半で書籍化を果たした。
◇
振り返ってみると、ターニングポイントになったのはcakesコンテストだけれど、その前からnoteの毎日更新をしていたことが大きく作用したと思う。書く力を蓄えると同時に、ファンを増やすことができたからだ。
あの頃、「noteの毎日更新を続ければライターになれる」なんて保証はなかった。無職で不安な中で、それでも信じてがむしゃらに書きつづけた。それしかできなかったからだ。あの日々があったからこそ、今の私がいる。
これは今から7年前の話なので、現在はもう再現性の低い出来事かもしれない。
私の場合はnoteを毎日更新することで夢が叶ったが、それは時代や運の要素もあるので、みんながみんなうまくいくわけではないだろう。悲しいけれど、努力が実らない場合だってある。なんて世知辛いんだろう。努力したからには必ず実を結んでほしいよねぇ。
かと言って「叶わないかもしれないから努力するのやめよう」と言っていたら永遠に叶わないので、報われる保証がなくてもやっぱり、努力するしかないのだ。
だから、私は今日も文章を書く。私にはそれしかないから。たぶん死ぬまで、書いていく。
いいなと思ったら応援しよう!
サポートしていただけるとめちゃくちゃ嬉しいです。いただいたお金は生活費の口座に入れます(夢のないこと言ってすみません)。家計に余裕があるときは困ってる人にまわします。サポートじゃなくても、フォローやシェアもめちゃくちゃ嬉しいです。