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フローリング部屋が清潔だなんて誰が言ったんだろう?(その3)

1. 「三種の神器」と共にやってきたカーペットの夜明け

1956年(昭和31年)経済白書に「もはや戦後ではない」の一節が刻まれ、日本が復興から成長へと舵を切った時代。
1957年(昭和32年)住江織物株式会社(現 SUMINOE株式会社)は、
日本初のタフテッドカーペット『タフトン』を発売しました。

白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれ、
憧れの的だった頃。
公団住宅の登場でダイニングキッチンが普及し、
椅子に座る暮らし(椅子座)が一般家庭に浸透し始めると、
カーペットの需要も一気に爆発しました。まさに日本の生活が、
急速に近代化・洋風化へと舵を切った瞬間です。

2. 製造革命「タフテッド」が変えた世界の景色

それまで、カーペットといえばイギリス発祥の「ウィルトン織」カーペットに代表される超高級品。
皇族・貴族や一部の富裕層だけが手にできる特権的な調度品でした。

そこに革命を起こしたのが、第2次世界大戦後 アメリカ・ジョージア州で発明された「タフテッド」カーペット製造技術です。
基布に高速でパイルを植え付けるこの技術は、製造スピードを飛躍的・圧倒的に向上させました。これにより、カーペットは世界中で、
「高嶺の花」から「大衆のもの」へと生まれ変わったのです。
タフトについて、別の記事で詳しく書きたいと思います。

3. 「憧れの品」から「国民的床材」へ

家庭用カーペット(敷き込み)の普及率は、驚異的な伸びを見せます。
1967年(昭和42年): 約25%
1972年(昭和47年): 約42%
1982年(昭和57年): 約73%(ピーク時)

カーペットは普及に伴い、『憧れの品』から『国民的床材』とインテリア雑誌で語られ、ホットカーペットの登場も追い風となり、きわめて普及した身の回り品へと定着していきました。

カーペットの文化的考察
武庫川女子大学 大学院 磯 映美

4. 1984年、業界を襲った『悲劇』

普及の絶頂にあった1984年(昭和59年)、
日本のインテリア史に残る衝撃的な事件が起こります。

NHK特集『都会のダニ ~家の中にひそむアレルギーの恐怖~』の放映。

これをきっかけに、科学的根拠が不十分なまま「カーペットこそがぜんそく・アレルギーの元凶である」という誤解に基づいた報道が過熱しました。

昨日までの「国民的床材」は、一夜にして「健康を害するもの」として扱われ、全国的な『カーペット追放運動』へと発展してしまったのです。

5. 1990年、西宮市環境衛生局 ダニアレルギー調査報告

一方で同時期に、行政による重要な調査が行われていました。
1990年(平成2年)に発表された西宮市環境衛生局による
「ダニアレルギー調査報告」です。

この調査は、行政・医師・市民(モニター)が一体となり、
足掛け2年にわたって「住環境とぜんそく」の関係を科学的に分析した、
全国的にも極めて珍しい取り組みでした。

カーペットが「悪者」とされてきましたが、この詳細な調査によって、驚くべき事実が明らかになります。
ぜんそく発作の引き金となっていたのは、床(カーペット)のダニ数ではなく、実は「寝具(特に掛布団)」に潜むダニだったのです。

報告書にはこう記されています。

「ぜんそく発作は、床のダニ数よりも、使用している寝具類のダニ数と強く関連している」
フローリングやコルクなど「平滑な床材」へのリフォームは、個人の好みであっても、「疫学(病気の予防)的な意義は認められない」

ダニアレルギー調査報告 西宮市環境衛生局

天日干しだけでは防げない布団の中のダニを、掃除機で丁寧に吸引すること。この「正しいケア・管理」が、症状を劇的に改善させる特効薬でした。

しかし、いったん広まったカーペット=ダニの温床という間違った認識
今に至るまで払拭できず、業界も啓蒙活動を継続していますが、
かつての『国民的床材』は、いまや日本の一般住宅からほぼ消失し、
その普及率はわずか 1%弱 にまで落ち込みました。

代わりに日本の床を占拠したのは、
掃除がしやすく清潔に見えるフローリングです。

(その1)で書いた『スウェーデン・パラドックス』と
結果として、なぜ日本も同じ道を歩むことになったのか?

少し長くなりましたので、ここで一旦切りますね。

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