それにしても
― 四十年前の女が夢に出てきた話 ―
若い頃、無職で借金を抱えていた時期があった。
夜の店で飲み、
朝まで遊び、
車の中から通勤する人たちを眺めていた。
一緒にいた女は葉っぱを吸いながら笑った。
「見てみなよ。あれを見ると夜の商売で良かったと思うわ。」
私も笑った。
だが本当は違った。
羨ましかった。
そして恥ずかしかった。
何者でもない自分がそこにいた。
先日、ジョギング中に一つの物語を思いついた。
余命一週間の老人の話である。
遺言書も書き終え、
子や孫への言葉も残し、
もう思い残すことはない。
そう思っていた老人の夢に、一人の女が現れる。
女は財布を持っていた。
「忘れ物よ。」
目が覚めた老人は財布を開く。
中には一年前に買ったまま忘れていた宝くじが入っていた。
調べると三億円の当たりくじだった。
しかし老人は喜ばない。
余命は数日。
換金期限も数日。
遺言書はどうする。
家族は揉めないか。
なぜ人生の終わりに、こんな問題を抱えなければならないのか。
老人はライターで当たりくじを燃やす。
「夢だ。」
そう呟いて再び眠りにつく。
そして気づく。
あの女だ。
四十年前、一緒に朝を迎えていた女だった。
どこへ行ったのかも知らない。
生きているのかも知らない。
気がつけば四十年が過ぎていた。
物語を書きながら、AIで挿絵を作った。
驚いた。
似ているかどうかではない。
「ああ、この空気だ。」
と思った。
宝くじよりも、その方が衝撃だった。
人は人生の最後に何を思い出すのだろう。
成功だろうか。
財産だろうか。
肩書だろうか。
案外そうではないのかもしれない。
四十年前の朝。
葉っぱを吸いながら、
通勤客を見てヘラヘラ笑っていた女。
そして、その横で笑いながら、
本当は自分を恥じていた若い男。
人生の最後に思い出すのは、
そんな風景なのかもしれない。
それにしても。
人生とは不思議なものだ。
