登ることは教えてくれる。降りることは誰も教えてくれない。
昨日、氷ノ山に登ってきた。
標高約1,500メートル。
真夏の山頂でも25℃あり、持参した4リットルの水では足りなかった。熱中症になりかけ、次からは5リットルは必要だと痛感した。年齢の影響もあるのかもしれないが、無理は禁物だと改めて感じた。
しかし、一番印象に残ったのは暑さではない。
下山だった。
頂上に着いた瞬間、「やった」という達成感はある。
ところが歩き始めると、目の前に広がるのは延々と続く下り道だ。
疲労はピーク。
景色への感動もひと通り味わった後である。
「まだこんなに降るのか。」
「よくこんな所まで登ってきたな。」
ついには、
「ここまで登らなければよかった。」
そんな気持ちまで頭をよぎる。
もちろん本心ではない。
それでも、人間の心理として確かに存在する感情だ。
そのとき、ふと思った。
権力や財産も同じではないか、と。
社長になる。
会長になる。
会社を大きくする。
財産を築く。
政治家として頂点に立つ。
そこまでは社会が全力で応援する。
しかし、その後を教えてくれる人は驚くほど少ない。
どう降りるのか。
いつ手放すのか。
誰に託すのか。
山と同じで、頂上に着いた瞬間から、人生には「下山」が始まる。
ところが人は、自分の足で苦労して登った山ほど降りたくなくなる。
だから権力を離せない。
会社を譲れない。
肩書きを失えない。
財産を手放せない。
歴史上の偉人にも、そういう人は少なくなかったのではないだろうか。
さらに考えると、目標達成にはもう一つ残酷な側面がある。
頂上に立った瞬間、次の目標がなければ世界は急に静かになる。
「終わってしまった。」
その虚無感である。
フルマラソンを完走した人。
受験に合格した人。
起業を成功させた人。
長年の夢を叶えた人。
多くの人が口にする。
「その後、何を目標にしたらいいのか分からない。」
登山でも同じだった。
登頂はゴールではない。
ゴールだと思った瞬間から、虚無が始まり、下山が始まる。
私は税理士として、多くの経営者を見てきた。
会社を大きくする能力と、会社を美しく譲る能力は、まったく別の才能である。
これは家庭も同じだ。
子どもを育てることと、親離れ・子離れをすることは違う。
人生の後半は、「登る技術」よりも「降りる技術」が問われる。
私たちは若い頃、「どう登るか」を学ぶ。
勉強し、働き、競争し、高みを目指す。
しかし人生の後半になると、問われることは変わる。
どう降りるか。
権力を。
財産を。
肩書きを。
そして、成功体験を。
苦労して手に入れたものほど、それは自分自身の一部になる。
だから手放すことは、財産や地位を失うことではなく、「自分自身を失うこと」のように感じてしまう。
だから人は、山頂から降りられない。
しかし、本当に自由な人は違う。
山頂に住み続けようとはしない。
次の山へ向かうこともできる。
平地を歩くことも楽しめる。
過去の成功に縛られず、新しい景色を受け入れることができる。
そういう人だけが、次の世代に新しい地図を渡せるのだと思う。
登山の本当の目的は、頂上に住むことではない。
無事に家へ帰ることである。
人生もまた、同じなのかもしれない。
