【告知】あなたと出会い、あなたと別れたあとで── 語りが壊れてしまった、その先へ
はじめに この連載について
この連載は、ある出来事を語ろうとして始まったものではありません。
むしろ、語ろうとした言葉が、関係のなかで壊れてしまった、その経験から立ち上がっています。
私たちは、言葉を信じています。
思想や理論は、世界を理解し、他者と関わるための重要な手がかりを与えてくれます。
夜更けのカルチャー便でも、これまで多くの本や映画、アニメやゲームを通して、そうした言葉を扱ってきました。
けれど同時に、言葉はときに、あまりにも強く、あまりにも直接的に、目の前にいる他者を追い詰めてしまうことがあります。
正しさや誠実さを込めたつもりの語りが、相手にとっては逃げ場のない責任や重荷になってしまう。
あるいは、他者に応答しようとするあまり、自分自身が壊れかけていることに気づけなくなる。
この連載が扱おうとしているのは、そうした地点です。
理論が先行し、語りが生活の場や関係の段階を失ったとき、何が起きてしまうのか。
そして、壊れてしまった語りのあとで、私たちはなお、他者とどう関わり続けることができるのか。
個人的な告白ではなく、語りの構造として
この連載の出発点には、私自身の経験があります。
誰かと出会い、分かり合えていると感じ、やがてすれ違い、別れに至った経験です。
そこでは、互いに傷つき、互いに誠実であろうとしながら、限界を迎える瞬間がありました。
ただし、この連載は、その出来事を私小説のように語るものではありません。
特定の他者を描写したり、関係の詳細を再現したり、相手の内面を語り尽くしたりすることはしません。
ここで語られるのは、出来事そのものではなく、
語りがどのように破綻してしまったのか、という経験の構造です。
そのため、語りの中心は一貫して「語ってしまった私」自身に置かれます。
これは、他者を匿名化するために私が後景に退く、という意味ではありません。
むしろ、他者を語りの対象として固定せず、
自分がどのような語りを行い、どこで相手の逃げ場を失わせてしまったのかを、引き受けるための一人称です。
匿名性とは、「私が消えること」ではなく、
他者を消費しないこと、語り尽くさないことだと、ここでは考えています。
理論は、生活のなかで試される
この連載では、これまで夜更けのカルチャー便で取り上げてきた題材にも触れていきます。
アニメやゲーム、映画や書籍のなかには、他者への応答を極限まで引き受け、破綻していく姿が、繰り返し描かれてきました。
それらは決して、遠いフィクションではありません。
理論や倫理が、生活の場や関係の速度を失ったとき、
どのような悲劇が起こりうるのかを、切実なかたちで示しています。
大切なのは、理論そのものを否定することではありません。
理論は本来、生身の人間の経験から生まれたものです。
けれど、それが場や段階を失い、
一気に関係の中心へ持ち込まれたとき、
それは他者にとって、耐えがたい問いになってしまうことがある。
この連載では、理論を振りかざすのではなく、
生活のなかで、他者との関係のなかで、
どのように扱いうるのかを考えていきます。
有料連載について
本連載は、【告知】を除き、第一回から有料記事として公開します。
それは、答えや結論を提供するためではありません。
また、特別な知識を切り売りするためでもありません。
壊れてしまった語りや、傷ついた関係について考えることは、
どうしても時間がかかります。
簡単に整理できる話でも、すぐに前向きな物語へ回収できるものでもありません。
第一回では、関係の具体を語ることよりも、
語りが壊れてしまった地点そのものを、引き受けることから始めます。
読む側にも、少なからず負荷がかかる内容になるでしょう。
だからこそ、この連載は、
「無料で気軽に読めるもの」としてではなく、
立ち止まりながら向き合う時間として、位置づけたいと考えています。
結びに代えて
壊れてしまった語りを、なかったことにはできません。
傷つけてしまった他者の存在も、通り過ぎてしまった関係も、
簡単に清算することはできない。
それでも、私たちは日常のなかで、次の他者と出会ってしまいます。
そのとき、同じことを繰り返さないために、
どんな工夫や技術がありうるのか。
そして、分かり合えなくても、傷つけあってしまっても、
それでも関わろうとすることは可能なのか。
この連載は、その問いを抱えたまま、ゆっくりと進んでいきます。
もし、どこかで立ち止まりたくなったときは、無理に先へ進まなくても構いません。
そしてまた、必要になったときに戻ってきてもらえたら幸いです。
第一回は、ここから始まります。
