岸田政権は、本当に「印象の薄い政権」だったのか
政治の評価は難しい。
その時代に生きていると、どうしても支持率やSNSの評判、毎日のニュースに目が向いてしまう。しかし、歴史を振り返ると、在任中の評価と後世の評価が一致しない政治家は少なくない。
私は最近、岸田文雄政権について改めて考えるようになった。
率直に言えば、岸田政権は「地味だった」という印象を持つ人は多いだろう。支持率も決して高くはなく、「増税メガネ」という言葉ばかりが独り歩きした。
しかし、本当にそれだけで語っていい政権だったのだろうか。
印象以上に大きかった転換点
振り返ってみると、岸田政権には後世の評価を左右する可能性のある出来事がいくつもある。
まず、安全保障政策である。
国家安全保障戦略の改定、防衛力強化、反撃能力の保有など、日本の安全保障政策は大きな転換点を迎えた。これらは一つの政権だけで完結するものではなく、その後の政権にも引き継がれていく性格の政策だった。
外交面でも印象的だった。
戦時下のウクライナ・キーウ訪問は、当時としても大きな決断だった。そして広島で開催されたG7サミットでは、各国首脳による平和記念資料館訪問や、ゼレンスキー大統領の参加など、世界の注目を集める外交が展開された。
国内政治では、政治資金問題を契機とした派閥解散の流れも見逃せない。
政治的評価は分かれるとしても、自らの派閥も対象に含めた上で党全体の改革へ進んだことは、日本政治の一つの転換点として今後も検証されるべき出来事だろう。
私が気になっている「未解明」の部分
しかし、私が最も興味を持っているのは、評価が定まっていない部分である。
岸田首相は、安倍晋三元首相の銃撃事件から約1年後、自身も和歌山で爆発物事件の標的となった。
大きな負傷はなかったものの、その後も公務を続け、事件について多くを語ることはなかった。
なぜなのだろう。
また、石破茂氏への支援や推薦を含め、その政治判断についても、本人は多くを語っていない。
もちろん、現時点で理由を断定することはできない。
だからこそ、私は興味を持ってしまう。
ベリファイドアーカイブとして残したいこと
ベリファイドアーカイブは、結論を押し付ける場ではない。
むしろ、「現時点では分からないこと」をそのまま記録しておくことに価値があると考えている。
例えば、岸田政権について私が今後検証したい問いは次のようなものだ。
* なぜ自らの派閥も対象とする改革を受け入れたのか。
* 和歌山での事件は、その後の政治判断に影響したのか。
* 石破氏への支援には、どのような背景があったのか。
* 防衛力強化や広島サミットは、将来どのような歴史的評価を受けるのか。
* 在任中の低支持率と、長期的な政策評価は一致するのか。
これらは、今はまだ答えがない。
しかし、回顧録、公文書、関係者の証言など、新しい資料が出てくれば評価は変わるかもしれない。
「分からない」を残す
インターネットでは、すぐに結論を出したがる。
しかし歴史は、すぐには分からない。
だから私は、「分からない」をそのまま残しておきたい。
将来、資料が公開され、新しい事実が判明したとき、「当時はこういう疑問があった」と振り返ることができる。
それもまた、アーカイブの重要な役割ではないだろうか。
このベリファイドアーカイブは、結論の保管庫ではない。
未来の検証に耐える「問い」を保管する場所でもありたい。
