身体性を取り戻す

常に効率と成果を求められる合理的な社会。
そこでは、しばしば身体的感覚よりも、
頭でわかっている合理的な選択が迫られる。
そんな世界でずっと過ごしていると、私たちはやがて自分の身体性を失ってしまう。
常に少し先の未来の予見を求められ、
「今、ここ」にある身体の存在はどんどん希薄になっていく。

仮にそうだとしたら、
いわゆる趣味と言われるさまざまなことも、
マインドフルネスというものも、
瞑想というものも、
①身体性を取り戻す=身体の存在に目を向け「今ここ」にある生を実感する
もしくは、
②頭で考える「意識」をすることを逸らす(やめる)
という行為として共通なのではないかと思った。

①身体性を取り戻す
例えば、サウナ、ヨガ、スポーツ、
食べることや、性的な肉欲、
マインドフルネス、筋トレ、
人によっては自傷行為というものも、
身体を意識する行為、痛みや苦しみとして身体を意識する行為
なのではないかと思った。

②頭で考える「意識」をすることを逸らす(やめる)
例えば、眠ることや、読書、
ショート動画の閲覧、映画鑑賞、飲酒
などはこれではないかと思った

私たちは合理的で効率を求められる社会や環境にいると、
息が詰まってしまう。「今、ここ」の感覚が麻痺してしまう。
だから、身体を感じる行為で取り戻す。
だとしたら、行為自体を見るめも少し変わる気がした。
他者の理解できないような行為に対しても、
私なりの今の納得解を与えて寛容になれる気がした。

合理的な社会で失った身体性や感覚を、取り戻しているのだ。


養老孟司「ものがわかるということ」
を読んで。

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