創作から哲学せよ!罪悪感と自責は甘美なる一滴。その名も「リターントゥサイレントヒル」
はじめに。
有名ゲームタイトルを関した実写映画三作目。それぞれ、ゲームの1と3を先立って実写化しているが、今回は間の2を実写にしている。
まずは公式のあらすじを。そして、いつも通りネタバレは恐れずやります。
最愛の妻メアリーを失ったジェイムス・サンダーランドは失意の底にあり、酒に溺れる日々を送っていた。そんなある日、失ったはずの妻から一通の手紙が届く。その手紙には、メアリーが助けを求め、「サイレントヒル」で待っていると記されていた。ジェイムスは、かつてメアリーと2人で過ごした町「サイレントヒル」へと向かう。しかし、思い出の場所だった町は、不気味な霧が立ち込めるゴーストタウンと化していた。メアリーを捜し求める中で、ジェイムスは異形の怪物たちと遭遇し、やがてある恐ろしい真実を解き明かしていくことになる。
ということで、メアリーをめぐる冒険を始めたジェイムスの話である。
映画の中では基本的にジェイムスの視点ですべてが見えるので正直、何が何だか分からないのが殆どである。
たぶん、ここである程度、サイレントヒルで起こる怪現象やクリーチャーたちがどういうものなのか、予備知識がなかったらかなり置いてけぼりを食らうと思う。そういう意味では、完全な一見さんお断りの京都人仕様である。
そんな中、僕はと言えば実写映画2作を見ていたのでなんとか最後まで集中できた。けど、これを最初に見ていたらなかなか厳しかったと思う。
で、このサイレントヒルには異形のクリーチャーがわんさか出てくる。たとえば、バイオハザードやラストオブアスならウィルスによって変異したなれの果てがソレであるが、サイレントヒルにおけるクリーチャーはあくまでジェイムスの深層心理のメタファーなのだ。
つまり、このサイレントヒルはモンスターパニックでもなければ、ジャンプスケアでもなく、サイコロジカルホラーなのである。あまりにもクリーチャー勢の見た目が素敵すぎて、そちらに目が移ってしまうけれどもあくまでも人間の深層心理に根付くホラーをしているという点で、他の作品とは一線を画していると思う。
で、この異形化したサイレントヒルは、主人公ジェイムスが妻であるメアリーに対して抱いていた罪悪感を反映した世界になっている。ジャケットにも起用されている三角頭ことレッドピラミッドシングは、罰を求める心から生み出されていて、途中で出てくるローラやマリアはそれぞれジェイムスの欲望が具現化されている…と思う。
ちょっと自信がないのが、マリアはメアリーの代わりになる健全な異性として描かれているから、ジェイムスの願望が透けて見えるのだけれど、ローラをどう解釈したらいいのか難しく。
露骨な墓標の画が入ることで、ローラ=メアリーであることは示唆されているのだけれど、抱いていた腐乱した子供の人形は何なのか、穢れのない少女の姿で出会った意味は何なのか…などなど、深読みをしても分かり切らなかったのが正直なところである。難しい。
で。
そんな自責をしつつも、酒におぼれて自分の罪とも向き合えないジェイムスにはいくつかの選択肢が与えられていたように思う。
ひとつはマリアを選ぶこと。これはすなわち、メアリーのことを忘れて自分本位に生きることを意味している。ただ、ジェイムスは少しずつ自分を思い出していき、それを拒絶した。
そして、ローラがいう「覚悟」が出来たことで、異形となったメアリーと向き合って、エンディングを向かうことになった。
最後に、メアリーとの出会いをやり直すようなカットが入るが、あれはジェイムスの最終的な罪悪感が、「初めて出会ったときにサイレントヒルから連れ出していたら良かった」というところにつながったからじゃないかと思う。
そして、今際の際でそう願っているということは、心の底ではまだジェイムスは罪悪感と自責にとらわれているという証拠でもあると思う。
結局、ジェイムスが立ち直る人生と言うのは、周囲の人たちが言っていた通り、メアリーのことを忘れて健全に生きるという一択なのである。
なのに、ジェイムスは頑なに自分を責め続ける選択肢を選んだ。これは、実のところ、自分で自分を先立って罰することで、それ以上他者から罰されないようにしたいという弱さの表れだと僕は感じられた。
でもその弱さってすごく人間らしい。すごくいいテーマだ。
おわりに
映画としてみたら、やはり一見さんをあまりにも受け入れていないのはいただけないけれど、サイコロジカルホラーとしてみたら凄くいい作品だった。
頭では分かっているのに自分を責め続けるのは、自分で自分を責めてる方がきっと楽で、それがとても甘美なる苦痛だからという地獄の魔導士たちも喜んでくれるような内容だったと思う。

他人には勧めづらいが、十分に面白い作品でした。
おしまい。

