ドレスを着た旦那様と、私のミニスカート:人の目って何?
私が働くZimmermannは、日本未上陸のオーストラリア発ブランド。フリルや花柄をふんだんに使ったフェミニンなドレスが魅力で、キャサリン妃やテイラー・スウィフトも愛用するほど。

そんなお店で以前ドレスを購入したお客様の女性から、アポイントの連絡があった。またドレスを買いたいのでアテンドして欲しいとのこと。
ラグジュアリーブランドでお買い物をすると、接客したセールスが担当として登録される。新作やセールの案内がいち早く送られて、次の購入を促してくるのだ。
アメリカで高級ブランドのセールスは全員コミッション(歩合制)で働いでいるので、顧客管理は命綱なのである。収入以前にも、毎月のゴールを達成しないとクビになる可能性も出てくる。煌びやかな店の裏事情はけっこう厳しい世界なのだ。
まあ、そんな内輪の話はともかく、そんなリテールでは様々な不思議だったり、笑えたり、あるいは笑えない話に事欠かない。引退したらリテール千夜一夜を執筆しようかと思うほどである。
さて、長い前置きはともかく、そのアポイントのお客様が店にやってきた。奥様は上海出身のチャイニーズ、旦那様はコネチカット州出身の白人の若いカップルで、今回も仲睦まじく、肩を寄せ合って入店した。
奥様に似合いそうなドレスを何点か用意していた私に向かって、彼女は
「あ、違うの、今回は主人のドレスを選びに来たのよ。」と。
え?
私は混乱した。
「ご主人の服(outfit)?
と、私なりにちょっと訂正して聞き返すと、
(ちなみにZimmermann にメンズは無い)
「dress」
そう言って、ご主人とフロアを物色して紫と黄色のお花が散ったミニドレスや黄色いシフォンのドレスなど、何点かを指さして彼のサイズを試着室に持ってくるように指示された。全てフリフリのドレスだ。
え?
まだ混乱している私。
同僚のゲイの男の子も混乱して、でも私にだけわかるようなちょっと含みのある笑いを浮かべた口元を向けた。
その顧客のご主人は、ドラッグクイーン的な容姿やい出たちではないのだ。金髪、肩幅の広い、細身の長身、全くもって普通の青年。
その彼が、大きめのフィッティングルームに夫婦で入り、フリルやペチコートのついたお花の柄のドレスを次々と試着する。
ついでにと、奥様も自分用のドレスを試着し始めた。夫婦でファッションショーだ。
そして彼は肩のスパゲッティストラップを蝶々に結ぶ、白地にブルーの繊細な花が咲き乱れるのAラインのミディドレスを、奥様は紫陽花の花があしらった白とゴールドのミニドレスを購入された。このご夫婦は本当に仲が良い。
「一緒にドレス着るのが楽しみ」と、本当に嬉しそうなのである。来月からのギリシャ旅行にも絶対持って行くとウキウキだ。

さて、当初はこの体験を面白がって、ねえねえ聞いてよ!と家族や友人に話していたのだが、私はこのカップルがすごく好きになっていった。
最初は驚いたよ。でも、それ以上に素敵だったのは、このご夫婦が心からファッションを楽しんでいたこと。人の目なんて気にしない、ただ「似合う」「好き」を追求する姿に、なんだか心から応援したくなった。
知り合って10年、喧嘩もほとんど無いという。この店の服は決して安くはないので、ご主人の収入もかなり高いのだろう。
こんなことがあった。
私は40歳で結婚してアメリカに来て、翌年日本に帰国して、久しぶりに故意にしていた元の取引先の男性何人かと食事をしたとき、その中の一人に
「ここは日本だから、四十過ぎて膝見せるスカートは諦めた方がいいんじゃないかな」とやんわり批判され、ちょっとびっくりした。
おっさんのタワゴトに傷つきはしないけど、ああ、そういうものだったっけ、と思っただけだ。同じように短パンで近所のコンビニに行こうとして、母に「みっともないから着替えなさい」とも言われたのだ。
そうそう、母にオレンジ色のセーターを買ってお土産にした時も「いい歳してこんな色、派手すぎて着れない」と突っ返された。

みっともない。人の目を気にしなさい。
アメリカに住む日本人の友人たちは
日本だよねえ、それって。
一同その体験に笑う。
確かにアメリカじゃ、80の婆さんだってピンクを来て短パンでもミニでも履くのだ。本人が好きで似合うと思えば、それで良いのだ。ここの人々は誰もそれを批判しない。
そしてドレスを着る男性。女装というと、何やら普通じゃない悪いことのような響きがある。親や奥さんに隠れて深夜にこっそりとか、その手のアングラな集まりで弾ける、みたいな。
でもそれを夫婦でおおらかに楽しむ。
誰にも迷惑かけるわけじゃないし、微笑ましいではないか。
多様性の時代、あれから30年近い月日を経て、日本の熟年世代はもっと自由になったのだろうか?
男性もメイクする時代、ドレスを堂々と着こなす男性が街を堂々と歩いているのだろうか。
誰か教えて欲しい。
人の目に対する反応は二種類ある
人の目を気にする
人の目に認められたい
どちらも他人にどう思われるかという確認のプロセスである。
私たちの多くは私を含めて、自分で自信を持って買った服であっても、人に褒められて、初めてホッとする部分がある。やっぱり正解だったんだと嬉しくなる。
私の顧客たちもよく、「すごく褒められたのよ」とお礼のメッセージをくれたりする。
誰だって褒められるのは気持ちいいに決まってる。
それが加速すると、褒められるために買うという本末転倒の事態に陥る。承認欲求がエスカレートしてしまうタイプの人々。
そういう人々はカードがマックスになっても買い物を止められない。そういう顧客を何十人も見てきた。
そういう極端な例は別として、ブランドのバッグだって、良質だからと買う人なんて、実際ほとんどいないのでは無いだろうか。
やっぱり認めて欲しい。数万円のロゴTシャツが飛ぶように売れるのも、その紛れもない証拠である。
私はそれを否定しない。頑張った自分へのご褒美に奮発したっていいじゃないか。それに触れて持ち歩いて、褒められて嬉しくなるなら高い買いものだって元が取れるってもんだ。それこそ誰にも迷惑かけずに幸福になれるのだから。
それに対して人の目を気にするというのは、なんてネガティブな感情だろうか。まして年寄りに対して
派手すぎる
短すぎる
年甲斐もなく
若作り
どれも差別的で全く不快な響きである
そういう私はミニスカートをほとんど履かない。50過ぎた頃から膝をあまり出さなくなった。それは派手すぎるからでも短すぎるからでも年甲斐もないからでもない。
ある日突然似合わなくなってしまった。
顔の変化、体型の変化、全身のあちこちで起こる微妙な変化が少しずつ私の容姿を変えて、ある日突然、あれ?似合わないとなってしまった。
そして、還暦過ぎてもミニの似合う女性もいる。
それは年齢というより、個人差みたいなものでもある。加齢やスタイルの問題以前に、性格や好みも関係してくる。
一言で言えば可愛らしいタイプの人はいつまでもミニが似合う。わかりやすく言えば森高千里とかピンクレディのお二人など、歳を重ねてもミニに全く違和感が無いけれど、誰も鈴木京香や天海祐希のミニは想像できない。どちらが若々しいかではなく、イメージの問題なのだ。
つまり熟年のファッションは自分のイメージを知ることがとても大事。
私はミニは似合わないけれどジーンズは似合う。仕事でアテンドさせて頂いた松嶋菜々子さんはデニムが恐ろしく似合っていて、オーラが半端なかった。
昭和の時代、Gパンは若者の特権だったが、今はジーンズを素敵に着こなす年配の女性はごまんといる。
58歳の私の義妹はAラインのボリューミーなスカートがとても似合う。私はシンプルなシルエットの方がしっくりくる。
私の東京の友人のマリコさんは還暦過ぎても黄色や赤をそれはカッコよく着こなすし、アメリカのマリコさんは引き締まったボディにタンクトップがぴったりくる。
何が言いたいかというと、人の目を気にするというネガティブな思考を人に褒められたいというポジティブな思考に切り替えれば良いのだ。
そのために自分にはどういうファッションが似合うか、家族や友人に聞いてもいい。褒められた時の服を記憶して、どこを褒められたかをリストアップしたり、自分自身を鏡に映して、どの服を着るときゅんと、ときめくか。そう、こんまりメソッドをファッションに応用して、トレンドに振り回されずに、あれ、私って綺麗じゃん!って思える服を買う。
もちろんトレンドを全部無視してはいけない。
例えば、いくらナイスな美脚を誇っていても、今スキニージーンズを履くとひと昔の人になって、ちょっと野暮ったく見えてしまう。
そこらへんの匙加減が難しいと思われるかもしれないけれど、時代の流れを無視すると頑固婆さんになってしまうし、流行最先端を貫くとイタい婆さんになる。トレンドは、ほどほど取り入れて、あとは自分が好きになる服を選べばいい。
あ、還暦でもお洒落なスタイルは、近々発信するので楽しみにしていてください。
あなたは最近、「人の目」を気にして諦めたこと、ありませんか?
もしあるなら——それ、本当にやめたいことですか?
私も久しぶりにミニに挑戦したくなった。
高齢化社会、寿命も伸びて、還暦からの時間が長い時代になった今、お婆さんになったって、もっともっと楽しもうよ。
還暦過ぎてピンク着たっていいじゃない。
堂々と姿勢良く着れば、後ろ指は絶対指されない。
そういう時代をみんなで作ろうよ。
