キリスト教的視座で古典を読み返す
学生の頃、私はただひたすらに西洋の古典文学を読み耽っていました。 湧き上がる教養への憧れ、知らない世界への知的好奇心。そして「文学少女」という響きへの、背伸びした憧憬。
当時の私にとって、古典を読むことは、どこか「教養の筋トレ」のような側面がありました。溢れんばかりの若い体力と気力をエンジンに、難解なページを次々とめくっていく。それは、自分の中に知の骨格を作り上げるための、ストイックで幸福な時間でした。
現在進行中の、会社経営や子育て。「もう今後、古典を読み返す情熱が湧き上がってくることはないだろう」とどこかで諦めていました。
しかし、最近になって、自分の中に新たな欲求が芽生えていることに気づきました。 それは、近年強い関心を抱いている「キリスト教的な視点」から、もう一度あの物語たちを読み返してみたい、という願いです。
Netflixで最新のドラマを観ても、現代のベストセラー小説を読んでも、どこか満たされない。そんな「魂の渇き」のようなものが、私を再び、あの重厚な紙の手触りへと向かわせているのかもしれません。
思い立ったが吉日。ならば、今日から始めようと思います。
これから読み返したい、あるいは初めて紐解きたい古典たち。 「キリスト教」というレンズを通したとき、かつて筋トレのように読み飛ばしたあの一行から、どんな新たな視座が立ち上がってくるのか。
私自身の内なる旅が、今また始まろうとしています。
読み返したい古典・初めて読みたい古典
今の私が読みたくなっている古典を一覧しておきます。
今回は、未読の古典に沢山チャレンジしてみる予定です。
【米文学】
緋文字(ナサニエル・ホーソーン) 1850年 (今、初読中)
風と共に去りぬ(マーガレット・ミッチェル) 1936年 (未読)
無垢の時代(イーディス・ウォートン) 1920年 (愛読書。再読予定)
国の慣習(イーディス・ウォートン) 1913年 (未読)
【英文学】
二都物語(チャールズ・ディケンズ) 1859年 (未読)
ミドルマーチ(ジョージ・エリオット) 1871年 (未読)
テス(トーマス・ハーディ) 1891年 (未読)
ハワーズ・エンド(E.M.フォースター) 1910年 (未読)
心の死(エリザベス・ボウエン)1938年(未読)
情事の終り(グレアム・グリーン) 1951年 (愛読書。再読予定)
【ロシア文学】
罪と罰(フョードル・ドストエフスキー) 1866年 (再読予定)
戦争と平和(レフ・トルストイ) 1869年 (途中で挫折。再読予定)
アンナ・カレーニナ(レフ・トルストイ) 1877年 (愛読書。再読予定)
【仏文学】
椿姫(アレクサンドル・デュマ・フィス) 1848年 (愛読書。再読予定)
テレーズ・デスケルー(フランソワ・モーリアック) 1927年 (今、初読中)
どれだけ読めるか分かりませんが、リスト化しただけでかなり満足です笑
アメリカ生活を通じて、キリスト教的な考え方に興味を持って以来、退屈だと思っていた宗教画や宗教音楽も興味を持って楽しめるようになりました。
聖書を読んでみたり、自分の世界が広がってワクワクしています。
