吊り橋を渡る 38 紗希 2022年12月23日 02:41 “何かに呼ばれてる” 僕はここ数年、ずっと そんな気がしている。宿までの乗り換え駅で、僕と家内は下車をして、コーヒーでも飲んで行こうと話した。駅前にちょうど喫茶店があったので僕等は入ることにした。店の中は、タイムスリップしたかのような、懐かしさに溢れている。「落ち着くわね」家内の日出子も居心地がいいらしい。メニューを真剣に見ていた家内は「私はブレンドとミックスサンドにするわ。小腹が空いちゃった」メニューを受け取り僕が決める番だ。「僕はアイスコーヒーとショートケーキにしよう」ちょうど店員さんが来たので、僕は注文した。「友樹さんは、甘い物が本当に好きね」家内のいう通り僕は甘党だ。年齢を考えると、気をつけないと、とは思っているが中々やめられない。窓の外を見ると、さっきより曇っている。降らないといいが。僕ら夫婦は、一男一女を授かった。二人とも結婚をしたので、夫婦で旅行をすることにしたのだ。「私、ずっと泊まってみたかったの。だから今から期待でワクワクしてる」家内はランプの宿に憧れていたので、今回はそこを予約してある。注文した品がテーブルに並ぶと早速、僕らは食べ始めた。「コーヒーも美味しいけど、このミックスサンドもとっても美味しい」家内は満足そうだ、良かった。僕等はすっかり寛いでいたが、そろそろ電車の時間だ。喫茶店を後にして、再び駅に戻ると、僕らが乗る電車が止まっている。割と人が乗っていたが、僕と日出子は座ることが出来た。電車はゆっくり発車。窓の外には雑木林や原っぱが広がっている。「あ、イノシシが走ってる!野生のイノシシ初めてみた」興奮した家内が思わず大きな声を発した。そんな日出子を可愛く思った。そして1時間後、電車は目的の駅に到着。宿に電話をして車で迎えに来てもらう。バスなど通っていない。15分後、ワゴン車が迎えに来た。山の奥に入るにつれて、道は狭くなり、下を見れば崖で、かなりのスリルを味わった。宿に到着。受け付けで名前と住所を記入して、いよいよ僕等の部屋に向かう。部屋のドアを開けると、畳が広がっていた。想像していた以上に広い。「失礼します」宿の人がランプに火を灯しに来てくれた。「ごゆっくりお寛ぎください。夕食は6時と7時になりますが、どちらにいたしましょう」「7時でお願いします」家内がそう伝えた。宿の人が行ってしまうと家内は、畳に寝転んだ。僕も隣に寝転んだ。僕も日出子もランプを見つめている。時計もテレビもない。非日常がここにはある。「あまり混まない内に、お風呂に行きましょうか」日出子がいう通りだ。「そうだな。食事の前に入って来るか」僕等は一応、入浴セットを用意して来た。なにせランプの宿は初めてで、だから一応石鹸やシャンプー、バスタオル位は持って行くことにした。日出子と男女別々のドアを開けて中に入った。「風呂場もランプなんだな」薄暗い中にも人が2人いるのは判る。不思議な気持ちになったが、体も髪も洗い、湯船に入る。薄暗さには人をリラックスさせる効果があるようだ。日出子はどんな気持ちでいるのだろう。その時、突然フラッシュバックに襲われた。何十年も前の出来事が未だに僕を苦しめる。忘れることなど無く、思い出すと心臓が鷲掴みされたように苦しくなる。僕は湯船から上がりると狭い脱衣所で、急いで服を着てドアの外に出た。日出子はもう部屋に戻っているのだろか。少しの間、廊下で待ってみることにした。ぼんやりと、窓からの景色を見る。「あら、もしかして待っててくれたの?」日出子が風呂場から出て来た。「待ってたよ」日出子は照れたような顔をして、「ありがとう」そう云った。部屋に戻ると、幾らもしない内に、夕食が運ばれて来た。全部並べると、宿の人は、「どうぞごゆっくりなさってください」そう云うと部屋から出て行った。「頂くとするか」「私お腹がペコペコ」では、いただきます。「体に良さそうな料理だな」「本当ね。このお豆腐、抹茶の味がする。美味しい」「一品一品、手がかかってるのが判るわね」「そうだな。鍋もそろそろ食べられるんじゃないか」僕は鍋の蓋を開けてみた。「豆乳のお鍋ね」「さっきも云ったが体に良いものばかりだな」「私たちの年齢には、ちょうどいいかもしれないわね」「出来たらビールが飲みたいけど」「缶ビールなら受け付けに行けば買えるみたいよ」「う〜ん、やっぱり止めておこう」「友樹さん、食事が済んだら外に出てみない」「いいね、夜の散策か」そして僕と日出子は宿の外に出た。辺りは真っ暗で、何も見えない。「友樹さん!空を見て!」日出子の興奮した声に、思わず上を見上げた。「うわ……」「すごい……」これだけの星空はプラネタリウムでしか見たことがない。「ちょっと怖くないか」「何故、怖いの?」「見てはいけないものを、見てしまったみたいな。畏怖の念のような」「あゝ、判る気がするわ」「湯冷めをしたらいけないから、部屋に戻ろう。受け付けで缶ビールを買って」「やっぱり呑むんじゃない」そう云って日出子は笑った。「私はお菓子を買って行くけど」「あれ?ダイエットは?」「暫く延期にします」僕等は笑いながら宿に戻った。テレビが無いのでやることといえば、スマホを弄るくらいだ。日出子もお菓子をつまみながら、スマホで小説を読んでいる。その晩は早く寝ることにした。僕は睡眠導入剤を飲まないと眠れない。もう何十年もずっと。「友樹さん、友樹さん」日出子の声で僕は目が覚めた。「すごくうなされていたけど、大丈夫、友樹さん」「あ、あゝ大丈夫だ」「また……あの夢を見たんでしょう」僕は目を閉じ、頷いた。「友樹さん、私はずっと思っていたことがあるの」僕は日出子の顔を見た。「あんなことがあれば、誰だって記憶から消せはしない。そして人は簡単に『赦しなさい。そして忘れるの』と云う。だけど、犯人を赦すことなど出来ないと、私は思う」日出子は泣きながら、続けた。「友樹さんの妹さんが、まだ小学生の時に誘拐されて、その後、痛ましい姿で見つかったこと」僕は黙って日出子の話しを訊いていた。「犯人の中年男性は直ぐに捕まったけど、じゅうぶん過ぎるほど友樹さんのご家族は辛いのに、イタズラ電話がかかってきたり、誹謗中傷する手紙まで届いて。被害者の遺族なのに」日出子は泣きじゃくっていた。「日出子、ありがとう。もういいよ」日出子は強く首を振った。「一番友樹さんに伝えたいことをまだ話してない」日出子は胸に手を当てて、呼吸を整えている。「友樹さん、犯人を許さなくていいのよ。私は許さなければと、ずっと苦しんでいる姿を見て来た。友樹さんにも幸せになる権利はある。だからもう赦さないとと自分を追い詰めるのはやめて欲しいの」「赦さなくていい……」「そう、私たちは生身の人間なの。神様じゃない。『赦しなさい』などと云う人たちは、地獄を経験したことがないから、そんなことが云えるんだと私は思ってる。偉人の他には」「日出子……」「ん、なぁに友樹さん」「僕は犯人を憎んでる。どんなに時間が経っても。それが僕の本心なんだ」「憎んでもいいのよ」「憎んでもいい……赦せなくてもいい……」僕は口に手を当てて、泣き続けた。こんな夜更けに大声を出しそうだった。日出子は僕の隣りに横になった。そして僕の体を優しく摩ってくれた。ずっと。ずっと。いつの間にか、寝ていた。目を覚ますと窓から陽が差し込めている。「起きた?良かったら朝食前に、外の新鮮な空気を吸いに行かない?」「そうだな、行こうか」山にある宿だから、空気もかなり冷たく感じる。それがとても気持ちがいい。「友樹さん、あれを渡って見ましょうよ」「僕が極度の高所恐怖症なのを日出子も知ってるだろ。無理だよ」「大丈夫よ、私が支えているから。絶対に大丈夫。私を信じて」日出子はよほど渡りたいみたいだ。「よし!行くぞ、絶対大丈夫!」「そう大丈夫!さぁ行きましょう」恐る恐る脚を橋に乗せる。当たり前だがやはり揺れた。「友樹さん、はい、渡りましょう」僕はなるべく下を見ないようにして、橋の真ん中を歩く。日出子が僕の腰に両手を当ててくれている。僕は、スローペースながら、少しずつ前に進んでいる。気がつくと橋のほぼ中間地点まで来ていた。「友樹さんすごい!あと半分のところまで来たね」日出子の嬉しそうな声が訊こえる。あと半分だ、いくぞ!僕はゴール目指して歩み出す。見た目より揺れないのがありがたい。そして遂に渡りきった。「友樹さん、おめでとうございます」日出子が拍手する。「日出子が支えてくれたからだよ。お陰様で、生まれて初めて吊り橋を渡れた」笑顔で訊いてた日出子の表情が急に変わった。カサッ僕は音のする方を見た。するとそこには僕のことをジッと見ている鹿がいた。少しの間、僕と鹿は見つめ合っていた。 お兄ちゃん、幸せになってね。 そしたら夕子は、すごく嬉しい。夕子……。そして鹿は山の中に消えた。日出子はそっと僕と手を繋いだ。僕を呼んだのはキミだったんだね、大事な夕子、僕の妹。日出子は僕の顔を見て、優しく微笑んでいた。 了 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #短編小説 #オールカテゴリ部門 #創作大賞2024 38 13