怒られない魔法は、ノートの中にあった。
忘れっぽいくせに、欲しいものだけは忘れなかった
私は、幼い頃から怒られてばかりだった。
不注意が多くて、どこかズレていて、空気感を読むのがとにかくヘタ。
でもなぜか、人の「機嫌」には過剰に反応していた。
感情の波を、いつも先回りして察知してしまう。
小学生時代の通信簿には、どの先生も決まってこう書いていた。
「感受性がとても強く、繊細ですね。それもあって周りの人の立場に立って行動できます。」
今思えば、あれはHSPの気質を見抜いていたのかもしれない。
ADHDについては、就学前の健康診断で「発達に問題あり」と言われたらしい。
病院を受診して診断名も伝えられたらしいが、両親のそのへんの記憶はあいまいのようだ。
大人になってから精密検査を受けたわけじゃないから、断言はできない。
でもネットのチェックリストや診断を受けるたびに、何度やってもADHDと出てしまう。
多分そうなんだろうなと思っている。
今でいう“グレーゾーン”なのかもしれないと。
とにかく、頭の中は常にせわしなく、ぐるぐるしていた。
情報も感情もアイデアも、ぜんぶ渋滞してるような感じだった。
それなのに――欲しいものだけは、なぜか忘れなかった。
おもちゃは、ちょっと言い出しづらかったけど、
「あるもの」だけは迷わず父にねだった。
デパートのおもちゃコーナーにある、おままごとグッズや着せ替え人形などなど
そういう”the女の子”という物には全く興味がなく、
どちらかと言えば男の子が好む物のほうが好きだったのかも。
公園に行けば木登り、家では一人で黙々とベーゴマ、投げコマ、メンコ、特にハマってたのはモーラーだ。
私と同年代の人なら分かる人も多いはず。
懐かしくて検索したらメーカーさんが動画を出していた。
当時の私はモーラーの使い手のプロと母には自慢していた。
話は戻り__。
「これ、買って」
ねだるタイミングだけは、子どもながらに絶妙だった気がする。
父は怖かったけど、甘やかし方は雑なくらい大胆だった。
ある日、テレビで誰かのポエムが紹介されていて、わたしも書いてみたいと思った。
怒られないって、何だか不思議だった。
最初は落書き帳や、使わない折り紙の裏、新聞のチラシの裏に書いて、
それをホッチキスで止めて、勝手に“作品集”を作っていた。
しばらくして、とうとう「ポエムノート」をねだった。
父「何に使うとか?」
わたし「ポエムを書きたい」
父「何か?それは?」
わたし「詩みたいなもん?」
当時、ポエムよりも真面目な感じが詩という感覚だった。
それだけの会話で、父は無言でノートを買ってくれた。
母も、「またそんなもん買って…」とは言わなかった。不思議だった。
それまでの私は、何かをしようとするたびに「なんで?」と詰められていた。
「そんなことして何になるの?」
「また忘れてる」
「ちゃんとして」
――そういう言葉が日常だったのに、その日だけは何も言われなかった。
たぶん、あれが人生で初めて「自由にしていいよ」って言われた瞬間だった。
誰もそう言葉にはしてないけど、私は勝手にそう受け取った。
あの時のノートは、きっと私の居場所

それからというもの、私は毎日のようにポエムを書くようになった。
飽きもせず、毎日、毎日。
本屋に行けば、必ず詩集コーナーへ一直線だった。
本屋にだけは頻繁に連れて行ってくれた。
最初はマネっこみたいな短い言葉ばかり。
だけど書いているうちに、だんだんと心がスーッと落ち着くようになっていった。
ノートの中だけは、誰にも注意されずに済んだ。
「光が机に落ちてくる」
「わたしの中で風が泣いてる」
「地球の涙がポツリと頬を…」
――今、思い出せば「何じゃそりゃ」なものばかりだけど、その頃の私にはどれも本気だったと思う。
ノートがぐちゃぐちゃになっていても、誰も怒らなかった。
消しゴムのカスだらけでも、書き直しだらけでも、
そこにいる「私」だけは、責められなかった。
見たくても、もう見れない。
その大切な幼き時代の居場所は2016年の火事で焼失したから。
今でも、あのノートの中に帰りたくなる時がある
誰かの言葉にすぐ傷ついて、
でもじっとしていられなくて、
他人の感情に巻き込まれて、
それでも“書く”ことで、なんとか自分を保ってきた。
よく思い出す。
どうしてもちゃんと伝えたい相手がいるとき、私はいつも手紙を書いていた。
些細なことでも、文字にして届けようとしていた。
今こうしてnoteに文章を書いているのも、たぶん、あのポエムノートの延長線上にある。
誰にも怒られずに、自分でいていい世界を、私は自分の手で作ってる。
叱られてばかりいたあの頃の自分に、
「君には、ちゃんと自分の居場所があったじゃん」って言ってやりたい。
これを読んでるあなたにも
誰にも咎められなかった瞬間、ひとつくらいあったんじゃないだろうか。
もし思い出せたら、その中に、きっと「自分らしさ」の芽が隠れてる。
