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五十年越しの時効成立

小学二年生の国語の時間。
自由に詩を書いてみましょうという課題が出たときのこと。

当時の私は、何をするにも自信がなくて、自分で考えて意志を伝えることがとにかく苦手だった。親が決めたことに従うのはとてもラクちんだった。考えなくていいし、ほめてくれるから。でもいざ一人になると、「これでいいのかな」と、いつもびくびくしていた。

(自由にって言われたって、えーどうしよう。何も思い浮かばないよ…)

頭の中は真っ白、鉛筆を握る右手が汗ばんで、原稿用紙が次第にふにゃふにゃになっていく。周囲のコツコツと鳴り響く鉛筆の音に心を削られて、時間だけが無情にすぎていった。

あと五分です、との先生の声に(空白じゃまずいよ、怒られる)という不安と緊張が一気に高まった。今なら、まあいっか、これが今の私だと開き直る術を知っている。

でも、当時の私はできなかったという劣等感に苛まれ、さらに、先生や親からの信頼を裏切ってしまうかもという謎の罪悪感と恐怖で思考停止に陥っていた。

その結果、図らずもとっさに隣の席の子の用紙をチラ見してしまう。
よくないとは知りつつも。

そこには、当時流行っていたアニメ『アタックNo.1』の影響か、「バレーボールのボールは魔法使い」「ボールがとんでいく」といった言葉がつづられていた。

「ボールが魔法使い」なんて、冷静に考えると何のことだか意味がよくわからないけれど、とにかく先を書き続けた。

バレーボールのボールは魔法使いだ
わたしが打つとポンととぶ
上手なひとが打つとポーンととんでいく

たしかこんな感じだった。これ以上は覚えていない。

かれこれ五十年近く前のことになるが、折につけ思い出してしまう。時効があるなら適用されるだろうか。ただ、友人の文を一文でも丸パクリしたことに変わりはない。

用紙を提出した瞬間の気持ちは覚えていないが、幸か不幸か、その場は乗り切ることができた。その後しばらく、いつか呼び出されて尋問されるかもしれないと、おどおどしながらが学校生活を送っていた。

ところが半年後。あろうことか、このバレーボールは魔法使いだ、の書き出しが全く同じ二人の詩が校内文集に掲載されていた。しかも出席番号順だったからちょうど前後で。友人が前で、私が後。詩を選んだのは先生。

文集をつくるときにも、配布された後にも、先生や友人から直接何かを言われた記憶はない。いや、言われたかもしれないが、なかったことにしているだけかもしれない。

ただ、私の中でしばらくの間、選ばれてしまった、自分の実力でも何でもないのにどうしようという気まずさだけが大きく渦巻いていた。今でも思い出すと、胸の奥がチクっとする。

四月になり、三年生のクラス替えでその子とは別のクラスになった。心の底から大きく安堵したことだけは今でもよく覚えている。

あの時、真っ白な用紙を前に震えていた私に、今の私なら、きっとこんなふうに声をかけるだろう。

今のあなたで大丈夫
自由に書いてごらん

それでも何も思い浮かばなかったら、その苦しい気持ちを書いたらいいよ
あなたの言葉がそのまま正解になるから

五十年後のあなたはね
バレーボールを魔法ではなく、自分の手でつなぐ喜びを知っているんだ

誰の真似でもない自分の言葉で
こんなに長い話を書けるようになっているから

五十年越しの時効成立。

私はようやく、あの日の気まずさを、未来への原動力という名の思い出に書き換えることができた気がする。

(1406文字)


第4回「ミニカキングダム」に参加しています。テーマは「魔法」。


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