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七夕の日に。上書きされてしまった願いごと

「笹の葉さらさら……」

子どもの頃、七夕のうたが流れるたびに決まって心がざわついていた。背中がムズムズして妙に居心地が悪くなる。その理由は、歌詞に自分の名前がたくさん出てくるから。

大人になった今は、ああ、七夕の時期ね、今年はどんな願い事をしようかな、いくつお願いしようかななんて、いたってのんきにしやりすごしているけれど。

小学校低学年くらいまで、七月に入り、笹や短冊の準備が始まると早く七夕が終わってほしくて、毎日おどおどしながら学校に通っていた。

短冊にお願いを書きましょう
願いが叶うようにみんなで一緒に歌いましょう

授業でそんな流れになると、いつ不意に友達から何か言われるんじゃないかとヒヤヒヤものだった。

まだ漢字も習っていない低学年の時期、歌詞から私の名前を想像して結びつける子なんて一人もいなかったはずなのに。私だけが勝手に「笑われたらどうしよう」とおどおどしていたのだった。

今思えば、そんなときもあったよなと懐かしいエピソードでしかない。けれど、当時の私にとっては「どうか早く七夕が過ぎてくれますように」「周りのみんなに笑われませんように」という切実な願いが、私の本当の願い事を上書きしていた。そんな小さな一時期の憂うつを親に言っても申し訳ないよなと、小さな胸の内でひとりで抱え込んでいた。

ひとりよがりの思い込みの果てに、ひとりで悶々としていたのには理由がある。幼稚園の頃、別の歌で散々からかわれた思い出があったから。

その歌は、タイトルにも私の名前が直接含まれていて、歌詞も歌手もかなり特徴的で大ヒットしていた曲だった。幼稚園の特に男子たちからは、「やーい、港の……」と、飽きもせずにしばらくからかわれたものだった。

おとなしくて自己主張が苦手だった私は、その歌で周囲の友だちから注目を浴びてしまうことが苦痛で仕方なくて、逃げ場もなくて、ただただ歌が終わるのを耐えていた。

もし、当時の私に会えるのなら。

おどおどして小さく背中を丸めている私の手をつないで、こう言ってあげたい。

大きくなった私はこんなに強くなってるから大丈夫。
さあ一緒にこう言い返してみよっか。「名前が歌になるって特別なことなんだよ、いいでしょー。悪く言うと日本中の○○さんを敵に回すよ」って。

子どもの頃は、本当に小さな小さな世界で生きている。だから、ほんのささいなことで傷つき、それを表に出せないまま、背負い込んでしまうことだってある。親に迷惑をかけちゃいけないという思いが強い子は、いつだって我慢大会の優勝者なのだ。私がそうだったみたいに。

あれから何十年も経った、七月七日の夜。大人になった私は背中のムズムズも感じずに、おだやかに日常をやり過ごしている。

あの頃、小さな世界でひとり、我慢大会を戦い抜くことが正しいと思っていた私へ。ほんの少し勇気を出して、今の気持ちを伝えてごらん。誰も笑わないし、世界はあなたが思っているよりもずっと広くてやさしいから。

今夜の夜空に、もしも短冊を一枚かけるなら。

「あの頃の私を含めて、みんなの心が、ふっと軽くなる夜でありますように」


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