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自己紹介│54歳│実家暮らし│無職│ASD・網膜色素変性症│うつ病をのりこえて│はじめてのnote[後編]

なんか、自己紹介後編って💦すごい自分が好きな人みたい😓
そんなことないんですよー。文章が長くなるだけなんですよー。って、誰に言い訳しているんだろう😅と、いうわけで、社会人編です。


 1  なりゆきで社会人に、最初から仕事が続かない 19~20代

 なぜ、国文科の短大進学を諦めて、(合格できなかったから、というのが一番の理由だけど)美術館に就職することにした理由は、消去法で、工場とか人数の多い職場を避けたかったからです。今までの経験から、人数の多い職場では、上手くやっていけない。と、いうことはわかりきっていたので、職員が少ない職場だと、いじめられることはないだろう。と、いう自分を守るための選択でした。この後、そんなことは全然ないと気づかされるのですが💦

 地元の美術館は、平和でした。職員は女性ばかりで、皆、優しいいい人たちでした。人間関係で、悩むことはそんなになかったです。仕事で悩むことはあっても。まだ19歳だしなー、うーん、若い✨
当然、まわりは皆年上です。美術館は、田舎にしてはオシャレな建物で、池の真ん中にありました。長い橋を渡って、美術館のある建物に入館します。古美術品で、貴重な品がたくさんありました。今、思えば、すごい場所だったのですが、その当時はそんなことに気づかず、毎日通っていると、美術品も見慣れてしまって、普通の備品と変わらないなー😅と思いながら、受付にいました。
受付と見張りは交代制で、わたしが状況に慣れてくると、美術品の解説をお客様の前でしたり、経理をさせられたりしました。喫茶スペースがあり、抹茶をたてさせられたりしました。もちろん、練習はしてるけど、だいたいの人はコーヒーを頼むので、内心、ひやひやしながら抹茶をたててました。黄金の器があって、それに抹茶を入れるのです。
 美術館は町の外れにあるので、バスで通えず💦当分は、朝早く出勤前の(当時)父に車で送ってもらい、(お互い、同じ町で働いていてよかった)仕事の帰りに車の免許を取りに行ってました。性格上、車の運転は向いてないだろう。と、思い、取らないようにしていたけど、美術館に通うために仕方なく取ることに😓結果、車の免許を取ってよかった。転職した時に、免許がないと職場に通えないし、就職の条件に、「車の免許」は、その当時、どの職場でもあったので。
当然、四苦八苦はしたけど、なんとか車の免許を取ることができて、無事、車で通勤できるようになりました。が、しかし、わたしには、経理の仕事は仕上げなきゃいけないという意識はなく。(仕事が終わる時間が来たら、経理の仕事はおしまい。次の日もエンドレス💦)その他にも、いろいろ問題はあったらしく、美術館職員の仕事から、庭の手入れをする仕事に回されました。そんな立場になったことで、母も当時生きていた祖母も、仕事を辞めるように言い、わたしも当然、嫌々行っていたので、仕事を辞めることに。1年5カ月の美術館職員でした。

 その後、職安で、「ドラッグストア」の仕事をみつけて、面接を受けると無事合格できた。ので、ドラッグストア正社員。として、12月13日の金曜日から(笑)働きはじめました。その時は20歳。

 その当時は、田舎では、「ドラッグストア」は珍しく、ドラッグストア業界の先駆けみたいな、地元ローカルドラッグストアでした。今はもうありません。だから、適度にゆるい感じで、わたしには向いてました。その職場でも、当然職員さんは年上ばかりで、皆、優しい人ばかりで、学校にいた時よりも居心地はよかった。土日休みはなかったけど、(月1くらいはあった)基本的に残業もなかったので、今思えば、夢のような職場でした。ああ、戻りたい。
 そんな職場で、全然興味のない、職員兼「美容部員」をやらされることになり、研修に行かされそれが地獄のようにしんどく。そんなことで、仕事を辞めるわけにはいけない!と思ってはいたけど、精神的に追い込まれて、例のごとく、行きたくない。と、いう状態になり、眠れなくもなってきたので、仕事に行きながら、某ホームセンターの、「パート」の面接に行き、無事受かったので、転職することにしました。早まるな!自分!と今なら激しく思う。もう、正社員になれることはこれでなくなりました。ドラッグストアの仕事を辞めたのは、3月で、26歳でした。

 某ホームセンター、の仕事はいろいろややこしく、当時、パソコンなんて触ったことないわたしにとって、POPをパソコンで作るだけでも、難しいことでした。しかも、親切に教えてくれることもなく、ほぼ放置。な、シビアな職場でした。27歳でも、貫禄のない💦わたしを慕ってくれる。中卒パート女子。も、いたけど、仕事はなかなか覚えられず、当然、精神的に追い込まれ、寝れなくなり、職場も休むようになり、結局、辞めた。2月に。1年、もたなかった。がっくり。初めての「うつ病」になり、なかなか、立ち直れなかった。就活をしたのは半年後。
 それから雑貨店、正社員(になってたわ💦)も、棚替えが上手くできず、4カ月ぐらいで辞めた。転職しまくり人生😓

 2  30代、転職はもはや鉄板。20代よりも安定してない仕事

 その後、その当時、新しくできたドラッグストアのオープニングメンバーのパートとして働くことになりました。16:00~20:00の、4時間パート。某ホームセンターの同僚がわたしがいるから、と、いう理由で、入って来た人がすぐ辞めた😓10:00~16:00までのパートとして入って来ました。そのドラッグストアも今は無く💦その友達は、今は派遣社員として、働いてます。

 ドラッグストアパートが、軌道に乗ったので、朝のパートとして、新しくできたスーパーの、「日配部門」の仕事について、しばらく掛け持ちしてたのだけど、例のごとく(笑)ドラッグストアのお昼のパートさんが辞め、その枠に入れるようになり、フルタイムパートに出世しました。

 人が次々と辞めていくところなので、当然勤めている人たちの性格もキツく💦(仕事はできる)わたしも人間関係で、揉めたので、6年もいたのに、「クビ」になり、(正確にいえば契約を切られた)今度は予定外で、急に無職になりました。

 それで、またガクンと落ち込んでしまった。「うつ病」再び。自分で自分を奮い立たせて、地元の本屋の夜の部、18:00~22:00にバイトに行った。ちなみに、もうその本屋はありません。しばらくバイトしていると、地元に新しいドラッグストアができると聞き、面接へ。パートから正社員になるルートがあると知り、正社員を目指してがんばることに。
 が、見通しが甘かった。一緒に入社した。バイトさんたちは優秀な人ばかりで、仕事のできないわたしは浮きまくり💦陰で悪口を言われ、忙しい日のシフトを外され、それは、わたしの能力がないからだと嫌みを言われ、(もと、美容部員のバイトに、なぜか目の敵のようにされていた。確かにその女は仕事ができたけど)
 それで、だんだん嫌になって休むようになり、例のごとく出勤できなくなり、仕事を辞めることに。その間に、観光地にある。美術館職員の、契約社員の入社試験を受け、無事合格しました。そのおかげで今回は、「ドラッグストア」→「美術館職員」のタイムラグがなくなりました。

 3  40代 今のところ最後の「一般就労」になった美術館職員。自立支援就労という働き方にシフトする

 4月に、美術館の受付にいる仕事をはじめる。喫茶スペースが近くにあり、喫茶スペースの様子を見て、手伝いに行く仕事。
 ワークショップもやっていたので、紋切り型(だったっけ?💦)の切り方をお客様に教えたり、消しゴムハンコで、(同じ契約社員の方が作った。ハンコがたくさんある)傘にハンコをつけて、傘を作る体験とかの手伝いをしていました。絵画の解説をやったりもしました。その他、いろいろな雑用もしていました。最初のうちはよかったが、そのうち、また胸の大きい女子スタッフに嫌われ、そのスタッフのおばさんで社員の女性にも嫌われ、喫茶スペースの女性の方が病気で、「休暇」に入ったことで、喫茶スペースの仕事をメインでやらされたことで、ますます仕事がツラくなり、精神的に追い詰められ、結局、辞めた。丸1年後に。

 その後は、また「うつ病」になり、今度こそ、普通の人として働くのも、客商売もやめよう。と、うつ病から美術館の仕事を辞めて、3年後に思い。職安で、「A型事業所」で、「映画を見て、感想を発表する仕事」という、楽そうな仕事にひかれて(笑)面接を受けたら無事合格したので、県庁所在地に電車で通うことになる。
 そして、その事業所は、わたしが入社して、(9月でした)4カ月後の、年が明けて、2月に倒産しました。同じ系列のA型事業所が、そのまま入社させてくれたので、失業しなくてすみました。
 が、さすがに、「映画の感想を伝えればいい」という、簡単な仕事はなく、地元のお土産の「紙風船」を作らされたりとか、仕切り板を作らされたりとか(事業所内で)しまいには、工場へ出張で行かされ、美容液のチェックをすることになり、欠陥品を見逃して注意されているうちに、さすがにしんどくなり、仕事を辞めることに。しばらく休みにして、粘っていたのだけど、やっぱり無理でした。そして、世の中はコロナになり、わたしも以前より重い「うつ病」になり、今に至ります。これだけ長い文章を書けるようになったので、徐々に浮上しております。

 ためにもならない、長い文章に付き合ってくださってありがとうございました。わたしの話は以上です。

 

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