自己紹介│54歳│実家暮らし│無職│ASD・網膜色素変性症│うつ病をのりこえて│はじめてのnote[前編]
壁紙?に文字を入れたかったのだけど、いろいろアプローチしたけど、何も変わらず💦ということで諦めました。そんな初心者っぽいわたしの自己紹介です。54歳、無職、強力ワード過ぎるやろ😅
1 自己紹介
はじめまして。
54歳、無職の 「まるよか」と申します。うーん、この時点で関わりたくなるオーラをビンビン感じますね。基本、怖くない・・・と思いますので、よろしかったら最後までお付き合いください😊
ASD(自閉スペクトラム症)とは、対人関係や社会的コミュニケーションが下手くそで、特定の物事、行動に対する強いこだわりがある傾向にあるようです。この表現はわたしに対することだけの言葉なので、他のASDといわれる人たちに向けては言っていないと思ってください。自分の個人的な見解としては、ADHDの要素も少しあるような気がします。不注意だし、多動で落ち着きがないし、ぼーっとしてられない人です。頭の中に空白があると、マイナスなことばかり考えて暗くなるので、頭の中にどんな言葉でもいいから詰めこみます。
そんなわたしの経験を振りかえることで、「こんな人でも生きてるんだから、わたし全然イケてるじゃん!」と、思っていただければ、わたしの人生も報われると思うので、(大げさやなー😓)自分に自信を持つためにも、長くなりそうですが💦わたしの「自分語り」にお付き合いください。
2 それなりにいろいろハードなことがあった 幼少期~小学校時代
わたしは、ASDという特性があるので、本当に小さい頃の記憶はありません。わたしの記憶がはじまるのは「5歳」からです。
母の話によると、人と目を合わせない、異常に大人しい、お母さん、お父さん、と言うより、「ペットボトル・ペットボトル」ばかり言ってたそうです。ペットボトルの響きがよかったのだろうなー、今も好きだし。歩きはじめたのも遅く、言葉も出てこないなど、普通とは違う要素がいっぱいあったわたしを病院に連れて行って診てもらったら、「自閉症」と言われたそうです。(その当時は、発達障害という言葉はそんなに使われていなかった)わたしが、ASDだということは小さい頃から言われていたので、その事実を自然に受けとめていました。発達障害ということがわかってショックを受けることはなかったです。そんな自分は少数派なのかどうかはわかりませんが。
この一方的な文章でもわかるように、空気を読むのは上手くありません。小さい頃は特に、「協調性」などなくて、やりたいことしかしていなかった。遊びたくなったら遊び、絵本が読みたくなったら読んでいました。お友達と、自分から積極的に話すことはなく、「大人しかった」保育所の先生にべったりな子どもでした。
当時から、外で遊ぶのが苦手で💦家で、絵本を読んだり、絵をかいたりするのが好きでした。
母の実家に遊びに行くと、家にはない「漫画」「図鑑」があったので、うれしくて、読みまくったことを覚えています。同年代のいとこと遊ぶことはあったけど、自分にとってはそんなに、「楽しい」ことではなかったです。子どもながらに本音を隠して、「楽しいふり」をしていました。友達と遊んでいても、「家に帰って絵本読みたいなー」と思っている。子どもらしくない子どもでした。
小学校になんやかんやあったけど、無事、入学。そこでも、相変わらず外で遊ぶのが苦手で、「鬼ごっこ」「かくれんぼ」「だるまさんが転んだ」など、内心「嫌やなー(>_< )」と思って参加してました、足も遅いので、鬼ごっこでもすぐ鬼になって、しょっちゅう鬼で、何も楽しくなかった。外遊びで好きだったのは、「ブランコ」「ジャングルジム」など、ひとりでできる遊びだなー、今思うと、本当に人と関わりたくなかったんだなー、自分。内弁慶だったので、学校ではほとんど話さなかったし。そんな感じだったら、自分の思い通りに物事が進まないから、学校が楽しいわけがない(笑)うちへ帰って、本や漫画を読むのが楽しみな子どもでした。うーん、内向的。
お友達もそんな感じだったから、当然少なかったです。その数少ない友達の前では、沈黙が怖くて、ずーっとしゃべっていたので、わたしのあだ名は「あひる」でした。ガーガー!うるさいから。でも、まだその頃は平和だったんです。基本、教室で休み時間は「本」読んでいて、ゴム飛び(なつかしっ!)とかしたくなったら、「いーれーてー♪」と言えば入れてもらえてたし。自由でいられました。
小学校5年生になると、さすがに、「女子グループ」というのができて、特定の友達とだけ上手く立ち回って付き合う。と、いうのが得意ではないから、しだいに孤立していき、無視されるようになりました。いじめられてました。男子からからかわれて、ヒドいこと言われてたし、ブタだの汚いだの、バリアだの。
そんな中でも、そのクラスにも他のクラスにも友達はいて、休み時間は他のクラスにしょっちゅう遊びに行くようになりました。その行動が、わたしをかばってくれないクラスの友達は、気に入らなくて揉めたりしました。
そんな感じだと、ますます学校が嫌いになり、朝が来るのが嫌でしかたがなかったです。その気持ちを思い出すと、今でも苦しくなります。そしてそれは、高校卒業するまで続きます。
3 暗黒な中学時代~灰色な高校時代
小学校でいじめられたわたしは、この失敗は繰り返さない!と心に決め、新しいクラスでは、クラスメートに積極的に話しかけました。「中学デビュー」というやつです😅そのかいあってか、クラスで仲のいい子は何人かできて、中学時代のはじまりは上々でした。特に、クラスで休み時間にイラストを描いている子と仲良くなり、わたしはその子にひっついていました。イラストを描くその子の様子を、休み時間に見ているのが好きでした。が、小学校の時に、いじめられていた。男子が同じクラスで、最初は大人しくしていたそいつが、クラスになじんだかと思ったら、わたしをいじめはじめ、それ以外でも、わたしの態度に不満のある。クラスの女子がいたようで、クラスメートの女子、仲良くしていた友達にも無視され。孤立しました。中学1年生の時に、初めて「本当にひとり」になりました。本当に、しんどかった。学校に行くのが、嫌で嫌でたまらなかつまたけど、母に心配かけたくなくて、いじめられていることも言わず、ひとりで耐えていました。この世から消えてなくなりたい。と、思っていたけど、わたしには「ザ・チェッカーズ」という「推し」がいて、特にサックス奏者の「藤井尚之」さんが好きで、心の支えだったので、テレビとレコードと音楽雑誌を楽しみに生きていました。中1の三学期に、わたしと同じクラスで孤立した女の子が出てきて、その子と一緒に行動するようになり、それでだいぶ楽になりました。いじめられてはいたけど。
中学2年生の時は、中1の時に行動を共にしていた友達とクラスが分かれて、違う友達と、(ひとりしかいない💦)行動するようになりました。友達の友達だった。ひとつ年上の先輩と仲良くなり、その先輩に自分の気持ちを話せるようになって、状況はさほど変わらなかったけど、(孤立&いじめは相変わらず)中1の頃よりも、生きやすくなりました。その先輩とは、今はすっかり疎遠になってます。彼女は無事結婚して、息子さんがひとりいて、その息子さんも無事今年、大学に入学したそうです。よかった。
本当にひとりぼっちではなかったけど、いじめはやっぱり苦しくて、息をひそめて、学校に目立たないように通うのが精一杯で、そんな環境で当然、勉強ができるわけなく💦高校は、三流私立高校にしか入れなかったけど。なんとか進路が決まって、嫌でたまらなかった中学校から無事解放されました😊イェーイ!
イェーイ!だったけど、中学の時のように、「高校デビュー」する元気がなかったわたしは、当然、クラスになじめず、なんとか入れた女子グループの人たちと、いっしょに移動するだけの日々(笑)を過ごしました。その、女子グループの子と、彼女がくれた年賀状がきっかけで、クラス内文通(笑)をするようになり、2年生になって同じクラスになれなかったけど、学校内文通(笑)は、卒業するまで続いて、今でもその子とはお友達で、今では、手紙、LINE、Instagramでつながっています。もちろん、たまに会います。そんな友達がいるのだから、学校に行くのが嫌やー(>_< )というのは、ぜいたくと言えばぜいたくなんだけど、本当ーに、嫌やった。高2の時にクラスで一緒にいた友達はひとりだけいたけど、その子と会話が上手くできなくて、ツラかったです。
3年生の時は、数少ない友達たちが先生の配慮で、たくさんいるクラスに入れたけど、他のクラスメートの女子たちから、「あんたらのクラス、サイテーだと言われた」とでかい声で嫌みを言われたりしたから、当然、仲良くすることはできず、しんどかった(>_< )
そんな中、高校3年生になり、短大受験することにしたけど、当然、勉強に集中できる精神状態ではなく💦短大に見事に落ちて、急きょ高校卒業したら就職することになりました。その当時はバブルで、就職先はいっぱいあり、高校の職安?で、地元の美術館職員の仕事をみつけ、エントリーしたら、無事面接までこぎつけ、美術館に就職することになりました。
・・・って、さすがに長すぎるので💦前編、後編に分けることにしました😓自己紹介なのに(笑)
と、いうことで、また後編でお会いしましょう😅
