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火星——赤い地平の向こう(28):第6章 火星探査の未来——回収・滞在・改変(2)

(承前)

6.3 有人探査——代理身体から人間の身体へ

現在の火星探査は、すべて無人機によって行われている。ローバー、ランダー、オービター。これらは人間の「代理身体」である。人間は地球に居ながら、これらの機械を通じて火星を「経験」している。
だが有人探査は、この関係を根本から変える。
有人火星探査の構想は、1960年代から存在していた。アポロ計画の成功に続き、火星有人探査が次の目標として語られていた時期があった。だが技術的・予算的・政治的な制約により、計画は何度も延期された。
現在、有人火星探査に最も積極的なのはSpaceX(スペースX)社である。イーロン・マスクは火星植民地の建設を会社の究極目標として掲げ、大型ロケット「スターシップ」(Starship)の開発を進めている。スターシップは、火星への人員・物資輸送を想定した完全再利用型ロケットである。
NASAも長期的な有人火星探査計画を持っており、月を経由ポイントとするアルテミス計画との連携が構想されている。ただし具体的な実施時期は依然として不透明である。
有人火星探査の技術的課題は、多岐にわたる。

放射線——火星には磁場がなく、宇宙線と太陽粒子線が直接降り注ぐ。地球から火星への往復飛行中の放射線被曝量は、現在のNASAの宇宙飛行士の生涯許容量の上限に近い。表面での滞在中も、放射線対策が必要である。

低重力の長期影響——火星の重力は地球の38パーセント。長期間の低重力環境は、骨密度の低下、筋萎縮、心血管系への影響をもたらす。現在の国際宇宙ステーション(ISS)での経験から、対策は可能だが困難であることが分かっている。

心理的孤立——地球と火星の通信遅延は、距離によって3分から22分に及ぶ。リアルタイムの通信は不可能であり、乗組員は心理的に孤立した状況に置かれる。緊急時にも地球からの即座の支援は受けられない。

着陸・離陸技術——火星の大気は地球の約1パーセントの密度しかない。大気が薄いため、エアロブレーキングの効果が限定的であり、着陸に必要な減速が難しい。人員と大量の物資を安全に着陸させる技術は、現在まだ確立されていない。

食料と資源——長期滞在のためには、現地での資源利用(ISRU:In-Situ Resource Utilization)が必要である。火星の大気から二酸化炭素を回収し、電気分解で酸素と一酸化炭素に分解する技術(MOXIE実験がパーサヴィアランスで実証されている)、水の氷から水素と酸素を得る技術、土壌を利用した食料生産など。

ここで重要なのは、火星は「到達不可能」ではないという事実である。
ホーマン遷移軌道——地球軌道と火星軌道を接続する燃料効率の良い軌道——を使えば、地球から火星まで約7–9ヶ月で到達できる。これは人間の個体としての寿命のスケールを逸脱しない。火星の1日(1 Sol)は24時間39分であり、地球の1日とほぼ同じ長さである。これらの数字は、火星が人間にとって「異質すぎる」天体ではないことを示している。
しかし重要なのは、有人火星探査が実現したとしても、宇宙服なしでは存在できないという事実である。
人間は、火星の大気を直接吸うことができない。二酸化炭素95パーセントの大気は、呼吸には使えない。大気圧は人間の体が耐えられる下限をはるかに下回る。素肌では、体内の水分が沸騰する。
火星での人間の経験は、常に人工環境を介する。宇宙服、居住モジュール、与圧ローバー。これらの人工的な膜を通じてのみ、人間は火星に存在しうる。
火星は到達可能だが、地球的身体と直接同型ではない。
これは、本書が「ヴァーチャルな実在」と呼ぶ関係の、最も具体的な形である。火星は物理的に実在し、到達可能である。しかし人間は、火星を直接経験することができない。常に人工的な介在を必要とする。

6.4 火星における時間感覚——地球的尺度の変容

有人探査を考えるとき、もう一つ重要な問いがある。それは時間の問題である。
火星への飛行には7–9ヶ月かかる。到着後、次の地球帰還の機会まで少なくとも1年以上待つ必要がある。これは、火星と地球の軌道の関係によるもので、約26ヶ月ごとに最適な打ち上げ窓(launch window)が訪れる。
つまり、火星に向かった人間は、少なくとも2年以上(往復飛行と滞在を含めると3年前後)、地球に戻れない。
この時間的拘束は、人間の感覚を変えるだろう。地球での出来事は、通信遅延とともに、やや過去のものとして届く。家族、友人、社会。それらは3分から22分遅れた過去として存在する。
火星の夜空には、地球が見える。青い点として。それは故郷でありながら、届かない場所である。
この感覚は、これまでの宇宙飛行士が経験したものとは質的に異なる。ISSから見た地球は、近くにある。軌道高度は約400キロメートルであり、地球は巨大な存在として目の前にある。しかし火星からは、地球は夜空の一点に過ぎない。
火星に長期滞在した人間は、地球とは異なる時間感覚の中に生きるだろう。それは地球的な時間の尺度が、微妙にずれ始める経験である。
そしてここに、「老い」の問題が再び現れる。火星に3年滞在した人間が地球に帰還したとき、彼の身体は地球に残った人間と同じように老いているだろうか。低重力、放射線、心理的ストレス。これらは老化を促進するかもしれない。あるいは、地球とは異なる老い方をするかもしれない。
火星は、人間の時間感覚と老化プロセスそのものを問い直す場でもある。

(続く)

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(2026.3.19 公開)

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