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火星——赤い地平の向こう(1):序章 赤い点から風景へ(前半)

序章 赤い点から風景へ


一枚の写真がある。

火星探査ローバー、スピリットが撮影した夕暮れの光景だ。低い地平線の向こうに、小さな太陽が沈もうとしている。地球で見慣れた夕焼けの赤ではなく、太陽の周囲には淡い青の光が広がっている。手前には暗い岩の影。空はやや褪せた橙色から灰色へと変化している。そこには人間の姿はない。カメラを据えたのはローバーであり、シャッターを切ったのもアルゴリズムである。

それでも私たちは、この風景に心を奪われる。

なぜだろうか。そこは私たちが生きることのできない場所だ。大気圧は地球の約1パーセント、主成分は二酸化炭素、平均気温はマイナス60度。宇宙服なしでは一歩も歩けない。呼吸することも、素肌で風を感じることもできない。それなのに、私たちはこの地平線に、説明のつかない静けさを感じる。
火星は非人間的である。だが、その非人間的な風景に魅かれるという事実こそが、逆説的に、人間という存在の輪郭を浮かび上がらせるのではないだろうか。


なぜ火星なのか。

それは火星が、地球と似ているからである。同時に、決定的に異なっているからである。

火星は実在の惑星であり、想像上の架空のものではない。だが、その実在は永らく地球の地表からの、地球の大気を通しての観察に基づくものでしかなく、望遠鏡による観測が行われるようになってからも、却って放恣な空想の対象であり続けた。もっともそれは、火星探査が進んだ今日の視点に立つことで漸く為しうる断定である。

20世紀中葉のマリナー計画の成功以降、火星に対する認識は決定的に変化した。未だに人間が直接訪れることはできないが、その後のヴァイキング計画、20世紀末から21世紀初頭にかけて再開された火星探査の成果により火星についての知識は増大しており、これまでも以前の仮定のあるものを誤りとして訂正してきたし、今後もその作業は絶え間なく行われるであろう。

そしてそうした知識の増大は、そこを人間が直接訪れることによってではなく、絶え間ない技術の向上による、人間の知覚の大幅な拡張によるものである点は興味深い。現時点での火星の特異性は、火星の上空を周回するオービター、火星の地表に降り立つランダー、更には人間の代わりに自律的に火星の地表を動き回り、風景を撮影し、試料を採集し分析するローバーといった多様な手段によって膨大な情報が蒐集されている点にあるだろう。

ローバーが撮影した火星の写真は、非常に奇妙なものだ。地球のどこかにありそうなのに、実際にはその風景の中に私は本質的に属していない。そしてどこかで私から決定的に断絶しているそうした風景を、それでも眺めることができるのは、まさに「テクノロジー」の力、「メディア」の力によるものなのだ。それは私が生きたままでは決して見ることができない風景を見ることを可能にしている。かつての人間、生物としての人間には不可能であったはずのことが、人間と機械の複合的な存在である、現在の人間には可能になっている。

(続く)

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(2026.2.15 公開)

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