あの夏、美しい名前に惹かれて手に取った『牡丹灯籠』の記憶
七月が終わる。
明日から八月。
夏休み、お盆、蝉の声。
そんな季節になると、
ときどき思い出す本があります。
『牡丹灯籠』。
私がまだ、小学生だった頃の話。
夏休みに入る前、
通っていた学校の図書室で、
休みの間に読む本を
何冊か借りることができました。
夏休みは長くて、
いつもより少し多く借りられることが、
読書好きな私にはとても嬉しかった。
ずらりと並んだ本棚を眺めながら、
夏休みには何を読もうかと
わくわくして選んでいました。
その中でひとつの題名が、
目に留まりました。
牡丹灯籠。
牡丹の花。
灯籠の灯り。
なんて美しい名前なんだろう。
どんな物語なのかは
知りませんでした。
その頃は誰が書いたのかも気にせず、
ただ、その名前に惹かれました。
本棚からその一冊を
手に取りました。
ほかにも数冊借りて帰り、
夏休み中のある日、
その本のページを開きました。
読み始めてしばらくして、
とても驚きました。
思っていたのと、ぜんぜん違う。
怖い。
こんな話だなんて、
知らなかった。
夜、一人でトイレに行けない。
お風呂に入って髪を洗うとき、
きっと振り返って
何度も確認してしまう。
下駄の音の場面は、
震え上がるほど怖くて……
逆に、
目が離せなくなりました。
早く結末を知って
安心したかった。
夢中で読み進め、
怖いながらも、
不思議な感覚に魅了されました。
ただ、
怖いだけではなかったのです。
美しかった。
そして、悲しかった。
切ない、という言葉を
あの頃の私が
どこまで知っていたのかは分からない。
怖いのに、美しい。
恐ろしいのに、
どこか悲しい。
それまで私が知っていた感情の名前では、
うまく説明できないものが、
その物語の中にはありました。
当時、私が読んだ『牡丹灯籠』は、
子ども向けにまとめられた本でした。
大人になってから知った原作とは、
ずいぶん違うところもありました。
物語の細かなことは、
もう覚えていません。
本の表紙も覚えていない。
挿絵がどんなものだったのかも、
思い出せない。
あの本をいくつの時に読んだのか。
それすら
もう分かりません。
それなのに。
牡丹。
灯籠。
夏。
そして
ページをめくりながら感じた、
あの奇妙な怖さだけは、
ずっと残っています。
そして怖さだけではなく、
なぜか心を奪われてしまったこと。
その感覚が
ずっと残っています。
大人になった今なら
あの物語について、
いろいろな言葉で考えることができます。
愛とか。
死とか。
執着とか。
喪失とか。
けれど
あの夏の私には、
そんな言葉は必要なかった。
ただ読んだ。
そして
心を囚われた。
それだけだった。
もしかすると
本を読むということは、
最初はそれでいいのかもしれない。
そのときには
何を受け取ったのか分からなくても。
名前をつけられなくても。
ずっとあとになってから
「あれは、なんだったのだろう」
と考え始めることがあります。
七月が終わる。
明日から、八月。
もうすぐ
お盆がやってくる。
あの夏
学校の図書室で、
牡丹の花と
灯籠の明かりを思い浮かべながら、
美しい名前だと思って、
私は一冊の本を手に取りました。
その本が
何十年もあとまで、
こんなに自分の中に
残ることになるなんて。
あのときの私は
まだ知らなかった。
今年もまた
夏が来る。

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