感情の起伏を個性の一部としてとらえる
私は昔、自分の感情の起伏が嫌いだった。
少しうまくいけば舞い上がる。
少し失敗すれば落ち込む。
まるで天気のように心が変わる自分を見て、「もっと安定した人間にならなければ」と思っていた。
世の中では、感情を表に出さない人の方が大人に見える。
いつも冷静で、いつも前向きで、いつも同じ温度で生きられる人が理想のように語られる。
だから私は、自分の中にある揺れを消そうとしていた。
しかし、何年も生きてきて思う。
本当に消すべきだったのは感情ではなく、「感情を否定すること」だったのではないかと。
喜びがあるから挑戦できる。
悔しさがあるから成長できる。
不安があるから準備をする。
悲しみがあるから人の痛みに気づける。
もし感情の起伏がなかったら、人はただ昨日と同じ一日を繰り返すだけなのかもしれない。
感情は人生のノイズではない。
人生そのものだ。
もちろん、感情に振り回されることもある。
怒りで失敗する日もあるし、不安で立ち止まる日もある。
それでも、その揺れは生きている証拠だ。
私は最近、自分の感情を敵ではなく、一人の案内人として見るようになった。
心が大きく動く時には理由がある。
何かを大切に思っているから嬉しい。
何かを失いたくないから怖い。
何かを変えたいから悔しい。
感情は、今の自分が何を大事にしているのかを教えてくれる。
だから私は、感情の起伏を欠点だとは思わない。
それは個性の一部だ。
人によって声が違うように、顔が違うように、感情の揺れ方も違う。
もし今、自分の感情に悩んでいる人がいるなら、無理に消そうとしなくていい。
その揺れの中には、あなただけの人生が隠れている。
私は、その感情の揺れから逃げるのをやめた。
嬉しさも、悔しさも、不安も、悲しみも、自分の一部として受け入れることにした。
その結果、生まれたのが私の表現であり、私の作品だ。
感情の起伏を欠陥ではなく才能の種として見つめ直した時、私の中の「ビビビ」は動き始めた。
そして、ぼくはアーティストになった。
