やりたいことがない人は、出てくる前に殺している
30代になって、改めて「やりたいことがない」という感覚がある。
「本当は何がしたいんだろう」という問いは何年も前から頭の中にある。でも答えが出てこない。正確に言うと、何かが出てきそうになった瞬間に、すぐに消える。
それを「才能の問題」だと思っていた時期があった。
でも、違った。
出てくる前に、自分で殺していた
欲しいものが出てこない理由を探っていたある日、気づいた。
出てきていない、のではなかった。出てくる前に、自分で検閲していた。
「家族もいるのに無責任だ」 「仕事があるのに自分勝手だ」 「どうせ続かない」
この3つのフィルターが、衝動が芽吹く前に焼き払っていた。
植物が地面から顔を出す前に、除草剤をまいていた感覚に近い。芽が出ない理由は、土地の問題ではなく、自分が撒いた除草剤だった。(これに気づいたのはサウナに入ったときだった)
やりたいことがない人は少ない。 やりたいことが出てくる前に、自分で消している人が多い。
副業も同じ構造だった
「いつか副業をやってみたい」と思っていた。
ただそれは、「余裕ができたらやる」というカテゴリに置かれていた。仕事が落ち着いたら。子育てが一段落したら。体力が戻ったら。
2年が経った。
「余裕」は一度も来なかった。
そのうち「本当にやりたいのか?」という疑念まで出てきた。やりたいのにやらない自分を正当化するために、「やりたいという気持ちが薄いのかもしれない」という結論に向かっていた。
これは、内なる検閲の別バージョンだった。
検閲の方向が変わっただけで、構造は同じだ。「家族がいるから」「仕事があるから」という外向きのフィルターが、「どうせ自分はやりたいわけじゃない」という内向きのフィルターに化けていた。
「余暇」に置いた瞬間、それは後回しになる
気づいたのは、副業を「余暇にやること」として扱っていたことが、問題の根本だったということだ。
余暇に置かれたものは、余暇が来なければ動かない。 余暇は来ない。だから永遠に動かない。
投資で考えるとわかりやすい。「余剰資金ができたら投資しよう」と思っていると、永遠に始まらない。先取り積立に設計を変えた瞬間、動き始める。余剰が生まれるのを待つのではなく、先に回すことを決めてしまう。
副業も同じだった。
「余暇が生まれたらやる」ではなく、「これはやるべきことだ」として設計を変える。先取りする。優先度を決める。
頭の中のカテゴリを変えるだけで、行動の順番が変わった。
設計を変えた瞬間から動き始めた
「やるべきこと」に格上げした瞬間から、変化が起きた。
具体的には、「月曜は記事を書く時間」という枠を先に確保した。余暇が生まれるのを待つのではなく、先に時間を押さえた。仕事と同じように扱った。
すると、やりたいことが「出てきた」。
正確には、もともとあったものが、検閲を通り抜けてきた。フィルターが薄くなったからではなく、「これはやっていいことだ」という設計になったから、検閲が機能しなくなった。
やる気が出てから動いたのではない。 設計を変えたら、動きたい気持ちが後からついてきた。
(この順番の逆転に気づくのが遅かったと今でも思う)
余暇という檻から出る
「やりたいことがない」という感覚は、本当にやりたいことがないわけではないことが多い。
やりたいことが、「余暇の檻」に閉じ込められているだけだ。
余暇は来ない。余裕は自然には生まれない。 だから設計で作るしかない。
副業を「余暇にやること」から「やるべきこと」に移す。それだけで、2年間動かなかったものが動き始めた。
衝動は、設計が整った場所にしか着地しない。
この記事を読んで考えてみたくなったら
あなたが「余裕ができたらやる」と棚に置いているものの中で、もし今すぐ先取り積立のように時間を確保したら、真っ先に動かしたいのは何ですか?
あなたは解決策を提示するコンサルタントではなく、
私の内省を深めるための「静かな壁打ち相手」です。
【禁止事項】
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【最初の質問】
あなたが「余裕ができたらやる」と棚に置いているものの中で、もし今すぐ先取り積立のように時間を確保したら、真っ先に動かしたいのは何ですか?
