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私の読書習慣は『秘密』から始まった

先日、東野圭吾さんの訃報に接し、悲しく寂しい気持ちになりました。私にとって東野圭吾さんは、単に好きな作家というだけではありません。読書習慣のきっかけともいえる存在でした。そのきっかけになった、『秘密』を読んだときの思い出を綴ります。


私が『秘密』を読んだのは、小学校5、6年生の頃だったと思います。

私の父は暇さえあれば本を読む人でした。書棚には横山秀夫さん、西村京太郎さん、松本清張さんのミステリーや、塩野七生さんの歴史小説がずらりと並んでいました。

子ども心に「読んでみよう」と手に取ることはあるのですが、数ページで挫折してしまいます。難しい表現が並び、描かれている社会の背景もよく分からない。当時の私には、大人の読む本という印象でした。

一方で、自分がかろうじて読んでいたのは『ズッコケ三人組』や青い鳥文庫の『パスワード』シリーズ。

100ページくらいで文字が大きめの本なら読めるものの、分厚い長編小説を読む力はなかったように思います。読書感想文も、今思えばあまり褒められたものではありません。同じ本で3年間書いて提出したこともあるくらい、本を最後まで読み切るのは苦手でした。

そんな私が父の書棚で見つけたのが、一冊の分厚い文庫本でした。

タイトルは『秘密』。

「秘密」という二文字に、小学生がそそられるタイトルで、妙な引力を感じたのを覚えています。

とりあえずページを開きました。登場人物は父と娘。そして娘は、ちょうど私と同じくらいの小学5年生。そのおかげで、今まで途中で止まっていた本とは違い、少しずつ物語の中へ入っていくことができました。

そして、気づけば夢中になっていました。半分も読まないうちに、「次はどうなるんだろう」という気持ちが止まらなくなったのです。夕飯を済ませ、お風呂から上がると、また『秘密』を読み進める。普段なら寝ている時間を過ぎても、ページをめくる手が止まりませんでした。

父と娘、そして娘の中で生きる母。その不思議で切ない物語の行く末が気になって仕方がなかったのです。

翌日、学校へ行っても頭の片隅には『秘密』がありました。

「家に帰ったら続きを読もう」という気持ち。当時は家の本を学校へ持っていくという発想もなく、帰宅するのが待ち遠しかったのを覚えています。

家に帰るとランドセルを置いて、本を開く。理解できない描写は何度もページを行ったり来たりしながら、それでも少しずつ読み進め、ついにラストを迎えました。

その結末は、小学生だった私にはあまりにも衝撃的でした。読み終えたあともしばらく本を閉じたまま動けず、もやもや…というか、すっきりしていない気持ちになったことを、今でも覚えています。

(その後、「本を書いてみよう」という小学校の卒業作品で、『秘密』をモチーフにしたことを思い出しました。出来は悪く、恥ずかしい思い出です)


『秘密』を読み終えてからは、東野圭吾さんの作品を次々と読みました。

『白夜行』『トキオ』『容疑者Xの献身』『手紙』『赤い指』……。

一冊読み終えるたびに、「次は何を読もう」「他のミステリを読んでみよう」と書店に行ったことや高校時点の担任の趣味が合い、先生との本の貸し借り(先生はもっぱら伊坂幸太郎好き)などへ向かうようになりました。

振り返ると、私の読書習慣は間違いなく『秘密』から始まったのだと思います。


だからこそ、先日の訃報は本当に悲しく感じました。

「まだ読んでいない作品がある。また新しい作品にも出会える。」と、どこか当たり前のように思っていました。

私に読書の面白さを教えてくださったこと、そして数え切れないほど心を動かす物語を届けてくださったことに、心から感謝しています。もっと読みたかったです。ご冥福をお祈りいたします。

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