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1995年という厄年「エヴァ」と「攻殻」

ご存じの通り、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いなのが集英社/ジャンプ系ですが、ここは幾つかの「ヒット法則」みたいのを所有してるんですよ。

そうした「ヒット法則」の中でも最近特に目立ってきてるのが

<邪悪な人外を体に宿した主人公>設定

鬼を宿した「地獄先生ぬ~べ~」

というやつである。
その一例として「地獄先生ぬ~べ~」の画を上に貼らせてもらったが、当然これ以外にも集英社はこういう主人公設定をたくさんやってるよね。

怪獣を宿した「怪獣8号」

悪霊を宿した「ダンダダン」

悪魔を宿した「チェンソーマン」

呪霊を宿した「呪術廻戦」

喰種を宿した「東京喰種」

虚(ホロウ)を宿した「BLEACH」

妖怪を宿した「NARUTO」

はい、こうして挙げたのはあくまで代表的なところにすぎず、探せばもっとたくさんあると思います。
ホント、集英社はこういうの好きですねぇ・・。

いや、実は講談社だって例外じゃありません↓↓

巨人を宿した「進撃の巨人」

個人的には、<〇〇を宿した>系の到達点といえるのがこの「進撃の巨人」だと思いますね。
この作品のヒットの要因は、もちろん原作者/諌山創先生の才能が一番だが、しかしそれ以外にも色々と<時代の追い風>みたいなものがあったんですよ。

①連載の開始が2009年~、ポスト「エヴァ」として勃興した<セカイ系>のムーブメントにぴったりフィットした

②アニメ版の開始が2013年~、東日本大震災(2011年)を経たことで何かが大きく変わり始めた時代の空気感にぴったりフィットした

③アニメ化を手掛けたのが、新興WIT STUDIO(ProductionI.Gの新会社)だったことで、その革新的映像表現がぴったりフィットした

こういう数々の幸運の連鎖は、ある意味<時代>が「進撃」を求めたというふうにもいえるのかもしれん。
・・そう、常にコンテンツを生むのは<時代>なんだよね。

たとえばの話だが、こういう流れを見てくれ↓↓

1991年~バブル崩壊 陰鬱な不況のスタート

⇓⇓⇓

1995年1月 阪神大震災

⇓⇓⇓

1995年3月 地下鉄サリン事件

⇓⇓⇓

1995年10月 「エヴァ」放送開始

この1995年というのは、色々な意味で<原点>になってる年だと思うのよ。
ちょうど「ドラゴンボール」の連載が終わって、「正義が悪を倒す」という王道的なモノが終焉した年ともいえるのかもしれない。
少なくとも「エヴァ」のシンジは、正義のヒーローなんかじゃなかったよね。
そして1995年は、この作品↓↓がリリースされた年でもある。

1995年11月「GHOST IN THE SHELL」公開

この作品もまた、「エヴァ」と並んで1995年のエポックだったと思う。
これの何が凄いってね、まず上の画の草薙の空虚な目を見てくれ。
マジで生きてんのか死んでんのか、こういうよく分からんのが主人公なんですよ(笑)。

「おら、ワクワクすっぞ!」

という鳥山明的ヒーロー像とは対極のところにいるヒロインである。

・・で、この草薙の最も特筆すべき点は「結局、ラスボスを倒さなかった」ことですよ。
いや、倒すどころか、このオンナはラストになって

ラスボスと融合し、<あっちのセカイ>に逃避しますw

・・おいおい、というオチでしたよね(笑)。

80年代から頑張って鳥山先生が紡いできてくれていた、「正義が皆一致団結して悪を倒す」というお約束の全否定ですわ。

そうね、少年ジャンプ的「友情・努力・勝利」的なやつを押井守と庵野秀明という2人で全否定しちゃったのが1995年という厄年である。
そりゃ「ドラゴンボール」も連載終わるっつーの!

で、ここで最も大事な点は、庵野さんも押井さんもシンクロするようにして<融合>というカタチを表現してることなんですね。

「エヴァ」という謎めいた何かと<融合>するシンジ

「人形使い」という謎めいた何かと<融合>する草薙

で、庵野さんも押井さんも最後、主人公らは<ここじゃないどこか>に到達するというカタチで物語を締めたわけです。

「エヴァンゲリオン」
「GHOST IN THE SHELL」

・・で、この1995年のふたつの作品が現代のクリエイターたちに与えた影響は、めちゃくちゃ大きかったと思うんですよ。

だからこそ、両作品の<融合>というカタチが今では<〇〇を宿した>系というカタチに変換されて顕在化してるということだろうし。

一方、庵野さんと押井さんの奇妙なシンクロは一体何?ということについてだが、これはシンクロというよりは単純に2人が好きなモノを共有してるということだと思うんだよね。
諸星大二郎とか、永井豪とか。

押井、庵野両氏が携わった「天使のたまご」(1985年)

というより、このふたりはともに宮崎駿を師とする同門生みたいな関係じゃないだろうか。
お互いの作品を批判しつつも、実は一緒に旅行に行くほどに仲がいい。

で、特に庵野さんの側が自身の作家性に強く影響を与えたと公言してるのがこれなんですよね↓↓

「デビルマン」作/永井豪

・・やっぱ、どうしても最後はここに行き着いちゃうよねぇ。
<〇〇を宿した>系の元祖といってもいい。

永井先生がこれを描いたのは1972~1973年だという。
ちょうどその頃、日本を襲っていたのはこれらの出来事↓↓である。

70年安保闘争⇒反体制勢力、国家権力に屈する

その直後、日本を襲ったオイルショック

正直いうと、ちょっと暗い時代の空気だったらしいんですよ。
ちなみに私の父は左翼寄りの人だったので、彼がこの時代のことを苦々しく語ってたのを聞いたことが一度あるんだが、どうやらこの時代の人たちには

左翼(反体制側)=正義
右翼(国家体制側)=悪


という認識が普通にあったらしいのね。
ところが、70年安保闘争で左翼は体制の圧倒的なチカラに屈したんです。
つまり、正義が悪に敗れた。
ただ、コトはそれほど単純な構造でもなく、やがて「あさま山荘事件」などが起き、左翼=正義というのが一種の幻想だったということも一方で明らかになってくる・・。
これまで信じてたものにも裏切られて、「そもそも正義って何なんや?」とワケが分からなくなったのが70年代という時代の空気感だったらしい。

そう、いうなれば「デビルマン」という作品は
<70年代という時代そのもの>と解釈できるんだね。

いわば、勧善懲悪の否定。
そして正義というものへの疑念。
50年代~60年代、ずっと右肩上がりできた日本経済も、70年代2度のオイルショックで一時停滞に入ったとされている。
挫折と不況・・。

だからね、70年代コンテンツってカッコよくも、妙にもの悲しいニュアンスがあるのよ。

基本、バッドエンドがしっくりくる時代なんですよ。
勝つんじゃなく、負けて終わるというか・・。

そうね、ここまで語っておけば、皆さんもそろそろお気付きでしょう。
つまり、1995年に庵野秀明と押井守が成したサブカルの革命のカタチは

率直に言えば、<70年代という時代性の再現>なんですよ。

なぜこういうのが受け入れられたのかというと、そこに閉塞感があったからでしょう。
<勝つ>のではなく、<負ける>という空気感が1995年以降に満ちたんですよ。
80年代まではバブルの好景気でそんなこと考えずともよかったのに、90年代からは真剣に皆が<負ける>を意識し始めた。
勝たなくてもいいんじゃね?という空気感さえ出てきた。

ここでは敢えて名を伏せるが、ある政治家はこういう発言をして一世を風靡したことがあります。

「2位じゃダメなんですか?」

名言である。

・・そういや、私がコドモの頃は日本のGDP世界ランキングは、アメリカに次ぐ第2位だったんだが、今は何位か皆さんご存じですか?

<世界GDPランキング最新(見込み)>

【1位】アメリカ
【2位】中国
【3位】ドイツ
【4位】インド
【5位】日本

はい、インドに抜かれちゃいましたよ・・。

「5位じゃダメなんですか?」

いや、別にいいんですけどね・・。
というか、アンタめっちゃ微乳やな?

しかし、GDPランキングがひとつ落ちたぐらいで動じないほどに、我が国は負けを素直を受け入れられる国になったようだ。
それもこれも、私は全て<1995年>からコトが始まった気がしてならない。
思えば「エヴァ」も「攻殻」も、ラストは勝ったとか負けたとか全然関係のないセカイに着地してるんですよね。

ただ、また冒頭の話に戻るが、庵野さんや押井さんが示したこのての作風を今は集英社ジャンプ系作品が引き取っているという点が実に面白いんですよ。
なぜなら、集英社の不動の方針は

友情、努力、そして<勝利>なんです!

たとえ人外を体に宿そうとも、仲間と協力して今いるこのセカイを守ろうとする熱い主人公の姿を描いてくれています。
そこにひとつ救いがあるよね。

・・そうそう、ここにきて旧「エヴァ」シリーズが各サブスクで一切に配信されているようです。
何で急に?と思ったが、まぁ懐かしいから今後またイチから見直していこうと思います。
皆さんも、是非またご覧になってみてください。
小綺麗にまとめられた新劇場版も確かにいいが、やっぱり生臭さが鼻をつく旧シリーズはこれはこれでタマらんものがありますよね。


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